東の魔女の遺言
お手に取って下さりありがとうございます。
この作品は短編です。
最後までお付き合い頂けると幸いです(*´꒳`*)
東の森に棲む魔女が死んだらしい。
死因は老衰。
俺が村に来た時から、いや、村人が産まれる前からずっとあの森にいたという。無口で無愛想。村に顔を出すことも滅多にない。それでも葬式には村人全員が参加していた。なぜなら、
『病に罹ったら東の魔女を訪ねろ』
誰もがそう口にするほど、彼女の薬は確かだったから。
東の魔女は決して悪い人じゃない。葬式に参列した村人が涙ながらに思い思いに別れの挨拶を交わす。そんな姿を俺は遠くから見ていた。
火葬の煙が空に昇るのを見て、今日が暖かい晴天の日で良かったと想いを馳せた。彼女が安らかに眠れますようにと、祈りながら。
東の魔女が死んだからって世界が止まる事はない訳で、翌日には村は平穏を取り戻しつつあった。そんな矢先、俺の家へ村長が尋ねて来た。
「これ、おまえさんに東の魔女からの遺言だ。」
東の魔女は自身の死を悟り、遺品を村人の適材適所を見分け、遺言と一緒に託していたらしい。本当に、最後まで不器用な人だったと村長は悲しそうに笑った。
かくして、東の魔女が俺に託した物を届けに来た村長から受け取ったのは一通の手紙と布で覆われた鳥籠だ。
「大切にしてやっておくれ。」
村長はそれだけというと家を後にした。訳も分からぬまま受け取ったそれらをテーブルに置き、恐る恐る鳥籠にかかっていた布を捲ってみた。
「…………白猫?」
鳥籠の中にはなんと、一匹の猫が気持ち良さそうに寝ているではないか。
なんで俺に白猫を?
困惑の先、視界に入った手紙を素早く取り出すと、そこにはたった一行の文字が。
『名前はルナ。彼女を頼む。』
それ以外の説明はなにも無い。
村長の話だと、薬師に薬草のレシピを。商人にアンティーク品を。子供達には絵本を。青年にはこの国の地図を。女性にはお守りを。東の魔女は皆に役立つ物を贈ったらしい。それなのに俺には一匹の白猫? 一体なぜ?
「東の魔女は気が触れていたのか?」
何度も手紙や封筒の中を探してもこれ以上の情報はない。東の魔女がなにを思ったか知らないが、この采配は大きな間違いだ。
だって俺は産まれながら力が強く、がたいがよい。たっぱもある方で、彫りが深いこの見た目も相まってすれ違った子供はみんな泣かせてしまう。元々、社交的でもないし、この村には流れ着いたのも偶然で。村長からは村の用心棒として置いてもらっていただけの人間だ。
村人は今だに俺と目を合わせないし、東の魔女と話たのだって数回程度。こんな毛並みの良い白猫を託されるような人間ではないと自覚している。
混乱する俺を他所に、鳥籠の中の白猫はくわぁー、大きな欠伸をして起き上がってニャーと鳴いた。全く呑気な物だ。
「お前も俺に貰われるなんて、とんだ災難だな。」
興味津々にこちらを見つめてくる白猫のルナは真白な毛並みに晴天を思わせる青と太陽の光みたいな金色のオッドアイをしていた。貴族に飼われていてる猫だと言われても納得する。それなのに託された俺は無骨で無精髭を生やした中年男。あまりにも凸凹過ぎる。
「今からでも村長に返しにいくか……?」
しかし、世話になっている人に大切にしろと言われた手前、つき返すのは気が引ける。悩んだ挙句、数日間ルナの様子を見守る事にした。
「俺はアルバだ。よろしく頼む。」
一応の自己紹介を終えるとルナはなぜか楽しそうにニャーと鳴いていた。
一晩明けて、ルナが牛乳しか飲んでいない事に気がついた。猫は大抵魚を食べるもの。うちに来て初めての食事だからと、わざわざ新鮮な魚を買ってきたというのに、ひと口も食べた様子がない。
俺の家を警戒しているのか?
それとも魚が嫌だったのだろうか?
