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80. 侍女教育 2

 天気が良くてよかったと思う。柔らかな日の光は気分を沈ませるのを邪魔してくれる。

 紅茶を淹れる役割はエセルとハリエットに頼んだ。今、余計な指導を増やしたくなかったからだ。茶葉は、あの日アドルフ様にいただいたものを選んだ。少しだけ甘い、優しい香りのする紅茶だ。


 私はクッキーを一つ、口元に運ぶ。視線だけであなたたちもどうぞ、と伝えると、エセルとハリエットはそれに気づき続いた。ヒラリー、カレン、デイジーが、私たちが今クッキーを食べていいの? 謝る立場なのに? と驚いたように二人を見たけれど、エセルが頷くと、おずおずとクッキーに手を伸ばした。


「美味しいでしょう。紅茶はアドルフ様に頂いたものよ」

「美味しいです。先代バリー侯爵は、今期は首都へ戻られているとお聞きしました」

「ええ。機会があれば、あなたたちのことも紹介するわ」


 軽い雑談をする。緊張を解いてほしかったのだ。

 はじめは強張った表情をしていた彼女たちだったけれど、紅茶とクッキーのお陰か、だんだんと和らいでくる。


 そろそろかと思ったところで、私は再度、先ほどの話を始めた。


「話を戻すわね。エセルはどうして反対したの」


 それまでの雑談と変わらない口調で言ったのだけれど、ぴりっと空気が変わる。


「……侍女のやるべきことではないと思いました。奥様からそのような指示はいただいておりませんでしたので」

「侍女の仕事についてよく知っているの?」


 エセルは言いたくなさそうに口を噤んだ。それも一瞬で、すぐに答えてくれる。


「……叔母の侍女の真似事をしていたことがあります。珍しいことですし、事情があってのことで雇用されていたわけではないので、侍女の経験があると言えませんでした」

「そう」


 その経験があったから、彼女が侍女に選ばれたのかもしれない。そういうことは伝えておいてよ、と、私はここにいないエドワードに心の中で文句を言った。


「どうして反対を押し通さなかったの?」


 エセルは珍しく、目をきょろきょろと横に動かした。大丈夫よ、と笑いかけると、苦しそうに眉間をぎゅっと寄せる。


「……私だけ奥様と以前からの交流がなかったため、より奥様のことに詳しい彼女たちに従うべきだと思いました。奥様はそのようなことを望む方なのかと、私が勘違いしてしまったのです」


 私が、と敢えて言うのは、自分の責任であると言いたいのだろう。怒るつもりはないと言っているのに、と思うが、彼女の責任感を責める気にもならなかった。


「話してくれてありがとう。状況が分かったわ」


 私は紅茶を一口飲んだ。何から話せばいいのだろうと悩んで、それでも沈黙が続けばまた彼女たちを怖がらせてしまうのではないかと考え、結局思いついたことから話すことにした。


「『賢女エリーゼ、あるいは恋の薬は理知』の元となった小説を読んだことがあるかしら」


 五人は首を振る。そんなものがあったのも知らない、というような表情だ。


「古い小説だから手に入りづらいものね。元々は、侍女の心構えや礼儀が丁寧に描かれている、指南書の役割もある小説なの。舞台のように面白いものではないのだけれど、例えば貴族の中で暗黙の了解とされている常識だったり、視線の送り方や扇子の開き方、言葉の使い方の裏にどういうものが隠れているかが詳細に説明されていて、主人から出される合図を逃さずに受け取って行動していく物語なのよ」


 私はランドルフ侯爵家の図書館で読んだ小説と舞台化された『賢女エリーゼ、あるいは恋の薬は理知』のことを交互に思い出す。


「舞台というものは人を楽しませるように作られているものよ。だからお話として面白くなるよう、考えもつかないような機転を利かせて派手に解決するという物語に変えられたのだと思う。そうやって作られた舞台の物語は、現実でそのまま使える知識にはならない」


