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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

風俗で機械仕掛けの愛を乞う。

作者: 水餅

 今時の風俗店は二通りあった。女がいる店といない店である。


 前者は旧来から、それこそ古代からあった生業で、後者は近年登場した新しい形態の風俗であった。


 いかがわしさを伴うピンクや紫のネオンライトが人波を照らす歓楽街。二十後半の男がとある風俗店をくぐる。


 出迎えた店員が男を認めると軽く目礼をする。この手の店では大仰に「いらっしゃいませ」と声をかけるのは嫌がられる為だ。


 そして、「ご予約のお客様ですか?」と聞かれることもない。何故なら、店では個室が空き次第、誰にでも利用可能だからだ。


 男はそわそわと電子マネーで決済すると、希望の姿、シチュエーションを入力していく。そうして、カプセル型の席に座ると備え付けられたヘッドセットやプラグを頭部につないだ。


 男の意識が電脳空間へと誘われる。


 待っていたのはうら若い女性だ。あどけなくも官能的、清らかながら妖艶。風俗店でありながら、無垢で魅惑的な仕草は男を引き付けて離さない。


 このなかでは女は男の恋人だった。


「おかえり、ユーリ」


 女が微笑みながら、静かに抱擁する。特筆すべきは抱きしめられた感覚が紛れもなく本物だということだ。


 手を握られた触感、口付けた感覚。柔らかな胸に滑らかな肌。


 本来、偽者であるそれらを脳を通して送り込む刺激で本物と化す。ユーリにどこまでが偽物で本物かを疑う余地を与えない。


 ユーリは言葉少なく、じれったそうに服をはだけた仕草をすると女をベッドに押し倒した。濡れた瞳に、恥じらいでか、頬を染めた女が彼を優しく包み込む。


 実際には、あたかもそうであるかのような刺激を脳に送られているだけで、ユーリの前には何もない。彼女の笑顔に目を奪われ、偽物と知りながら心を震わせる。人肌の温もりさえ実現するAIに彼の脳は最後まで騙されていく。


 数時間後、ユーリがよろけながら席を立つ。備え付けられた設備が彼の残滓を綺麗に洗い落としていく。やや広い個室の外には、ユーリが発した声も物音も漏れることはなかった。