動物を飼った事のない俺では全く検討が付かない。そして、俺にはこの状況を相談出来る相手もいない。残念ながら自分で試行錯誤しなくてはいけないらしい。頭を抱えながらも預かった命を粗末には出来ない。
「ルナ、この魚は美味しいぞ。食べてみろ。」
魚の身をほぐし、骨を取って与えてみるも顔をプイッと背けるだけ。その割に牛乳は美味しそうに飲んでいる。
「この村は漁港から少し離れているから、新鮮な魚は中々手に入らないんだ。次いつ食べれるか分からないぞ。」
どうにか説得を試みるも猫に人間の言葉が分かる筈もなく、ルナは自身の前足を毛繕いをするだけ。一向に魚を食べようとはしなかった。
「ルナ、美味そうな肉を買ってきたぞ。一緒に食べよう。」
その日の仕事終わり、今度は鶏を買ってきた。猫はネズミを狩ると言うし、この子は肉食なのかもしれない。小さな器に鶏の肉を小さく切って差し出した。
「…………これも駄目か。」
ルナは匂いを嗅ぐだけ。
一切食べようとしない。
身体の大きさをみるに、ルナがミルクしか飲めない子猫には見えないのに、一体どうすれば良いのだろう。
「分からないから手数勝負をしてみよう。」
鶏を焼いたり、蒸したり、水でふやかしてみたり。とりあえず思いつくことをしてみたが、ルナは一向に食べようとしない。そんな試行錯誤が三日続いたが、ルナは牛乳以外を口にする事はなかった。
ここへ来た時より明らかに細くなったルナの身体を見るとやるせなさに苛まれる。
「ほう、それでわしの所へ?」
流石に困り果ててしまって、ルナを連れて村長を尋ねる事にした。
「なにかお知恵を頂ければ……。」
立派な髭を手で触りながら考え込む村長は、家にあった果物や野菜など小さく切ってルナに差し出してくれたが、やはり匂いを嗅ぐだけで食べようとはしなかった。そのくせ、村長が飲んでいた果実水を奪うように飲む。
「ふむ。この子は東の魔女と暮らしていた子だから、もしかしたら普通の猫ではないのかも知れんの。」
じゃあどうすれば良いんだ。このままだとルナはどんどん弱っていくだろう。それを見ているだけなんて、胸が痛む。
「ちょっと待っておれ。」
そう言い残し、村長は近くにあった戸棚から古びた地図を取り出した。
「ここから五日ほど歩いた所に東の魔女の弟子が棲んでいるらしい。彼女なら、なにか知っているかも知れん。ルナと一緒に訪ねてみたらどうじゃ?」
村の事は気にしなくて良いと背中を押され、俺は村長から貰った果実水と少しの路銀を手に、ルナを連れて東の魔女の弟子の元へ向かう決意をした。
元々は旅人をしていた俺にとって五日間の旅路はそう難しくはない。しかもこの見た目だ。盗賊に襲われる事もない。心配なのはルナの体力が持つかどうかだけ。
「地図によれば東の森を抜けるのが一番速いらしい。道中、東の魔女が棲んでいた家によってみようか。ルナの好物がまだ残っているかも知れないし。」
さて、準備も整った。
後はルナを鳥籠に入れて出発するだけ。
「ルナ、いくぞ。」
彼女は時々、人の言葉を理解しているみたく鳴き声を上げる時がある。今だって、分かったと言いたげにニャーと鳴く。でも勝手気ままが猫の特徴。鳥籠には絶対に入ろうとしない。ピョンと華麗に俺の肩に乗り、早く出発しろと言わんばかりに尻尾で首をぺしぺしと叩く。
「はぁ、仕方がない。絶対に落ちるなよ。」
ニャンと返事をするルナに呆れながら、俺は笑って村を出た。
東の森に入るとすぐにルナが肩から降りて、まるで自分の家に案内するかのように俺の前を歩き始めた。
東の魔女の家は今もそのまま残されているらしい。村長に家へ入る許可も貰っているけど、家に溢れ返っていた物は全て村人に手渡されてしまった。あの家にはもう何も残っていないそうだ。それでも、ルナの過ごした家である事は間違いない。
懐かしい記憶を辿るように尻尾を振り、前を歩くルナ。彼女と東の魔女はどんな話をしていたのだろうか。
今日の天気や森の匂い。
そんな他愛もない話を楽しんでいたのかも。
「今日が晴れて良かったな。」
ニャーと軽口で鳴く白い毛玉の前では、友と呼べる人間が居ない俺でも素直でいられる。東の魔女もそうだったのかも知れない。そんな妄想を膨らませていると、目の前に小さな家が現れた。東の魔女の住まいだ。
「ルナ、どうした?」
家の前でちょこんと座ったルナは何故か家の中へ入ろうとはしなかった。脚が疲れたのかと思い抱き上げてみるも、器用に身体をくねらせて俺の腕から逃げていく。そしてまた同じ家の前の定位置に座り直す。
「家に入らなくていいのか?」
彼女はゆらゆらと尻尾を振るだけ。家から視線を外そうとしないくせに、入ろうとはしない。
「ルナ、この家はもう時期取り壊される。盗賊の住処になっては困るからな。だからこの家に入れるのは今日が最後かも知れないんだ。」
だから家に入ろうと強く説得するも、ルナは頑なに動かない。行儀よく、真っ直ぐ背中を伸ばして座っているだけ。流石に森の中に猫一匹放り出して自分だけ家に入るのは気が引ける。その間にルナが襲われたり、森の中へ消えてしまっては見つけようがないから。
「じゃあ、弟子のところへ行こうか?」
半ば脅しで言ったつもりだったのに、ルナは家に向かって深くお辞儀をして、歩き出してしまった。惚ける俺に早く来いと言わんばかりに振り返りニャーと鳴く始末。
猫は意外と淡白なのか?