 マナー、礼儀、暗黙の了解、言外に示された意向。そういったものを面倒で、古臭く、ばかばかしいと思う時もある。けれど。


 ランドルフ侯爵家の養子になってすぐ、礼儀のなっていない私は醜い獣だと罵られた。見下され、人間扱いされない恐ろしさを、私は知っている。


 彼女たちがいつまで私の侍女でいるかは分からない。どこかに嫁いでいくかもしれないし、別の誰かに仕えるかもしれない。そういう時に、どんな人と関わるときも胸を張っていられるように教え導くのが、私の責任なのだと思う。


 私は彼女たち、一人ひとりの顔を見ていく。理解してくれただろうか。見ただけで分かるような信頼関係が、私たちにはまだない。だから私は、どうか理解してくれと思って話すしかない。


「エセル」


 私が呼ぶと、「はい」とエセルが返事をする。


「あなただけ侍女になる以前からの関わりがなかったことを気にして身を引くのは当然だと思う。気を遣えなくてごめんなさいね。それでも、あなたはあなたの経験に自信を持ってほしいの」


 アンカーソン伯爵家で、親族相手とはいえ侍女の仕事をしていたのならば、一定以上の教養は身についているはずだ。


「今後、エセルを侍女長とします。意見が分かれた場合はエセルの判断に従いなさい。エセルには他の子たちの言動で侍女として、貴族としてふさわしくないと思ったことがあれば、指導してほしい」


 それがあなたの仕事だと強調する。エセルはあまり人の上に立つことを好ましく思わないのか戸惑ったように見えたけれど、「かしこまりました」とはっきりと言った。他の四人も同じように、かしこまりましたと続いた。


 これでいいのだろうか、と悩む。私の伝えたいことは伝わったのだろうか。エセルを侍女長とするのは、対処として正しいのだろうか。すぐに、考えても仕方がないと言い聞かせた。私だって初心者なのだ。こうやって少しずつ、試していくしかない。


「話は終わりよ」


 私はティーカップに視線をやった。すかさずエセルが「紅茶を淹れなおします」と立ち上がる。「もしよろしければ、今度はヒラリー、カレン、デイジーと一緒に淹れたいのですが」と付け足した。早速自覚を持ってくれているようで、ひとまず安心した。


 紅茶が蒸らされるのを見ながらふうっと息をつく。やっぱり、人を指導するのは苦手だ。


「ここ数日、あなたたちと話す時間がなくて、きっとそのことでより自分たちを責めたと思う。申し訳なかったわね」


 こういうことも、言うべきなのか分からない。それでも伝えることを選ぶのは、彼女たちにかつての自分を重ねてしまうからだと思う。


「私はあなたたちが私の侍女になってくれて嬉しく思っているの。本当よ。だからこんなことで嫌いになったり、罰を与えたりなんてしないわ」

「どうしてですか」


 聞いたのは、ヒラリーだ。


「どうして奥様は、いつも許してくださるのですか」


 いつも、というのが気になって、すぐに、ああ、彼女はまだいつかのお茶会のことを気にしているのだと思った。婚約者と別れて心が荒んでいた彼女が、周りに同調して私を嘲笑った日のことを。

 あの時は許すというほど気にしていないだけだったのだけれど、そういうことを求められているのではないだろう。


「……私もたくさんの失敗をしたから」


 不意に出た言葉が、存外に心臓を締め付けた。彼女たちに教訓として語れるようなものではない、取り返しのつかない私の間違い。

 頭の中を切り替える。今すべきことは自分の愚かさを確認することではないはずだ。


「失敗したことを落ち込んでもどうにもならないけれど、失敗した理由を学んで対策を立てれば同じことは起こらないわ」


 起こってしまったことは、どう足掻いても取り戻せないのだけれど。責める言葉を、追い払う。


「だから対策をして、それが終わったら甘いものを食べて、気持ちを切り替えましょう!」


 空っぽの前向きさも、案外板についていたのかもしれない。侍女たちの顔が少しだけ明るくなる。


「奥様」


 エセルが言う。


「この度は申し訳ありませんでした。今後同じようなことが起こらないよう、誠心誠意務めさせていただきます」

「わ、私もです!」

「私もです、奥様!」


 次々と笑顔になる彼女たちを見て、私もほっとした。


「頼りにしてるわよ」


 新しく淹れられた紅茶はエセルとハリエットの淹れたものよりも渋くて、教えなければならないことはまだまだあるわ、と息をついた。

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