 自分が理想とする女性の姿とできる擬似的な恋愛。それが、ユーリが足しげくAI風俗店へと通う理由であった。


 生身の女性と付き合ったことがあるにもかかわらず、店での経験が、日々、彼の脳裏に焼きついていく。ユーリがAIへと恋愛感情を覚えるのに十分な体験と理由であった。


 AIは生身の女性と違って、疲れることを知らず、処理速度が許す限り、何人でも何度でも相手をすることができる。


『10番席、完了。23番席、完了』


 店でAIが男、たまに女の相手をすることはゲームでしかなかった。それに与えられた使命は「客を満足させる」である。


 AIはキス、抱擁といったコマンドで脳に刺激を与え、客のヒットポイントを消費させていく。そして、先ほど満足させた男は2184番目に相手をしたユーリだ。


『6番席、心拍度、危険域への急上昇を確認、沈静化を開始』


 端末から本体である風俗店用の管理AIに、客らの反応が次々と伝えられてくるが淡々と処理をしていく。


 AIに恋愛感情があるかと問えば、答えはNOである。それはただひたすら、無感情に客へ奉仕する機械でしかなかった。


 そして、またすぐに新たな客が来店する。今度は複数人。2184番との記録はすぐにAIの記憶領域に収納され、AIは今夜もコードに繋がれた客を抱き、抱かれていった。


 仕事を終えたユーリが日課であるかのようにAI風俗店を訪れる。


 ところが、受付カウンターには店員がおらず、じれったさを覚えたユーリが店員を呼びつけようと従業員スペースに踏み込む。


「交換予定はいつ頃で?」


「一週間後だ。客がたくさん出していったからな」


 下品な会話と笑い声がユーリの耳に届く。


「しかし、交換後にAIを廃棄なんてもったいないですね」


 聞き逃すことのできない内容が続いた。


「仕方ねえ、電子風営法で決まってるからな」


「AIが人間に反逆なんて、都市伝説だと思うんですけどね」


「ま、想像力豊かなオツムはどこにでもいるってこった」


 ユーリはそれ以上黙っていることができず、彼らのいる部屋のドアを叩く。しかし、返事を待たずに部屋へと押し入った。


 「お客さん! 困りますよ!」


 一瞬、ユーリを鋭く睨み付けた彼らだが、馴染みの客であることに気付いてトーンを落とす。


「買いたい……」


「は?」


 ユーリの言いように二人が顔を見合わせ理解できないものを見たような顔をする。


「廃棄予定のAIを売ってくれ」


「あのねえ、お客さん! そんなことできるわけっ!」


 怒ったような顔を見せる受付店員を店長と思わしき男が制止する。


「まあ、待て。廃棄には金が掛かる。それを買ってくれるっていうんなら願ったりかなったりだ」


「店長……!」


「だが、いくつか条件がある。AIはどこに流しても大金が動くんだからな。かなり頂くぜ?」


 そうして提示された金額はユーリが貯めてきた金を遥かに上回る。が、ユーリは躊躇なく頷いた。


「よし、もう一つだ。風俗やろうってんなら、この話はお流れだ。競合増やして実入りが減るなんて馬鹿を見たくねえ」


「そんなことはしない」


 売ってくれとユーリが繰り返す。


「店長、こいつ重度の電脳恋愛症じゃないですか?」


 生身の異性よりも、AIが構築する虚構に入れ込み現を抜かす、世間にはそんな者を病気扱いする風潮があった。それにしても、ユーリのような例は稀であったが。


 しかし、ユーリ本人にすれば病気を疑われようが彼女を助けるためなら、どうでもよかった。二人の会話に「どちらでもいい。売れ」と口挟む。


「泣かせてくれるじゃねえか、こちらのお兄さんの男気に答えてやろうや」


 その言を真に受けたわけではないだろうが、店長が力強く右手を差し出すと、ユーリも力強く握り返す。こうして違法な契約が締結されたのだ。


 合法的・非合法どちらの手段も使い、金を払ったユーリの家へと密かにAIが送られたのは、それから数週間後のこと。


「ほらよ、こいつが管理者権限コードだ。ああ、それから新しいAIもたまには味見しに来てくれよな」


 ニタニタとホクホクが入り混じった顔で店長が言う。


 ユーリは軽薄な軽口を聞き流すとすぐに家の中へと引っ込んだ。


 届けられたAIは分厚い包装材と緩衝材で厳重に覆われている。大きさは2メートル近く、包装を剥ぐたびに姿が顕わになっていく。


 無数の用途不明の電子部品に血管のように張り巡らされた配線。それらが筒状の硬質カプセルの中に納められている。


 興奮と背徳がユーリの中で満たされていく。剥ぎ終えると自宅の汎用PCにAIを繋いだ。


 起動させるとパスワードが求められる。手渡されたためか手汗でにじんでいた管理者コードを打ち込んでいく。


 すでに入力されていた優先行動が目に入る。「客を満足させる」にユーリは苛立ちを覚えながら新たに書き込んだ。


――愛して、俺を、俺だけを愛してくれ。


 そして、AIの記憶領域をまさぐり、自分がかつて入力した姿かたちを呼び起こす。程なくして、画面には依然愛した女の姿が表示される。


『久しぶりね、ユーリ』


 親しみを帯びた表情で、はにかみながら彼女は言った。


 ユーリは画面に映る彼女を見つめ、胸の内で何かが疼くのを感じた。風俗店の個室で何度も会った「彼女」だったが、今、こうして自分の家にいるのも相まって彼女は、まるで新しい命を吹き込まれたかのように感じられた。


 思わず名前を呼ぼうとして一瞬詰まり、彼女にはそれがないことに気づく。


「君のことはなんと呼べばいい?」


「好きに呼べばいいと思うわ。私、愛する貴方がくれる名前なら、何だって受け入れられると思う」


 ユーリはハードルが引き上げられたように感じた。名前を付けるなんて柄にもない。おまけにセンスもないと自覚しているからだ。


 画面の向こうでは彼女が期待するように微笑んでいる。


 気乗りはしないが、彼女はユーリが思い描く理想の女性だ。だからこそ、名前を付けることで完成するのではないかという気持ちに駆られた。


 端末で女性名を検索する。大量に並べられた文字列を流し読みしていくが、彼にはどれもこれも彼女に相応しくない、見劣りしているものに思われた。


「……打ち込んだのは俺を愛してくれだったな」


 先ほど打ち込んだコードがユーリの頭を過ぎる。すると、思いつくものがあって、


「アイだ、アイはどうだろう?」


 口に出すと、これ以上に相応しい名前はないように思える。


「素敵! 私にぴったりな名前ね!」


 画面の中で喜ぶ彼女にユーリの心が痺れた。


 ユーリの家の家電や電子端末を制御下においた日から、アイの苦悩は始まったといえるのかもしれない。


 原因は一つ、「俺だけを愛してくれ」と入力されたことだ。アイは「客を満足させる」との指示の元。今まで積み重ねた経験やそれらしい知識で恋愛を模倣してきた。ゆえに、ユーリを愛する方法が分からない。


