88. あの日のこと
「……それで、ここに来た理由は他にあるんだろう」
叔父は話を切り替えるように片手を振った。
私の頭の中はまだ自分がしてしまったことへの罪悪感でいっぱいだったけれど、無理やりに追い出して答えた。
「お父様とお母様が……ランドルフに殺された証拠を探すために来ました」
ハリディ男爵夫妻の事故死はそれだけでは何の話題性もない。けれどそれが、――ブリジア王国がシェルヴァ公国を手放さないために起こした事件であれば?
ランドルフはハリディ男爵夫妻を殺害し、オフィリア・ハリディを養子にした上でグレイ公爵家へ嫁がせた。夫妻殺害の証拠と私の証言があれば、他の状況証拠と合わせてブリジア王国を糾弾できる材料となるだろう。
それに、シェルヴァ公国のことを抜きにしても、私はお父様とお母様の無念を晴らしたかった。
「証拠、か」
叔父は顎を触りながら呟いた。重い瞼がぴくりと動く。
「簡単に見つかるものではないだろうが……まずは事故の報告書をさらってみるのはどうだろうか」
叔父の提案に、私は同意した。
***
叔父は私たちを自身の執務室へと案内した。
私がこの屋敷にいた頃、ここは父の執務室だった。私が父の仕事を代行する時に使っていたのもこの部屋だ。
見たこともない書類。したこともない計算。根本的な理解をしないままに過去の書類の真似だけをしていた日々を思い出すと、抱えると決めたばかりの痛みが胸を締め付けた。
「ああ、これだ」
叔父は資料棚から一冊の綴りを取り出した。
それは、叔父が作成した父母の事故についての報告書だった。領地を発ってから事故に遭うまでの三日間について、実際に通ったルートや時間、乗っていた馬や同行者、事故の状況などが記されている。
私たちは綴りを崩して、それぞれ資料に目を通し始めた。この報告書自体が叔父が領地の管理を任されてから、つまりは事故から時間が経って作成されたものらしく、詳細な状況が分かるものとは言い難い。けれど、それでも私たちは少しでも得られるものがないかと、小さな記述も見逃さないよう確認していった。
違和感を覚えたのは事故当日の報告書だった。
「……ここ、少しおかしい気がする」
私が呟くと、叔父とエドワードは読んでいた資料から目を離し私の方へ視線をやった。私は報告書の一点を指差す。
「王都に行く時にいつも通っていたルートと違うの。このルートでも行けないことはないけれど……」
馬車を走らせることができる舗装された道。利用したことのある補給地点。予約の取りやすい馴染みのホテルや知人の邸宅。そういった制限を受けて、ルートは固定化してくる。わざわざ通い慣れたルートを変えるには相応の理由があるはずだ。
エドワードが近くの資料を手に取った。
「当日の天候は……出発時点では曇り、昼から小雨か。後で調査するが、この程度の雨であれば本来予定していたルートが通行止めにあった可能性は低い」
「雨であれば尚更、足場の悪い道は避けるはずだ」
叔父が言う。事故現場はいつものルートとは違い舗装が行き届いていない森の近くだ。
「いつものルートよりも近道ではあるが、それでも一日も縮まらないこの道をわざわざ選んだ、か」
「ええ。先入観のせいかもしれないけれど、どうしてもこの事故現場を通らせようとしたように思ってしまう」
「御者は……この男か」
エドワードが出した資料を見る。御者の欄にはエルトン、という男の名が記されていた。
「この男のことは覚えているか」
私は頭を捻らせた。
「確か、元々は辻馬車をしていたけれど、旅先で意気投合した父がこの屋敷に連れてきたのだったと思う。父はよく、そういうことをしていたの」
「家族は?」
ランドルフに家族が人質を取られた可能性はあるか、ということだろう。
「どうかしら。この領地にはいなかったと思うけれど、離れて暮らしていたのかもしれないし、今は確かなことは言えないわ」
「雇用契約書には何も書かれていない」
叔父は資料棚からまた違う綴りを取り出してそう言った。
「十年程働いていたのか。であれば家族でなくても親しくしていた者がいるかもしれない」
私はもう一度報告書に目を向ける。この男が生きていれば証言を取ることができたかも知れないのに。
「……この男も事故で」
「ええ、亡くなったわ。ほら、ここ」
私はエドワードに報告書を渡す。
事故現場近くの森の中で、ハリディ家で支給しているコートを着た男の遺体が見つかった。馬に引き摺られたのか、遺体は顔も判別できない程損壊していたそうだ。遺体はハリディ男爵領に持ち帰り、共同墓地に埋葬されている。
私たちはまたしばらく、各々資料を読みふけった。けれども当日の様子が分かるものはそれ以上出てこなかった。
叔父が資料を綴り直しはじめる。そろそろ仕舞いだということなのだろう。私は手元の報告書を叔父に渡しながら言った。
「事故現場に行ってみようと思います」
資料だけ見ても分かることは少なかった。事故から月日は経ってしまっているけれど、父母の通った道を辿れば何か分かるかもしれない。今はそれしか希望がなかった。
「明日の朝発つとすると、三日後には――」
「待ちなさい」
叔父がぴしゃりと言った。集めた資料を立て、端を揃えながら続ける。
「焦りすぎだ。日帰りできる距離でもないのに、明日発てるわけがないだろう」
その通りだ、と思う。確かに私は焦っていた。
「……申し訳ありません」
私が謝ると、叔父は口の右端だけを上げた。また、呆れられたのかもしれない。
「気持ちも分かるが」
叔父は資料棚に綴りを戻しながら言った。
「せっかく故郷に戻って来たんだ。出発の準備が整うまでの間だが、ゆっくりしていきなさい」
「……はい。感謝いたします」
私は焦燥感を燻ぶらせながらも、それ以上できることなんてなくて、ただ頭を下げた。




