96. 愛するに値しない人を 2
「私がランドルフの養子だということは知っている?」
エセルとハリエットは頷く。デイジーは頭に疑問符を浮かべたような顔をして、カレンは確かめるように聞いた。
「奥様のご両親が亡くなられた際に、遠縁のランドルフ侯爵家に引き取られたという噂は伺っています」
「それは間違った噂ね。私はランドルフ侯爵家とは何の関係もない、ハリディ男爵家という家門出身なの。数日前まで滞在していたあの一帯を領有していた家門よ」
「男爵家出身だったのですか!?」
デイジーが驚いたように声を上げる。私はなんだか、彼女たちを騙していた気分になる。
「あれ? でしたらどうしてランドルフ侯爵家の養子になられたのですか?」
デイジーの質問に、私は曖昧に笑った。それだけで彼女は理解してくれたのか、それ以上同じ質問をすることはなかった。
「ハリディ男爵家とグレイ公爵家は昔から深い仲で、私とエドワードは幼い頃から友人だったの。私の楽しい記憶には、いつだって隣にエドワードがいた。エドワードは私のために花冠を編んでくれて、私が熱を出した日は夜中手を握ってくれて、私を何よりも大切にしてくれる人だったの」
「信じられません……」
ヒラリーはまだ少し怒っているようだった。
「それなのにどうして、奥様にあんな扱いを」
「シェルヴァ公国がエスピナ王国と戦争をしていたことは知っているわね」
今度は全員が頷いた。
「……悍ましい戦争だったの。その間にエドワードの立場や負うべき責任が変わってしまったし、私もランドルフ侯爵家の養子になった。私たちはあの戦争を境に、子どもの頃の私たちでいられなくなったんだと思う」
もう二度と間違うことのできないエドワード。シェルヴァ公国を貶めたランドルフ侯爵家の私。私たちは、子どもの頃のように笑い合うことはできなかった。
「私もね、エドワードのことを酷い人だと思っていたわ。戦争から帰ってきたエドワードは、昔のことなんてなかったように私のことを忘れた振りをして。本当に、酷い人。……でもね」
声が震えた。けれど、彼女たちの前で弱く見えないよう深く息を吐く。
「人間は、案外脆い。何かを奪われたり、傷つけられたりすると、本来のその人とは違う性質に歪んでしまうことがあるんだと思う」
思えばそれは、エドワードに限った話ではなかった。
私を騙し、盾にしたカーティス王子も、生まれる前から命の危険に晒されてきたことに加え、弟君を討って王位につかなければならない重圧から歪んでしまったところもあるのだろう。
あの優しいシャーロットでさえそうだ。両親の話をする時、攻撃的な口調になった。
私だってそうだ。私だって、……今もまだ、私が本来の私であると言えるのか分からない。
私たちはきっと、簡単に壊れてしまう。
「……分かる気がします。私も、そうでしたから」
ヒラリーが言った。おそらく、婚約破棄をされた時のことを思い出しているのだろう。私のことを思って怒るような心優しい彼女は、かつて私を嘲笑していた。
「でも、それって損じゃないですか? この人は歪んでしまったのよ、なんて許してばかりいたら、こっちが傷つくばかりじゃないですか」
デイジーが言う。損、という表現がいかにも商人の娘らしい言葉選びだ。
「もちろん、全ての人に寄り添わなければいけないとは思わないわ」
「奥様は以前ヒラリーに仰っていましたね。自分のことを愛しているなら、自分を大切にしてくれない人なんてどうでもよくなる、と」
そう言ったのはカレンだ。 自分のことながら、偉そうなことを言ったものだと呆れてしまう。
「そうね。あの頃の私は心からそう思っていたわ。今も全てが間違っているとも思わない。自分を大切にしてあげることが、一番大事」
事実、私はエドワードから逃げようとしていた。私を愛さない彼といることが耐えられなかったから。
「それでも、今は思うの。エドワードが私に酷い扱いをして、酷いことを言って、こんな人はもう愛せないと思った時……本当はそんな時こそ、私は彼の一番側にいて愛していると伝えるべきだった」
エドワードが私の元に現れなかった初夜。私を酷い言葉で傷つけ、突き放し、好きにしろと捨てた日。そのすべてのタイミングが、きっと一番、彼は私の愛を必要としていた。
「そんなぁ、奥様も傷ついていたのに……」
「そうね、デイジー。でも私には、あなたたちがいてくれたでしょう」
私には、私を慰め背中を押してくれるヒューがいた。愛人の振りをしているのに私を好きだと言い、信じてくれたシャーロットがいた。私を友人と呼ぶカーティス王子がいた。私をオフィリアお嬢ちゃんと呼び、慰めてくれるアドルフ様とグレンダ様がいた。それに、社交界で何の力もない私をただ私として慕ってくれるヒラリー、カレン、デイジーがいた。
私の周りには多くの人がいたから、エドワードよりも少しだけ余裕があった。私の方が早くエドワードに優しくできたと言うなら、ただ、それだけの差だったんだと思う。
「説明になったかしら」
ヒラリーの方を向くと、ヒラリーは下唇を突き出したまま頷いた。
「……はい。奥様が仰るなら、私が口を出す話ではないと思いました。ただ、奥様が今後また旦那様に酷いことをされた時は、私は奥様のために何だってしますから」
「ありがとう。頼りにしてるわ」
「それにしても、愛って難しいです!」
デイジーがカラッとした声で言った。
「人と一緒にいて愛するのって、そんなに大らかにならなければいけないのですか? なんだか、一人で生きた方が楽なんじゃないかと思っちゃいます」
「どうでしょうね。他の人たちが夫婦の間でどのような関係を築いているかは私も知らないから」
「……夫婦に限った話ではないのかもしれません」
それまで黙っていたエセルが言った。エセルがこういった話に入ってくるのは珍しく、私たちは彼女の言葉に注目する。エセルも皆の視線に気付いたのか、照れたように咳払いをした。
「つまり、私はここにいる皆が変わってしまって、私が皆に傷つけられたとしても、それでも……愛していると伝えるべきであると……出来るかは分かりませんが、奥様のお話を伺ってそう思いました」
「エセル、私たちのことをそんなに大事に思ってくれていたの!」
ハリエットが驚いて言った。デイジーが続く。
「いつも指導されてばかりの私たちのこと、呆れていると思っていたわ!」
「呆れるわけないじゃない。むしろ、私が何を言っても口うるさい人だと嫌わないあなたたちのことを……とてもいい人たちだと思っていたわ」
「嘘ぉ、言ってよぉ!」
彼女たちがはしゃぐ姿を、私はほほえましく眺めていた。彼女たちは侍女生活を送る間に、気軽に話せる友人になっていたようだ。
彼女たちが今後の人生を何の悲しみも知らぬまま歩めればいいと思う。一方で、それはきっと、難しいことなのだろう。
けれど……彼女たちが自分を自分のまま保てないような出来事に出遭ってしまったとしても、ここにいる友人たちが愛を与えてあげるのだろうか。そうであればいい。どうか、そうであってくれ。
馬車は走る。私たちは少女のように、愛だ、友情だなんて夢のようなことを話し続けていた。




