95. 愛するに値しない人を 1
故郷での一週間は驚くほど早く過ぎていった。
最終日に屋敷を発つ際、叔父はぶっきらぼうに「いつでも帰ってくるといい」と言った。故郷を売った私がこの土地を帰る場所だと思っていいのだろうか。思う度に、自己嫌悪に陶酔するよりもランドルフの謀略の証拠を掴むことに集中すべきだと己を奮い立たせた。
そうして父母の軌跡を辿り始めて三日目。――今日は事故現場の調査を行う日だ。
私は朝から侍女たちと同じ馬車で移動していた。移動中に仕事の書類を片付けたいから馬車を分けたとエドワードは言っていたけれど、案外私への気遣いだったのかもしれない。侍女たちといると私はどうしても公爵夫人として見栄を張ってしまう。見栄を張っている間は、父母の事故を思い出して過去に引きづられることもない。
思い悩む暇もなく旅は進んでいく。昼前には予定通り補給地に着き、何度目かの休息を済ませていた。そろそろ出発しようかと馬車に乗り込もうとした時、侍女が一人足りないことに気付く。デイジーだ。
今夜はオッグ男爵家の所有する別荘に宿泊する予定だ。オッグ男爵令嬢であるデイジーはずっと連絡係をしてくれていたから、おそらくその対応に手間取っているのだろう。数分後、道の向こうからデイジーが走ってくる。
「申し訳ございません! ポストハウスでの手続きに時間がかかってしまい、遅くなりました!」
デイジーは相当急いだのか、息が上がっていた。大した遅れではないと言って、私たちは馬車に乗り込んだ。
デイジーは先ほどポストハウスで受け取ったであろう手紙を確認していた。邪魔をしないよう、私たちは自然と会話を控える。
不意に、デイジーははっと小さな息を漏らした。何か不都合でもあったのだろうか、隣に座っているエセルに耳打ちをする。エセルがそれに対して頷くと、デイジーは私の方に向き直り、おずおずと言った。
「……あの、奥様」
「何かしら」
「本日滞在予定の別荘について、寝室の割り当て案が上がっております。こちらで問題ないか、お目通しください」
私は手紙を受け取った。そうしてすぐに、彼女が恐縮していた理由が分かった。部屋割りの提案には『グレイ公爵夫妻寝室』と書かれている。
彼女たちは一度私たち夫婦の寝室の扱いで失敗をしている。だからこそ慎重に確認すべきと判断したのだろう。歌劇の真似をして妙な謀をしていた時と比べると随分思慮深くなったようだ。私は彼女たちの成長を嬉しく思いながら、デイジーに手紙を返した。
「問題ないわ。次の補給地で返事をしておいて」
故郷で過ごす間、何度かエドワードと寝室を共にした。けれど、私たちには夫婦の営みと言えるような行為が起こることはなかった。ただ子どものように話をして、じゃれあって、キスをして眠る。ランドルフの望んだようなことは起こらない。であれば、寝室を分ける必要もないだろう。
「本当に、これでよろしいのですね」
デイジーが再度確認した。
「全てお目通しされましたか。特に、このあたりを!」
「確認したわ」
「本当ですね! こちらでいいと回答しますよ!」
夫婦が寝室を同じくすることは恥ずかしいことでもないのに、そう何度も聞かれると胸の奥がむず痒くなる。私は彼女から目を逸らして「問題ないわよ」と呟いた。
「……奥様。無礼を承知で窺ってもよろしいでしょうか」
そう言ったのはヒラリーだった。振り向けば、緊張した面持ちで私を見つめている。ただならぬ雰囲気に押されて、私は反射的に「どうぞ」と返した。
ヒラリーは覚悟を決めるように唾を呑んだ。
「奥様は旦那様と……和解、されたのでしょうか」
「……え?」
和解、という仰々しい物言いに押されて私はすぐに返すことができなかった。ヒラリーは私の無言をどのように受け取ったのか、弁解をするように声を荒げる。
「私にこんなことを言う権利はないと分かっています! でも、私はずっと、奥様がひどい扱いを受けていたことを知っています。ですから、どうしても納得できないのです。もちろん奥様が然るべき待遇を受けることを望んでいましたが、それでも……」
「ヒラリー!」
エセルが窘める。それでもヒラリーは止めなかった。
「だって、旦那様は、公爵様は奥様にずっとつらく当たっていたんですよ!? エセルだって知っているはずです!」
「それでもあなたが意見を言っていいことではありません!」
「私は奥様に幸せになってほしいんです! 奥様をあんなふうに扱っていた旦那様が今後も奥様のことを大切にしてくれるのかなんて分からないじゃないですか! それなのに、こんなに簡単に……!」
「二人とも、落ち着いて」
私は慌てて二人を制止した。二人はすぐに「申し訳ありません」と謝る。それでもヒラリーはずっと泣きそうな顔で私を見つめていた。
どうしたものだろう、と思う。まさか、ヒラリーがそんな風に思っていたなんて。
……いいや、私は気付けたはずだ。ヒラリーはずっと、私のことを気にしてくれていた。
初対面の時でさえ周りに合わせて私を嘲笑したものの、その中で謝りに来たのは彼女だけだった。一介の子爵令嬢にとってオーモンド伯爵家やチャイルズ伯爵家からのティーパーティの誘いは社交界での地位を確立するまたとない機会だっただろう。それなのに彼女は、そこでの社交を絶ってまで私を擁護し、関わることを決めた。挙句、社交界で大した立場にないどころか、ブリジア王国とシェルヴァ公国の板挟みという最も危うい立場にいる私の侍女に立候補してくれた。彼女はずっと、私のことを慕ってくれていたのだ。
――私の事情を話すことは彼女たちを国家間の争いに巻き込むことだ。特に侍女である彼女たちは私の月のものの周期を把握している。私がいつエドワードと寝室を共にしたのか、そこでどのような行為が行われたのか、私の体調に変化はあるか。そういったことを知ってしまえば、ランドルフに目をつけられる可能性がある。彼女たちをそんな危険な目に遭わせるわけにはいかない。
だから私は必要最低限のことしか知らせず、彼女たちを意図的に遠ざけていたこともあったのだけれど――私を心配するヒラリーに対して不誠実だったかもしれない。
私は考える。どこまでを彼女たちに伝えてもいいのか。何を話せば危険があるのか。そうして、ふうっと息をついた。
「……私とエドワードは、幼い頃からよく知っている仲なの」
背もたれに寄り掛かる。体の力が抜けて、気持ちまで楽になる気がした。




