98. オッグ男爵家
オッグ男爵家の別荘は勢いのある商家に相応しい豪邸だった。デイジーを預かっていることもありオッグ男爵へ直接挨拶をしたかったのだけれど、残念ながらオッグ男爵は外国へ商談に行っているためこちらには来られないらしい。
私たちはデイジー主催の饗しを受け、その厚遇を十分に堪能したところで寝室へ移動した。
扉を閉め、エドワードと二人きりになった瞬間、ずんと空気が重くなる。私は下を向いたまま呟いた。
「……役に立てなくてごめんなさい」
事故現場で何も見つけることができなかった。当たり前だ。事故からもう六年も経っているのだ。ランドルフが証拠を見逃し、六年間も残しておいてくれているだなんて、そんな甘い話があるわけがない。あるわけがないけれど、どこかで期待してしまっていた。
「そんなことを言うな」
エドワードは私の前まで来ると、慰めるように私の頭に手を置いた。
「証拠が簡単に見つかるなんて思っていない。今までだってそうだった」
今まで彼らは何度、期待をしては当てが外れることを繰り返してきたのだろう。考えるだけで、途方に暮れる。
――そうでもしないと証拠なんて得られないじゃないですか。
いつかシャーロットが言っていた。私はあの時、囮だなんて危ないことをしたって証拠を得られていないじゃないか、と思っていたけれど、今になってその傲慢さに気付かされる。
では、どうすればいいのだろう。ランドルフに新しくなにかを仕掛けさせればいい? どうやって? 今度こそ、私が囮に。
「オフィリア」
名前を呼ばれ顔を上げる。エドワードは両眉を下げて笑っていた。
「夜、疲れている時に考えることは碌なことじゃない。今夜は寝て、明日また作戦を立て直そう」
私の頭に触れていた手を滑らせる。証拠を手に入れられないもどかしさならエドワードの方がずっと感じていただろうに、慰めさせてしまった。そんなことをさせたかったわけではないのに。
「……そうね。寝ましょうか」
私は無力感を飲み込んで、それでも自分でもわかるほどにぎこちなく笑った。
***
夜に考えることは碌なことじゃない。それも確かに間違ってはいないのだけれど、朝になったからといって状況が好転しているものでもない。むしろ底抜けに明るい朝日を浴びていると虚しさが増す気さえしてくる。
私とエドワードは食堂で朝の紅茶をいただいていた。エドワードも今後のことについて考えるのに忙しいのだろう。私たちの間に会話はなかった。
そうしてそろそろ部屋へ戻ろうかという頃、廊下が騒がしくなった。何があったのかと顔を向けると、ちょうど扉の向こうからオッグ男爵が姿を現した。
「ようこそいらっしゃいました、グレイ公爵閣下、夫人! 昨日はお迎えできず申し訳ございませんでした!」
私とエドワードは驚いて立ち上がった。
「オッグ男爵! いらっしゃらないと伺っておりました」
「ええ、その予定だったのですが、公爵閣下がいらっしゃるならばと急いで仕事を終わらせて戻ってきたのですよ!」
オッグ男爵は恰幅のいい体を揺らしながら大声で笑った。景気のいいその声に、沈んでいた気分が晴れていく気がする。
「いやはや、何もないところでございますが、滞在中はごゆっくりお過ごしください! 宜しければこの後、屋敷をご案内させていただきたく存じますが、いかがでしょうか?」
「男爵から直々にご案内いただけるとは光栄です。是非、お願いしたい」
ではさっそく、とオッグ男爵は意気込んだ。今後のことについて考える時間は欲しかったけれど、元々この別荘には数日世話になる予定だったため男爵直々の案内は嬉しい限りだ。私たちはこちらを見ながら器用に進むオッグ男爵に着いていった。
王都から離れた別荘であるにもかかわらず、オッグ家の別荘は目を見張るものがあった。調度品は外国製のものも多かったけれどそのどれもが調和を保っていたし、飾られている美術品は有名作家の作品から滅多に見ることのできない希少なものまであった。
