第3話 黄金の自由
王城ザメク城の大広間は、緊張と華美な装飾が異様に混じり合った空気に満ちていた。王選の候補者として選ばれた十人が、初めて公式の場で一堂に会したのだ。磨き上げられた大理石の床に、彼らの不安げな、あるいは野心に満ちた表情が映り込んでいる。
やがて、ベルベットの装束をまとった宮廷詔勅役が、厳かに巻物を広げた。
「国王陛下の崩御を悼み、レフスカ王国の永続を祈念するすべての貴族、そして市民に告ぐ。次代の王を選出するための『選定の試練』は、これより一か月後に執り行う」
広間に、息を呑む音が響く。
「試練の内容、場所、および方式は非公開とする。追って、各候補者には個別に通知されるであろう。以上」
事務的な言葉だけを残し、役人が去っていく。残された候補者たちの間に、抑えきれないどよめきが広がった。
顔見世という名のセレモニーが終わり、重苦しいざわめきの中から城門を抜けたアレクとミラの前に、一人の従者がすっと進み出た。寸分の隙もない礼装に身を包んだその男は、深々と一礼する。
「アレク・コヴァルスキ様、ミラ・ノヴァク様でいらっしゃいますね」
落ち着いた声だった。
「我が主、レオン・ヴェロツキ伯爵閣下が、お二人にご挨拶を、と。ささやかながら席を設けてお待ち申し上げております」
レオン・ヴェロツキ。その名を聞いた瞬間、周囲の雑踏がわずかに揺れた。五大貴族の筆頭格にして、政界の影の実力者。戦場の一兵士でしかなかったアレクや、パン屋の娘であるミラとは、本来ならば言葉を交わすことすら叶わない雲の上の人物だ。
断るという選択肢は、初めから存在しなかった。
案内されたヴェロツキ伯爵の屋敷は、豪奢でありながら、成金趣味の悪辣さとは無縁の気品に満ちていた。通された応接間で待っていたのは、銀髪を綺麗に撫でつけた、老練な鷲を思わせる男だった。レオン・ヴェロツキ伯爵その人である。
「ようこそ、若き英雄殿。そして、聡明なるお嬢さん」
軽い食事と上質なワインが振る舞われた後、伯爵は穏やかな笑みを崩さぬまま、本題を切り出した。
「さて、君たちを招いたのは他でもない。少々……穏やかではない話をするためだ」
伯爵の目が、鷹のように鋭く光る。
「あの十人の中に、我が国の主権を脅かす『外部勢力の代理人』が紛れ込んでいる。名は伏せるが、そいつが王位に就けば、このレフスカはもはや我々の国ではなくなる」
彼はワイングラスを静かに置いた。
「我々貴族には、王権にさえ屈せぬ誇り高き『黄金の自由』がある。それを守るためだ。コヴァルスキ君、君には、その代理人の野望を砕いてもらいたい」
氷のように冷たい言葉が続く。
「最悪の場合、そいつを『消す』という選択肢も、視野には入れておかねばなるまい。だが……君が捕まるのは面倒だ。あまり勧めはしないがね」
暗殺の唆し。アレクは表情を曇らせたが、もはやこの巨大な陰謀から逃れられないことは理解していた。王国を守りたいという純粋な思いと、不条理に巻き込まれたことへの諦めが、彼の中で奇妙な覚悟を形作る。
「……やってみます。手は、汚さない範囲で」
重い密談が終わり、張り詰めた空気がわずかに緩んだ時、ずっと黙っていたミラがぽつりと口を開いた。
「あの、伯爵さま。私のような市民まで、どうしてこの場に?」
その素朴な問いに、伯爵は悪びれもせずに答えた。
「……数合わせだ。候補者は、どうしても十人必要だった。ただ、それだけのことだよ」
静寂が、部屋を支配した。
次の瞬間、ミラが小さな声で笑い出した。
「あはは……」
それにつられるように、アレクもまた、乾いた笑いを漏らした。
「……はは……」
顔を見合わせ、二人は自分たちの置かれた立場のあまりの不条理さに、笑うしかなかった。
壮麗な屋敷を後にし、夜空の下を二人で歩く。満天の星が、皮肉なほどに美しかった。
「……数合わせ、ね」
ミラが、吐き捨てるように言った。
「だったら、せめて意味のある一票になってやるわ」
その横顔には、もう先程までの戸惑いはなかった。彼女の瞳に宿る力強い光を見て、アレクは静かに頷く。
「そうだな。そうしよう」
かくして、英雄と数合わせの少女は、見えざる敵を探し出すための、奇妙な共犯関係を結んだ。一か月後に迫る『選定の試練』に向けて、彼らの探り合いの日々が始まろうとしていた。