それとも東の魔女がもうここには居ないと理解しているのだろうか?
とにかくルナの後を追わないと。
あ、でもその前にやるべき事を済まそう。
家から少しだけ離れた場所に東の魔女の墓が建てられている。その前に僻まずき、祈りをあげた。
「東の魔女よ、せめてルナの好物ぐらい手紙に書いといてくれよな。そのせいで俺がどれだけ困っていると思うんだ。あんたの弟子に会いに行ってくる。道中の不幸から守ってくれ。そのぐらいしてくれてもいいだろ?」
俺の後ろではルナが「早く行くぞ」と言わんばかりに鳴いている。
「じゃあ、行ってきます。」
それだけ言い残し、旅に出た。
東の魔女への祈りのおかげか、道中は平和そのもので天気にも恵まれた。ルナは早々に疲れたのか自分で歩くのをやめ、俺の肩で居心地の良い座り方を模索していた。
ルナはやはりミルクか果実水しか飲まないので、日に日に眠っている時間が伸びている様に感じ、俺の歩調は早くなる。そうして四日歩いた頃、件の弟子が棲む小屋にたどり着いた。
東の森を抜けた先、湖畔の近くに小さな小屋がひとつ。魔女はどうやら自然を好むらしい。ここはとても清らかな匂いがした。
「おや、いらっしゃい。不思議なお客人が来たもんだ。」
小屋の戸をノックすると、俺と同じ歳ぐらいの女性が温かく歓迎してくれた。
東の魔女の弟子はノイルと言うらしい。早速だが例の遺書とルナを見せ困っていると相談すると、ノイルは大声をあげて笑い始めた。
「そりゃ食べないさ。だってルナは猫じゃないもの。」
「猫じゃない……?」
こんなにも猫の見た目をしているのに?
何度ルナを見ても猫だ。特に変わったところもない。これで猫じゃないならなんだと言うんだ。
「ルナは東の魔女の使い魔さ。この世界とは別の世界から、魔女の召喚に応じてやって妖精みたいなものさね。」
ノイルが手でサインをすると何処からともなく一匹の小鳥が飛んできた。「これが私の使い魔さ」と言うと黄色の美しい小鳥は器用に挨拶をしてみせた。
「でもおかしいね。普通は魔女が死ねば使い魔は元の世界に帰るもの。なんで今もここにいるんだろうね。」
そんなものは俺が一番知りたい。
ルナはこっちの会話には見向きもしないで眠ったまま。もう空腹の限界なのかも知れない。
「とにかく、その妖精ってのは何を食べるのですか?」
少し考え込んだノイルはゆっくりと立ち上がり、カゴいっぱいに色んな物を詰め込んで帰ってきた。
「師匠の元で修行をしている頃もルナの偏食には困らされたものだ。思い出せる範囲はこの辺だろう。」
カゴの中身は摘み立てのベリー、朝露を飲んだ花びら、焼いた林檎の皮、乾燥させたハーブに綺麗などんぐり。ドカンと机に置かれた拍子に起き上がったルナは、目の前のご馳走を一心不乱に食べ始めた。
「これは……、分からない訳だ。」
裏切られたような気持ちと、ルナが美味しそうに食べる安堵で心中はぐしゃぐしゃ。
「ルナ、美味しいか?」
俺の問いにこれだけ嬉しそうにニャーと鳴かれたら、さっきまでの複雑な感情は綺麗さっぱり吹き飛んで、ここまで来て良かったと思わされるから不思議だ。
背中を撫でると「今は食べている最中だから撫でるな」と言う顔をして俺の手にパンチしてくる姿に少し呆れながらもルナが食べ終わるのを待った。
「ところで、さっきも言ったが使い魔は契約主が死ねば自ずと元の世界に帰るもの。それがまだここにいるのは極めて異常なんだ。」
真剣にルナを見つめるノイルの言葉が突き刺さる。
