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84. 帰省

 馬車の扉を開けた瞬間、湿気った土の匂いがぶわりと私を包み込んだ。少し遅れて馬の匂いが混ざる。相変わらず泥臭くて洗練されていない土地。私はこの土地が好きだった。


「オフィリア」


 声を掛けられ下を向くと、エドワードが手を差し出していた。エドワードは私よりも出発を数日遅らせ馬で来たのだけれど、到着は私よりもわずか早かったようだ。


 私は彼の手を取り、馬車から降りた。ぬかるんだ土が私の靴を汚していく。

 もう、お嬢様ったら。お掃除が大変になるんですから、靴を履き替えてくださいまし。かつての使用人の声が頭に浮かんだ。彼女たちは今もまだこの屋敷にいるのだろうか。


 けれど、私たちを出迎えたのは見覚えのない男だった。


「ようこそいらっしゃいました、グレイ公爵閣下」


 老齢の男は私たちに向かって恭しく頭を下げた。領地の管理が叔父に移ってからは使用人の配置替えもあったのだろう。別に、珍しいことではない。珍しいことではないけれど、それでも考えてしまう。彼らは私に嫌気が差して出て行ったのだろうか。


 執事長を名乗るその男は私たちを屋敷の中に案内した。初対面の男に生まれ育った屋敷を案内されることに言い知れぬ気持ちの悪さを感じる。ここはもうお前の居場所ではないのだ。屋敷の天井から何者かの声が聞こえた気がした。


 応接室に着くと、執事長は言った。


「事前にお伝えしておきました通りマシュー様は夕方まで不在にございます。よろしければ、マシュー様が戻られるまで領内を散策されてはいかがでしょうか」

「ああ、そうしよう」


 エドワードが頷く。

 私はそれに続いて、執事長に侍女たちに屋敷を案内してもらうよう頼んだ。今回の帰省では旅先での振る舞いを学ぶため、五人全員を同行させていた。


 今後の予定を確認した後、執事長と侍女たちが応接室から退室した。

 扉が閉まるとすぐ、私は倒れ込むようにソファに腰を下ろした。


「疲れたか」


 エドワードはソファの背もたれに手を乗せた。彼の親指が一瞬だけ私の背にあたり、すぐに引っ込められる。私はそれに、気付かないふりをする。


「ええ、少し。長旅だったもの」

「散策はやめて、叔父上が戻るまで休んでもいい」


 気遣うエドワードに私は首を振った。


「大丈夫よ。それよりも、行きたい場所があるの」


 言った側から、喉が渇いた。行きたい場所、ではなく、行かなければならない場所と言った方がよかったかもしれない。


 エドワードを見上げる。不安定な気持ちが伝わってしまったのだろうか。エドワードは少しだけ首を傾げて、私の言葉を待った。急かさないでくれたことが有り難かった。


 私は唾を呑み込んで言った。


「……父母に、会いに行こうと思う」


***


 小高い丘にある小さな教会では、見知った神官が私たちを待ち構えていた。


「お久しぶりです、オフィリアお嬢様。お待ちしておりましたよ」


 そう言って笑う神官は記憶よりも老いていて、その顔に刻まれた皺や頼りなくなった白髪は、決して短くはない時が立ったことを否応なく私に見せつけた。


「……久し振りね。ここに来ると連絡はしていなかったと思うけれど」

「お嬢様がお帰りになると伺っておりましたので、こちらにお見えになるのではないかと存じました」

「……そう」


 神官が知っているということは、他の領民たちにも周知されているのだろうか。


「どうぞ、ご案内いたします」


 神官はそう言って歩き出した。私たちは黙って彼の後をついて行く。


 数分歩くと、一層見晴らしのいい広場に着いた。広場にはいくつかの墓碑が並べられている。この地を治めてきた領主やその家族たちの墓だ。


 私たちはある墓碑の前で足を止めた。二つ並んだその墓碑にはたくさんの花が供えられている。花屋で買うようなものではなく、むしろ道端の名も知らぬ花ではあったが、摘まれたばかりだと分かるほど瑞々しく、美しかった。


「お二人は皆に愛されておりました」


 神官は目を細めた。


「領民たちは皆、毎朝かわるがわる花を供えに来るのですよ。そのついでにと歴代領主様方の墓碑も掃除されるものですから、私共の務めもいくらか楽になりました」


 冗談のようにそう言って、神官は元来た道を戻って行った。


 私は二人の墓碑の前に膝をついた。

 手を合わせ、目を瞑ると、頭に浮かぶのは傷だらけになった父母の姿だ。


 お父様、お母様、ここへ来るのが遅くなってしまってごめんなさい。


 帰ってこなければと何度も思っていた。けれど、その度に恐ろしさに襲われて逃げ続けていた。私は本当に、親不孝者だ。


「ご両親は立派な方だった」


 エドワードは私の隣で同じように手を合わせていた。


「開戦したばかりの頃、彼らが奔走してくれたお陰で今の公国がある」

「ええ」


 私たちは立ち上がり、もう一度父母の墓碑に向き直る。名が彫られただけの石に父母の姿を重ねることはできなかった。それよりもむしろ、供えられた花々が父母の人柄を思い出させる。


「父は不思議な人だったわ。特別に話が上手なわけでもなかったのに、気が付けば皆、父のことを好きになっていた」


 男爵という立場であるにもかかわらず高位貴族であるバリー侯爵との関わりがあったのは、父のこの生まれながらの不思議な才のせいだろう。


 バリー侯爵だけではない。父は社交界シーズンの終わりにはいつも新しい友人を作ってきた。それは貴族に限った話ではなく、旅芸人や商人、職人、時には外国の人だっていた。父はとにかく、人が好きだったのだ。人が好きで、人に好かれる人だった。


「叔父とだけは仲がよくなかったみたいだけれど」


 皮肉交じりになってしまったけれど、嫌味が言いたかったわけではない。

 事実、父は叔父とだけは折り合いが悪かった。というよりも、これは昔からいた使用人たちが言っていた話なのだけれど、叔父が父のことを嫌っていたのだ。


 叔父は父と違い、愛想がいい方ではなく、むしろ不器用な人だったそうだ。


 それ自体はただの個性の違いなのだけれど、問題は父よりも叔父の方が領地経営に興味があったことだ。物事に強い執着のない父は叔父が爵位を継ぐことに賛成したのだけれど、祖父は結局、父を後継者に選んだ。


 選ばれなかった叔父は祖父と父を恨み、家を出てからはほとんど領地に顔を出すことはなかった。だから私も、叔父とは数回しか会ったことがない。


 それに、――きっと叔父は、私のことも憎んでいる。


 急に強い風が吹いて、足元がふらついた。

 この土地を守ってきた歴代の領主たちが私を追い出そうとしているのだろうか、なんて考え始めると、それを肯定するように墓碑から恨めし気な声が聞こえてくる。どの面を下げて戻ってきた。この、裏切り者。


「……いきましょうか」


 私はエドワードの手を取って、逃げるように墓所をあとにした。 

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