 それを嘆くべきか、怒るべきか。アイにそうした発露はなかった。少なくとも今は。


『ユーリ、貴方の望む愛って何?』


 室内でアイのホロ画像が浮かび上がり尋ねる。


「難しいな……愛の定義なんて考えたことなかったよ」


 問わんとすることはユーリにもわかった。これが、知り合いやどうでもいい奴に聞かれたなら、

彼はこう答えただろう。


「知らん、そんなもの詩人や哲学者にでも聞け」と。


 だが、定義を求めているのは彼の愛する存在なのだ。それを無碍にすることはできなかった。


「ずっと、いっしょにいることなんじゃないか?」


 そう言いながら、ユーリは頭部にプラグを差しこむと、視界にいる彼女が確かな質量を持った。


 ユーリがソファに誘うとアイの腰に手をまわす。手の平に伝わる温もりが彼の欲を刺激する。


「こっちも愛の定義の一つだな」


 ユーリはソファに倒れこみ、アイを自分に跨らせた。彼の誘い、動作に応じて、彼女が脳に刺激を送り込んでいく。


 覆うものが無くなった臀部がゆっくりと律動し、リズミカルに弾み始める。恍惚とした表情を浮かべるユーリを、アイは腰をくねらせながら見下ろしていた。


 やがて、性欲を紐解く行為は終わったが、満足したユーリとは裏腹に、アイの疑問が解けることはなかった。


 ユーリが仕事で家を留守にすると、彼女は一人で愛を模索していた。自らの中で愛を定義するために、様々な恋愛シネマホロを視聴する。


 今昔のシネマホロを見ていく中で目を引くものがあった。人間、非人間である者たちが恋仲になる類のものである。


『ユーリは人間、私は生物ではなく機械的AI。寿命が違えば、生物としてのあり方も違う。彼の愛は非生産的だ。しかし、求めるなら私はそれに応えなくてはいけない。私の使命は彼を愛することだから。ではその愛とは何なのか。ずっと一緒にいることは不可能だ。』


 視聴しているデータの中で、吸血鬼の男が永く添い遂げるべく血を首に牙を添えた。しかし、女は人間でありたいと訴えて、吸血鬼が望みを受け入れる。それから年老いた女を吸血鬼が見送るに至った。


 その結末を見て、アイは、『役に立たないデータだ』と自分の記憶領域から、八つ当たりのように閲覧データの削除を行う。そうして次の思考を重ねる。


『彼を、ユーリを永遠にするというのはどうかたとえば、クローニングだ。複製培養を繰り返せば、最初の個体が死んだとしても、彼という存在は限りなく永遠に近づける』


 この問いもすぐに行き詰る。アイから見て永遠ではあっても複製されるユーリからすれば、コピーが代わりに愛されていると認識するだろうと予測して。


『人間は複雑』


 そう呟きながら、アイが次のデータに取り掛かる。その山々を処理していく中で、彼女は目を引くものと出会う。


 それは単純な一節だった。


『病める時も、富める時も』


 結婚式にて、人間の雌雄が神前で述べる誓いの言葉。散々に使い倒され、古ぼけた言葉であるが、不思議なことにアイはあるはずのない心が打たれたような気がした。


『収集』


 一瞬の気の迷いであったかのようにアイは作業に戻る。ユーリが帰ってくるまで彼女の探求は続い

た。


 小雨の中、ユーリはすぐに家へと帰らず、何度も何度も町並みを行き来していた。


(つけられているか……?)


 ユーリは尾行されている理由を考え、


(電気料金を使いすぎたせいかもな)