この四日、一緒に旅をして不安はあったが楽しかったんだ。ノイルにルナの好物を聞いたら村に帰ってずっと世話をしようと思っていた。
「ルナの身体に、害が及ぶのですか?」
ずっと一人だった生活に、ルナがもたらした影響は大きい。愛情を知ってしまった今、ルナを手放すなんて。
「いや、そうじゃない。ただ……、」
言い淀むノイルに一抹の不安がよぎる。
「このままだと普通の猫になるだろう。ルナは元の世界に帰れなくなる。」
使い魔なら死ぬことはない。元の世界に帰ればルナが食べ物に困る事もない。でもこのままこちらに居続ければ、ルナは猫の寿命で死に、偏食のままの胃袋を満たすのも困難。ルナにとってどちらが良いかなんて、明白だった。
「ルナを元の世界に帰す方法を教えてください。」
「お主はそれで良いのか?」
良いも悪いとないだろう。
俺は東の魔女にルナを頼むと言われた。それが世話をする事だと思っていたが、そうじゃなかったのなら、東の魔女の想いに応えてやるのが正解だ。
「そうか。ならここから北の最果てを目指せ。」
「北の最果て、ですか。一体なぜ……?」
ノイルは軽く言っているが、行くには膨大な時間がかかる事ぐらい俺でも知っている。ここが国の東に位置し、北部へは国を出て街道を何本も横断しなければならない。更には二つ国を超えた先、そこが北の最果てである。
「北の最果てに使い魔の世界と繋がる世界樹があるのさ。大樹付近に行けばルナが匂いで分かるだろうが、お前さんには辛い旅をさせる事になる。私が行ってやってもいいが、どうする?」
魔法使いのノイルなら、簡単に北の最果てへ行く術があるのかも知らない。でも、それじゃあ、ルナとはここでお別れになってしまう。
ふと、ルナに目をやると、満腹になったらしく食べるのをやめて俺の手に頭を擦り付けている。「食べ終わったから撫でろ」と、こちらの心情なんて梅雨知らずにゴロゴロと喉を鳴らしていた。
ルナとはたった数日前に出会ったばかり。
最初は数日面倒を見るだけと割り切っていたじゃないか。なのに、撫でてしまったから、声を聞いてしまったから、ルナの温かさを知ってしまったから。
――まだ、離れたくないと思うんだ……。
「俺は、旅の最中に熊に襲われて重症のところを村の村長と東の魔女に助けられました。それからもずっと世話になった。俺には彼らに恩義を通す義務がある。だから、俺が、ルナを北の最果てまで連れて行きます。」
俺の決意にノイルはまたも大声で笑った。この人があの無表情な東の魔女の弟子だなんて、不思議で仕方がない。
「試して悪かったな。やはり師匠は人を見る目がある。」
ノイルの言葉にずっと疑問だった事を思い出した。
「どうして東の魔女は俺にルナを託したのでしょうか?」
俺の問いにノイルはさっきの豪快な笑い声ではなく、微笑むように優しく笑った。その表情が、どうしてか東の魔女と重なった。
「お前が適任だからさね。」
ノイルの理解出来ない発言に首を傾げ、もっと詳しく教えてを乞うたが彼女がそれ以上口を開く事はなく、手渡された一枚の地図とルナの大量の食料を鞄に詰められた。
「いいか、期限は一年だ。それが過ぎるとルナはこちらの世界に馴染み、ただの白猫になるだろう。次の冬までにたどり着け。」
北の最果てを目指すにはかなりギリギリの期限だ。北の方は冬になれば吹雪で身動きがとれなくなる。だから次の冬までに北部に入れなければ、その時点で終わりだ。それに道中は沢山の危険が潜んでいる。ルナの食料だって確保しながら進まないと行けない。