商人家系が授爵するのは簡単なことではない。オッグ男爵からはその関門を超えてきただけの力を感じさせられた。
屋敷の案内が一通り終わった頃、オッグ閣下は揉み手をしながら言った。
「我が商会は海運業から始まり特産品の売買から貿易業に手を広げましたが、実は鉱物資源の取引実績も豊富なのですよ。採集道具の取り扱いもございますし、バベロ鉱山で採掘された鉱石の運搬は我が商会が担っておりまして、知見も十分にあります。是非、閣下のお力になりたいところでございます!」
デイジーが私の侍女に立候補した時、オッグ男爵が鉱山開発事業に関わりたいと息巻いていた、と言っていたことを思い出した。どうやらそれは方便ではなかったようだ。
エドワードは少し笑って、オッグ男爵に手を差し出した。
「それは心強い。別途、ビジネスの話をするお時間をいただきましょう」
「ええ、ええ! 時間なんていつでも作りますとも!」
オッグ男爵は今まで以上に声を高くして喜んだ。デイジーはオッグ男爵の素直な性格を受け継いでいるのかもしれない。
オッグ男爵は次に、中庭の案内を始めた。季節柄小ぶりな花ばかりではあったが、それがいっそ品よく見せている。
「公爵閣下のタウンハウスは中庭も美しいのだと、娘より伺っております。夫人のご趣味でしょうか」
「……ええ。ご令嬢とはよく話されるのですか?」
私はつい最近までタウンハウスの庭に口出しするほどの存在感もなかったのだけれど。そんなことを言えるわけもなく話を逸らした。オッグ男爵はさすが商人で、私の意図も感じ取ってくれたみたいだ。
「ええ、公爵夫人にお仕えさせていただいてからのことは、娘からよく伺っております。そうだ、夫人は確か、馬がお好きだとか」
「え? ええ。そんなことまで?」
私はどきりとする。馬の話なんて、デイジーに言っただろうか。
「いえね、先日まで滞在していた所では公爵夫人が幾度も厩舎を訪ねていた、と、娘からの手紙に書いてあったのですよ。娘も商人の子ですからね、気遣いはまだまだですが、一端に人の観察はできるようです。そんなことよりも、ほら、馬は商会の要でございましょう? 私も馬には一家言ございまして。よろしければ、我が商会自慢の馬たちもご紹介進ぜましょう!」
オッグ男爵はパチンと指を鳴らした。
デイジーに情報の取り扱いについて再度話さなければと思いながらも、男爵の歌うように話立てる話術がすっかり好きになってしまっていた私は声を弾ませながら答えた。
「ええ、是非、ご紹介ください!」
「お任せください! 公爵閣下も、もしお気に召した馬がありましたら仰ってください! 進呈いたしますよ! さあ、皆で厩舎に向かいましょう!」
男爵はステップでも踏むかのように厩舎へ向かう。私はつられて走りたくなるのを我慢しながら男爵のあとをついていった。
しばらくすると大きな厩舎が見えてくる。さすがオッグ男爵家だ。ただの別荘なのに、ハリディ家の厩舎の三倍はあるだろう。厩舎の周りでは使用人たちが忙しなく働いている。
オッグ男爵は近くにいた使用人に声をかけた。
「おい、エリオット! いい馬を二、三頭、持ってきてくれ! 一番いい馬だぞ!」
エリオットと呼ばれた男が振り向いた。男は土で汚れた頬をものともせずにへぇ、と笑う。その声に聞き覚えがある気がして、私は頭を巡らせた。どこで聞いた声だろう。
男は私たちに向けて、お客様でございますか、と言った。いやぁ。お綺麗なご婦人でございますね。そのまま私に視線を向ける。
――時間がスロウになったように感じた。男は細められていた瞼をゆっくりと開いていく。水色がかった瞳が姿を表し、ガラス玉のようにぎらりと光った。私はこの男を知っている。
「……オ、オフィリアお嬢様!?」
男は――ハリディ家で御者をしていたエルトンは、声を裏返して叫んだ。
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