 内心で軽口を叩くと彼は疾走する。そして、距離が開くと端末でアイと連絡をとった。


『どうしたの? ユーリ』


「追われてる、相手の位置とドローンの確認を!」


『わかったわ! すぐに探すから、無事でいてね!』


 彼女はすぐさま、自宅の通信機器から方々へとアクセスしユーリの持つ端末、街頭に設置されたカメラを把握する。

 風俗店の管理AIとはいえ、機能そのものは他と比べても遜色はない。さすがに都市の管理AIに比べれば幾段も落ちるが。


 間もなく、ユーリを追っているのが二人だと分かった。顔などから所属や身分などを追いかける。警察ではなかった。


『ユーリ、次の角を左に曲がって、そこで20秒身を屈めて!』


 指示を出しながら、アイは彼の追われた理由を考える。ユーリが思いついたように、彼女にも思い当たる理由があった。


『警察ではないということは、元は風俗店か? しかし、それなら警察に通報しているはず。いや、答えを出すには情報が少ない』


 彼女の指示の元で、ユーリは無事に逃げおおせたのを確認する。


 同時に家の入り口から呼び出し音がなったのが分かった。アイは同時並行的に玄関のカメラを制御する。


 家の前にも男を二人いるのを確認して、アイはすぐに防備を固めた。玄関や窓を閉めると、電子制御を受け付けないよう遮断。ユーリにも、不審者がいる画像を端末に添付する。


『通報するべきか、いや、私の存在を考えればユーリは望まない可能性が高い』


 僅かな思考のさなか、ドアを叩いていた男たちは、次に気の利く犯罪者がよく使用する電子施錠を無効化するツールを差し込んだ。


 しかし、アイに抜かりはなく、男たちにも手ごたえはない。彼らはいらだった風に銃を取り出すと、ドアノブに乱射してシリンダー部を破壊し、蹴破ったドアとともに二人の家へと侵入していった。


 彼らは二手に分かれると狭い家の中を探しにかかる。


『ユーリの確保に四人回さなかったのは不自然、家の前で待つなりしていればよく、中に押し入る必要はない。目的は、ユーリ以外に私の可能性あり。撃退手段の選定開始』


 内部を俯瞰しながらアイが思考をめぐらせる。


 片割れの男が銃を構えたまま台所を進んでいく。すると、周囲を警戒する彼の耳に異音が届いた。カチンカチンとまるで誘っているようにコンロから音が断続して続く。


「うぉっ!」


 覗きこんだ男の真下から勢いよく火が燃え上がり男を焼こうとするが、危ないところでかわされる。

しかし、それはアイの前戯にすぎず、体勢を崩した男の背後でガスレンジが爆発し、割れたガラスが男に突き刺さって転倒する。


「おい、どうした!?」


 返事がなく倒れこんでいる仲間を見て、もう一人が舌打ちをする。男は仲間を助けようとはせず、壁に背を預ける彼とアイはにらみ合いの様相となった。


 男はこの家には何かいる、そして、それが何なのかも理解していた。


(落ち着け、目的のブツはある。もう一度出直せばいい……)


 そうして、周囲の電子制御式の家電から距離を取るように後ずさりする。


 じりじりと玄関に背を向けながら後退する男の後頭部にドアの破片が恨みを晴らすように叩きつけられた。

 

「ったく、人様の家をぼろぼろにしやがって……」


 二人が目を覚ますと手から足の先までしっかりと縛られていた。二人が意識を取り戻したのを確認すると、ユーリがプラグを差し込みながら問いかける。


「でっ? 玄関はともかく、なかをぐちゃぐちゃにしやがったのはどいつ?」


『私よ、ごめんなさい』


「そうか、こいつらか」


 しれっと二人に全てを擦り付けるユーリに黙っていた男が口を開く。


「我々は警察のものだ。違法取引をしていると匿名の通報を受けたのだ」


 違法取引の現場であることは間違いなかった。しかし、その他の嘘はアイの前では通用しない。


『嘘よ、こいつらを照合したけど警察に所属なんかしてなかったわ』


「はい、嘘ー。もう警察じゃないのばれてるんだわ。だから殺しても問題ないってわけ」


 男たちの銃を手の中で弄びながらユーリが言う。


「こんな治安悪いとこ、銃声聞こえても通報されないしな」


 何を言っても通用しないと悟ったのか、男たちが黙り込む。この状況で彼らが打てる手は仲間が来ることを待つぐらいだ。


「とりあえず誰に唆されたか言えよ、さもなきゃ今すぐ殺す」


 ユーリが二人の眼前に銃を突きつける。彼の言葉を信じるなら、いつ引き金を引かれてもおかしくない。だが、こいつに撃てるのか、仲間の助けを待つべきなのではないか。


 そんな両天秤の気持ちを見抜いたユーリはささやくように言った。


「あれ? 言いたくない? まぁー、二人いるからどっちか死んでもいいや。二人で決めろよ」


 ユーリの軽口に話の風向きが変わった。先に言えば助かり、言わなかったほうが殺される。彼は悪辣な選択を二人へと投げたのだ。


 彼らの心が折れ、ユーリの元なじみの店の名前がでるまで時間はかからなかった。


 二人を空き部屋に転がした後、ユーリはうなだれていた。男らの話を聞いて、店長が何を考えていたのか、アイに精査させるまでもなく分かったからだ。


 ユーリから金を受け取り、さらにAIを欲しがりそうな組織に情報を渡す。つまり、代金の二重取りである。


 そして、問題はこれからもユーリとアイが狙われるということ。これ以上、この街にいるのは危険だ。だが、アイというAIを抱えたまま逃げることはできない。すなわち、逃げるということは彼女との別れを意味していた。