この旅はここまで歩いた四日間とは比べ物にならないぐらい過酷な道のりになるだろう。なのに、心は何処か晴れやかで。漠然と希望に満ちていた。
「絶対にルナを元の世界に返しみせます。色々と教えて下さりありがとうございました。それじゃあ、行ってきます。」
もしかしたら、東の魔女が見守ってくれているのかも知れない。彼女はまじないも得意だったから。
「なぁ、アルバよ。もし私が死んだら、私の使い魔もお前に託していいか?」
感謝の握手を交わし、歩き始めた俺にノイルが大声で問うた。だから俺も大声で返す。
「ご冗談を。絶対に嫌です。」
背中越しにノイルの大きな笑い声が響いていた。
⬜︎⬛︎⬜︎
湖畔を背に歩き始めた俺とルナを送り出すように春一番が吹いた。毎年なら、この風の寒さに身震いする。でも今年は、なぜか温かい優しさを感じた。
「ルナ、寒かったら鞄に入って良いぞ。」
ノイルに貰った食料を食べたおかげで元気いっぱいのルナは俺の隣を歩く。声に反応して尻尾が揺れた。どうやらまだ自分の脚で歩いていたいようだ。
こんな些細な動作に心を通わせる喜びを感じる。この喜びには終わりがある。だから、俺はこの旅を楽しんで、噛み締めて、忘れられない思い出にしないと行けないんだ。
「お前にとっても良い旅になればいいな。」
目頭が熱くなるのを隠すように笑うと、ルナが振り返ってひと言、ニャンと鳴いた。
それから俺達は春を歩いた。
青い花畑でルナが花びらを食べまくり、管理人の怒りを買って花の手入れを手伝わされたり。路銀を稼ぐ為、小さな村の用心棒を引き受ければ、ルナを撫でたい子供に囲まれる日々を送った。
「にぃちゃん、顔は怖いがいい奴だな。手伝ってくれてありがとよ。」
「猫ちゃん撫でさせてくれてありがとう。」
誰かに笑顔を向けられたのも、ありがとうを言われたのも初めてで、俺はどうして良いか分からずいると、決まってルナがニャンと鳴いた。
「私のおかげなんだから、お礼は私に言いなさい」
そんな太々しい態度が、皆を笑顔にした。
時に鼻歌を歌いながら横を歩き、雨が降ればルナを腕に抱きながら険しい道を進む。野営をすれば胡座の中でルナが寝る。何度か急所を思いっきり踏みつけられて涙を流す夜があった。
「ここまでは順調だ。ルナ、ここからは国を出る。生まれ育った故郷を出るぞ。」
夏は馬車の荷台にお世話になった。
暑さにやられたルナを水浴びがてらに、身体を洗うとしたら全身を引っ掻かれた。それから数日、ルナの機嫌が治らず好物を集める寄り道もした。
「ルナ、お前の好きなハーブを探しに来たんだ。少しは手伝えよ。」
自由を体現した白い毛玉は毛繕いを始めると意地でも動かない。時に喧嘩をし、出来た傷を嘆き、瘡蓋になる頃に許し合う。
「ルナが居てくれて良かった。」
ルナの為の旅が、俺たちの旅に変わる。
いつしか白猫を連れた奇妙な旅人の話は遠くの異国まで広まっていき、異質に感じた盗賊にルナが狙われたりもした。
やはり旅は一筋縄じゃいかない。
商人に騙されて路銀の大半を失ったと落ち込んでいたら、ルナが路銀を奪い返してくるなんて事もあった。
悩んで、空腹を耐え、身体に傷が増えていく。それでも隣にはいつも、ルナがいる。好物のベリーを二人で分けて食べ、宿屋の広いベッドで窮屈そうに俺の顔に身体を擦りつけながら眠る。そんな姿が愛おしい。
「それにしても、〝ルナ〟なんて変わった名前を付けたもんだ。」
それは生命の終わりを感じる秋に脚を踏み入れた頃、久々に辿り着いた村にあった宿屋の亭主から言われた。
