12.不穏な気配を払拭する熱情
その頃──……
「まだ見つからないのか!」
聖女を失ったエルヴマ国では、シャノンの張っていた結界が破れ、魔物が蔓延る事態となっていた。
「クソッ!」
焦りと苛立ちを抑えきれない国王は「ダンッ!」と肘当てを殴りつけた。
「父上、焦っても仕方ないよ」
「……リカードか……」
ヘラついた顔で現れたのは、この国の王子リカード・ウィル・グリフィス。肩書きと容姿だけは一流なので女性には事欠かず、毎晩のように女性を部屋へ呼んでは愉しんでいた。
「そもそも、逃げられた方にも原因があるんじゃない?」
ギロッと控えていた騎士を睨みつけた。睨みつけられた騎士は顔を青くさせ、全身を強ばらせている。
「ちゃんと躾ておかないから、こんな事になるんだって。ただ痛めつけるだけじゃ意味がないって分かっただろ?」
「うむ…」
国王は言い返す言葉もなく、苦々しい顔をしていた。
記憶の中のシャノンは、意思も感情も無くした虚無的な目をしていた。だから安心もあったのだろう。
「……ちゃんと教えたはずなんだけどなぁ。甘かったのかなぁ?」
ポツリと呟いた。
こんな事にならないように、誰が飼い主なのか教えたはずだった。
体と心にしっかり刻んだはずだったのに、彼女は俺の前から姿を消した。
「まさか、噛みつこうなんてくだらない意思が残ってたなんてね…」
自嘲しているが、その表情は嬉々としながら狂気を孕んだ笑顔を浮かべている。
「見つからないなら、あっちから来るように仕向ければいいんだよ」
「そんな事ができるのか?」
「俺に任せてよ。ちょっと気になる事を耳にしたんだよねぇ」
スゥと目を細めながら口元を吊り上げた。
***
「ハックシュン!!」
いつものように執務室で書類整理をしている最中、盛大なくしゃみを吐いてしまった。
「嫌ですねぇ。風邪ですか?」
汚物を見るような酷い顔で言われた。
「いや~誰か噂でもしてるんですかね?」
「それはろくな噂じゃありませんね」
ヘラッとしながら軽口を吐くが、ディルクは相変わらずの塩対応。
……実は平然として見える私だが、正直なところ調子があまり良くない。思い当たる節はたった一つしかないが、きっと先日のアレが原因。
(下着までびっしょりだったもんなぁ)
あれだけ雨に濡れれば体調だって壊す。自業自得だと言われればそれまで。
(これだけ終えたら部屋に戻ろ…)
無理は禁物。特に、この二人に知られる訳にはいかない。先日の一件で余計な心配と要らぬ迷惑をかけてしまったのだ。体調不良如きで忙しい二人の手を止めたくない。
それと一つ余談だが、私を貶めた二人は城勤めを解雇。自宅へ強制送還されたらしい。
「凡庸な侍女一人嵌めたぐらいで、厳しすぎるのでは?」と、形式上に訊ねてみたところ
「元々あの二人の職務態度には問題があったからな。なるべくしてなった結果だ」
「各所から苦情やクレームも多かったですしね。貴方がいい踏み台になってくれました」
マティアスもディルクも清々しい顔で言っていたが、王太子を敵に回した令嬢の末路は最悪なものだと分かった上で言っているのだから始末が悪い。
あの二人はこれ先、イバラの道を裸足で歩いて行かなければならない。どんなに転んで這いつくばろうと、助ける者は誰もいやしない。
(これもまた自業自得か)
そんな事を思いながら手を動かしていたら、いつの間にか書類は綺麗に片付いていた。
「お、おぉ…」
自分でも驚くほどの手際の良さ。なんなら、少し体調崩していた方が調子がいい気がする。
(前世は高熱があろうと仕事してたもんな)
その名残なのかもしれないと考えると、素直に納得出来てしまった。
兎にも角にも、自分のノルマはクリア出来た。私の体調を気にする様子はない。このまま何事もなく、撤退出来ればミッションコンプリート。
あと少し…そう思いながら、ゆっくり席を立った。一瞬クラッと視界が歪んだが、何とか持ち堪えた。
(あっぶな)
どうやら、思った以上に体が限界らしい。
「私の仕事は終えたので、これで失礼しますね」
一刻も早くここを出なければと、焦る気持ちを抑えつつ扉に手をかけた。
「お待ちなさい」
ディルクの声にビクッと肩が跳ねた。
振り返ると、ディルクとマティアスが睨みつけてこちらを見ている。
「え?な、なに?」
戸惑う私を見下ろすようにマティアスが立ちはだかると、頭がくっつきそうなほど顔を近づけてきた。
(な、なななななななな……!)