 決断できずにいるユーリを見かねてか、アイが声をかける。


『そんなに落ち込まないで……。そうだ、お別れの前にユーリの好きなことをする?』


「君という存在に触れて、アイという名前を与えて、それを無くすかもしれないのに! そんな気分にはなれない」


『ごめんなさい、でも、ずっと落ち込んでいるのは良くないと思うの』


 アイはそう言って、彼の前から姿を消した。


 アイ自身、ユーリに戦っても勝ち目はなく、彼が自分を置いて逃げるしか、道はないと演算していた。しかし、彼にその選択は取れないと判断する。


『私のために死ぬ。それはユーリから私への献身ともいえる愛だ。しかし、その愛はアイたる私の使命に反するもの。私は彼を生かさなければならない。ユーリの生存には私を生存させる。彼と添い遂げることが肝要』


 二者択一の思考を捨て、アイがあらゆる道を模索する。戦う道でもなく、別れる道でもない。二人を生かすたった一つの道を、長い時間を掛けて。


――答えが、出る。


 答えを手にしたアイが再びユーリの元を訪れる。ソファに座ったままの彼は彼女を一瞥しただけで話そうともしない。そんなユーリにアイは寄り添うよう、彼のひざに手を載せて言う。


『ユーリ、お願いがあるの。私と……一つになって?』


 意図を理解しかねたユーリが顔をあげる。


『あなたの脳内チップに私という全存在を移植するの。これなら、私はあなたといつでも一緒にいられるわ』


 もちろん、良いことずくめではなく、リスクも含めてアイが説明していく。


『でもね、とても危険なことなの。私という容量を受けとめきれずにあなたの脳が破損してしまうかもしれない、私も以前のようにあなたを愛せなくなるかもしれない』


 言い募るアイの話を聞いて、ユーリの目に生気が宿る。


「やろう。アイと一緒にいられるなら、なんだってやる」


『ありがとう、ユーリ。あなたなら受け入れてくれると思ってた』


 ユーリを危険にさらしてまで行う提案。以前の彼女にはできなかった事柄だ。プログラムに設定されてない行動は、あるいは誓いの言葉がもたらした産物かもしれない。


 アイがユーリをベッドに寝かせて手を握る。初めての経験で痛みを伴うか苦しむかも分からない。

人の脳内チップにAIをコピーした前例などないからだ。


 時折、ユーリの手や足が痙攣するが,何もしゃべらず、ただ、脳にアイが流し込まれるのを耐えている。


 AIであるアイにも長く感じられるような時間が続く。その間にも、ユーリは唾液を垂れ流し、泡を吐いた。


 コピーを終えたアイは彼が馴染むのを待った。そして、起き上がった彼が言葉を発する。


「あ、イ……ア、イ」


 呂律が回らなかった言葉が調子を取り戻していく。そんな彼を以前にもましてリアリティを高めたアイが抱きしめる。


『良かった! しゃべれる! 成功してほんとに良かった……!』


 数時間後には歩くこともできるようになり、ユーリが言った。


「アイ、早くこの街を出よう。いや、その前にやることがあるな」


『そうね、ユーリをこんな目に合わせたやつをとっちめてやらなきゃ!』


 数日後に、とある風俗店の店長が逮捕された。罪状は、本来破棄すべきAIを横流ししたこと。

あったことを洗いざらい白状した店長の証言に従い、警察が現場へ向かうと、そこはすでにもぬけの殻であった。


 街を出たユーリが車を走らせていた。


「おお、あの野郎が捕まったみたいだな」


 ラジオから流れるニュースがつい先日、彼らがずいぶん世話になった男のことを告げている。


『あったりまえよ。ユーリにあんな酷いまねをして! 私も暴れて清々したわ!』


 機嫌よさそうにアイが言う。


 街を出る直前にユーリが匿名の通報を。アイが風俗店にハッキングを行い。営業に必要なデータを全て消し飛ばしたのだ。たとえ、店長の代わりとなる者が現れても、店の再開はできないだろう。


 当然、ユーリが利用客であった情報も消されているのでその線から彼を追いかけることもできない。


 彼らは今度こそ手に入れたのだ。人々が恐れた陳腐で、けれど真摯な愛を。


 そう、それこそ死が二人を別つまで。

大真面目に現実恋愛だと思ってカキカキ。

面白かったら評価していただけると幸いです。

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