「どう言う事ですか?」
東の魔女が命名したであろう名前に俺はなんの疑問も抱いた事はないのだけど。
「だって、〝ルナ〟は月ってことだろ? その白猫は白い毛並みに晴天みたいは青と太陽みたいな金のオッドアイ。どう見ても夜を冠する月には見えないじゃないか。」
黒猫ならまだしも、と不思議そうにする店主の言葉に返す言葉が見つからなかった。だって俺はルナの本当の飼い主ではないから。
「そう言えば、最近この辺りに越してきた魔法使いが店を始めたんだよ。旅の役に立つ物があるかも知れない。行ってみたらどうだい?」
店主が言うには、北の魔女らしい。もしかしたら、東の魔女とルナのことも知っているかも知れない。旅に残された時間は迫っているが、どうしても気になる。
「ルナ、少しだけ寄り道させてな。」
抱き抱えたルナに許しを乞うと鼻をぺろんと舐められた。
「あら、猫に愛されたい良い男だね。気をつけて行ってらっしゃいな。」
店主に見送られ教えてもらった店の扉を開けると、ふわりと香る薬草の匂いにとても懐かしい気持ちになった。肩に乗っていたルナもぴょんっと床に降りて辺りを見渡している。ここは、東の魔女の家と似たような香りと物で溢れかえっていた。
「あら、いらっしゃい。懐かしい顔だね。」
ふぅ、と吐き出すタバコが懐かしさを消し去る。薄暗いモヤに赤い唇が艶めく。ここは違う。懐かしい場所じゃない。ここは遠い異国の地。それを思い出させた。
ルナがシャーと唸る声を久しぶりに聞く。誘惑の先にある罠に落ちる寸前で我に返った気持ちだ。
「私は北の魔女ザリーニア。偉大なる世界樹の管理者で、そこの落ちこぼれを破門した女よ。」
咥えていたキセルタバコをルナに向け、ニヒルに笑う遊女のような女。東の魔女や弟子のノイルとは全く違う麗しい美女でありながら、近づけば毒に侵されそうな危ない香りがする。
言葉を間違えば殺されそうだが、彼女の放った言葉はあまりにも不可解過ぎだ。
「落ちこぼれとは、ルナの事ですか?」
「ええそう。貴方、その様子だと何も知らされていないようね。」
ザリーニアがキセルを机に音を立てて置くと、彼女の奥から鋭い目をした鷲が現れた。
「使い魔が暮らす世界は弱肉強食。翼を持たない精霊に価値はないの。」
「そんな言い方はっ!!」
反論しようと声を荒げるとザリーニアがこちらに指をたった一本向けた。するとチャックが閉まるように唇が開かなくなってしまった。
「まぁ、最後まで話を聞きなさい。」
優しい口調とは裏腹に威圧的な赤い瞳。さっきまで怒っていたルナも尻尾を丸めて怯えていた。急いでルナを抱き上げてザリーニアを睨んだ。
「そこの白猫は力が弱い落ちこぼれだから翼を持てなかった。そう言う精霊には管理者である私から、二つの選択肢を選ばせてやるの。ひとつは、世界樹の糧になる。言わばこちらと向こうの世界を繋ぐ為の生け贄ね。そしてもう一つは、力の強い精霊の餌になること。」
圧倒的に前者が多いわね、と笑うザリーニア。
俺は腕の中で震えるルナを落とさないように力を入れていなければ、脚から崩れ落ちてしまいそうだった。
「でもね、そこの白猫はどちらも嫌だと言った。分不相応にも人間と生きたいと願ったのよ。」
ザリーニアの言葉に嘘はないのだろう。俺に嘘をつく理由もないから。だから恐ろしい。俺がしてきた旅はルナを元の世界に返す為だ。それなのに、ルナはそんな事望んでなかった。
だったら俺のこの一年は無駄だったのか?