声にならない声に、口をパクパクさせる。
危うく息まで止まりかけていると、ペタッと冷たい手が額に触れた。
「あぁ、やっぱり。熱があるじゃないか」
「どうりで、今日は特に様子がおかしいと思ったんですよね」
「僕らを騙し抜こうとしたのか?君は分かり易いから無駄だぞ?」
心配されているのか馬鹿にしているのかよく分からないが、私の努力は無駄だったという事だけは分かった。
(この二人には敵わないや…)
そう自嘲したところで、ガクッと全身の力が抜けた。
「──おっと」
すかさずマティアスが抱き留めてくれ事なきを得たが、体はもう限界を超えていた。
「ディルク、医者を頼む」
「承知いたしました」
マティアスは執務室の隣にある私室へとシャリ―を連れてくると、自身のベッドに寝かせた。
顔を赤らめ、苦しそうに息を吐くシャリーの頬に手を当てた。その手が冷たくて、熱を冷まそうとすり寄せてくる。子猫のような姿にフッと笑みを浮かべた。
「気持ちいいか?」
「ん……」
何気なく聞いた言葉だったが、すぐに墓穴を掘ったことに気付かされる。
(これは……まずいな……)
蜜が塗られたように艶のある唇から漏れる吐息に、トロンと熱をはらんみ潤んだ瞳。白く滑らかな首筋をつたう汗……目を奪うには十分すぎる。
ゴクッと喉が鳴る。
「シャリ―、すぐに医者が来る。辛いかもしれないが辛抱してくれ」
自制心が擦り切れそうになりながら、平然を装ってシャリ―に声をかける。
「それにしても遅いな」
様子を見に行こうと、マティアスはシャリーの手を離し、側を離れようとした。
──ツンッ
「ん?」
袖を引かれた気がして目を落とすと、弱々しい手が服を掴んでいるのが見えた。
「……行かないで……」
「──!」
「お願い……側にいて……」
目に涙を溜めて縋ってくる姿に、マティアスの心臓は弾け飛びそうだった。
(参ったな……)
顔を手で覆い、必死に昂る気持ちを落ち着かせる。
シャリ―が置かれていた環境は知っている。体調が悪いのを隠していたのもそのせいだろう。
そもそも、シャリ―の体調を気にする者はいなかったのだろう。だから尚更、僕らが体調の変化に気付いた時、信じられないと驚愕の表情を浮かべていた。
弱っている時は誰でも気持ちが不安定になるものだ。初めて自分の側で寄り添ってくれる人がいることに喜びと安心を得たのだろう。
(自分から甘えてくるぐらいには気を許してもらえたと喜ぶべきか……)
嬉しいはずなのに、この状況では蛇の生殺しでしかない。
「はぁぁ~……」
色んな感情を吐き出すように深く息を吐くと、ベッドの端に腰かけた。
「大丈夫。ずっと傍にいるから安心しろ」
シャリ―は安心したのかニコッと微笑むと、スゥスゥと寝息を立てて眠りについた。
マティアスはギシッとベッドに手を付き、眠るシャリーに覆い被さるようにして唇をゆっくり近づけた。