でもこのままだとルナはただの白猫になってしまう。だからと言って、元の世界に返したら、ルナはルナとして生きられない。殺されてしまう……。
「私は鼻で笑ったわ。お前なんかを引き取る人間はいないとね。だって、人間世界に行くには魔女に召喚されなきゃいけないの。人間世界の生き物すら食べられない虚弱な精霊を、誰が好き好んで召喚すると思う?」
さっきまで笑っていたザリーニアの顔から表情が消え、指先を左右に振った。すると、くっ付いていた俺の唇がようやく動かせる様になった。
「一人、いたのよ。」
「……東の魔女、ですか。」
こくりと頷くザリーニアは酷く悲しそうな顔をした。
「あんなに優秀な子はいなかった。私が育てた魔女の中でもあの子は特に秀でていたの。なのに、それなのに……。あの子は自分の寿命を渡してまで翼を持たない精霊を選んだ。」
本来、あの子の寿命はこんなにも短くなかったと嘆くザリーニアからは、母性に似た愛を感じた。それと同時に東の魔女がザリーニアの弟子だったなんて、驚きを隠せなかった。
「本来、魔女は使い魔が持つ強大な魔力のお陰で普通の人間より遥かに長い人生を送れるの。私がそうみたいにね。」
魔女は自身の見た目を操作する魔法で、好きな年齢の自分でいるのだそう。
「なのに、あの子は逆の事をした。その白猫なんかに寿命を渡してまで、人間世界に引き入れた。」
東の魔女がそんな事をしていたなんて。でも、なぜか彼女らしいと思ってしまった自分がいた。あの村で聞く東の魔女の話は、どこか愛に溢れていたから。
彼女はまさに、偉大な魔女であったんだ。今では東の魔女にルナを託された事が誇らしい。
東の魔女よ、貴方が俺に一文だけの遺書を寄越したのは、それだけで俺を信頼してくれていたって事なのか?
――そうだったら、良いな。
「私は悔しくて。だからその白猫と一緒に破門した。」
「なぜだ!?」
師匠なら、愛していたなら、なぜ破門する必要があったんだ。そんな悲しそうな瞳をしておいて、俺にはない才能を持っているのに。
「……貴方は大切な人に裏切られた事がある?」
ピクリと肩が震えた。風のように旅をしてきた俺は、他人と深い関係になった事がない。村の村長や東の魔女に恩義はあれど、大切かと言われれば違う気がする。
「私は愛していたから、耐えられなかった。」
愛しい、苦しい、優しくしたい、憎らしい、そんな善と悪が入り乱れた感情を愛と呼ぶなら、俺は……。
「俺は、ルナを愛しています。」
今こそ、東の魔女の信頼に応える時だろう。
俺はルナの背中を撫でて微笑んだ。それから懐にあった全財産をザリーニアの前に差し出し、床に両膝をつき頭を下げた。
「どうか、ルナの破門を解いてください。向こうへ戻るか、ここに残るのか、ルナ自身で判断出来るように。」
どちらの道もルナにとって最善と呼べるものはない。一方を取れば死に、もう一方を取れば生きにくい世界に身を落とす。それでも、ルナは愛されるだろう。ここまでの道のりがそれを証明してくれる。だから大丈夫。
俺が出来るのは、ルナを信じ抜く事だ。
「もちろんただでとは言いません。俺の残りの寿命全てを差し出します。煮るなり焼くなりどうぞ好きに使って下さい。」
最初はただの綺麗な猫としか思わなかった。感情に疎い俺がここまで振り回されるとは思っていなかった。
「お前、正気か!?」
この一年は本当に楽しかったよ。
道中で子供に話しかけられるなんて初めてだった。守るための戦いが、物凄い勇気をくれるなんて知らなかった。全てはルナが教えてくれたもの。与えてくれた感情だ。
「覚悟は出来ています。」
ザリーニアの怒りを鎮められるなら、俺一人の命は軽かろう。更に深く、床に頭を擦り付けて懇願する。
「……そうは思っていない奴がいるようだが?」
今までに聞いた事がない雄叫びが目の前から聞こえ、ハッと顔を上げた。
「ルナ?」
さっきまで怖くて震えていたルナが俺を庇うように立ち、獰猛な獣のように唸り声を上げていた。
「ルナ、大丈夫だ。俺が守ってやるから。」
彼女に手を伸ばそうとした瞬間、ルナの周りから物凄い光が放たれた。
「魔力が、膨張している……?」
光はルナを包み、室内なのに足元から強風が吹いた。部屋にあった紙や雑誌が舞い上がり、木造の家が揺れ始めた。
「落ちこぼれが手を煩わせるんじゃないよ。」
ザリーニアの指示で隣にいた鷲がルナ目掛けて飛びかかろうとしたその時、ガラスが割れるように光が散らばり、中から物凄いスピードでザリーニアの使い魔の鷲になにかが飛びかかった。
「ルナ……?」
地に落ちた鷹。その上に覆い被さるは、天使の様な真白の翼を持った白猫が一匹。
「これは、驚いた。まさか魔力が開花するとは……。」
強大な鷲を制したのは、ルナだった。だがその容姿は変わり、翼を持った異形の白猫。彼女は強く、けれどいつも通りに俺を見てニァーと鳴いた。
「怪我はないか? 私が守ってやる。」
そんな言葉が聞こえた気がした。
ザリーニアによれば、ルナの変化は使い魔でもかなり珍しい魔力開花というやつで、強い想いに呼応して使い魔の魔力が一気に強くなる現状らしい。今のルナはザリーニアの使い魔と互角。これだけ魔力があれば元の世界に帰っても死ぬ心配はないだろうとの事だ。
「アルバ、あんたに免じて破門は解いてあげるわ。」
荒れ果てた室内で立ち尽くす俺に、ザリーニアが鷲を抱き寄せながら笑う。そしてルナの前に立つと片手を翳した。祝福に近い輝きが全身を包み、弾けた。破門が解けた今なら、元の世界に帰れるそうだ。
「これで、ルナとは本当にお別れだな。」
嬉しくもあり、寂しくもあり。右手を差し出すといつも頬を擦り寄せてくる温かさもこれで最後と思うと、胸が苦しい。
「何言ってるの。ルナは貴方の使い魔になったのよ?」
ザリーニアがひょとんとした表情を浮かべながらキセルを咥えた。
「どういうことですか!?」
「どうもこうも今、契約がなされたでしょう。おめでとう。これで貴方も魔法使いの仲間入りよ。」
意味が分からずザリーニアに説明を求めると、強大な魔力を持つ使い魔は、主人と認めた相手の身体を触る事で主従関係が成立するそうだ。
つまり、今の触れ合いが契約の儀式だったらしい。
「じゃあ、ルナは元の世界に帰らない、のか?」
ピョンと軽やかに跳ねて俺の肩に乗ったルナは誇らしげにニャーと鳴いた。
「帰らなくても、精霊のままで居られるんだな。」
嬉しそうな尻尾がペシペシと首を叩く。
「そうか、そうか……。まだ一緒にいられるんだな。」
自然と溢れた涙をルナがぺろっと舌で舐めた。それが嬉しくて愛おしくて、笑みが止まらなかった。
「もう行くのね。」
荒れ果てたザリーニアの家の整理を手伝った後、俺たちはまた旅に出る事にした。
「はい。これからは二人で、自由気ままに旅をしてみます。また貴方みたいな魔女に出会うのも悪くないですから。」
ザリーニアは、やはり東の魔女と似ていた。
少し不器用で、気難しくて。でも、愛に溢れた人だ。その証拠に俺に色々な魔法や使い魔の事を教えてくれた。微笑むとやっぱり東の魔女の面影があった。
「そう。また会えるのを楽しみにしているわ。」
これからの旅は別れの決まったものじゃない。
いろんな人と出会い、始める為の旅だ。
「それじゃあ、行って来ます。」
俺はいつも通り、ルナを肩に乗せて旅に出た。
――――――
バタンと音を立てて扉がしまった。ザリーニアは嵐のように過ぎ去った奇妙な一人と一匹が出て行った後、近くにあった椅子に崩れ落ちるように腰を落とした。
「まさか……、あの子の言った事が本当になるとはね。」
使い魔の鷲の頭を撫でながら、物思いに耽る。
それはもう何年、何十年も前の話。
『師匠。私はこの子を使い魔にします。絶対に優秀で立派な使い魔になります。』
若かりし東の魔女はザリーニアに笑ってそう言った。
馬鹿な事を言うんじゃないよと怒鳴りつけるも、彼女は全く言う事を聞かない。それどころか、目の前にいるちんちくりんな白い毛玉と契約を交わした。
『貴方の名前はルナ。』
我が弟子ながら、またおかしな名前を付けるもんだと呆れてため息が出た。
『貴方は晴天の昼間みたいだけど、夜の闇には勝てない。だから、ルナ。』
ひょとんと首を傾げる白猫に、彼女は微笑んだ。
『貴方に闇夜を照らせる〝月〟のような存在が見つかりますように。そう願いを込めて。』
遠い昔に想いを馳せていたザリーニアの瞳から一筋の涙が溢れ落ちた。
「東の魔女、私の可愛い弟子、リリア。あんたは最後に見つけたのね。白猫を照らす〝月〟を。」
ザリーニアは最後に見た一人と一匹の背中を思い返して優しく笑った。
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