73. 悪夢 2
私は反射的に体を引いて抵抗する。それでもエドワードの力は弱まることはなかった。
「ごめんなさい、勝手に入って……でも、うなされてた、から……」
強く責められると思っていたのだけれど、私の言い訳に返事はなかった。
どうも、様子がおかしい。私は恐る恐る、エドワードに目を向けた。
エドワードの瞳孔は不自然に開いていた。その瞳は小刻みに揺れている。目が合っているのに、私が見えていないようだった。
「エドワード、起きてるの……?」
掴まれていない方の手で、エドワードの頬に触れる。硬く緊張した頬がぴくりと痙攣した。大丈夫だと言うように何度か親指で撫でてやると、次第に私の腕を掴んでいた力が緩んでくる。
そうして完全に私の腕を離したエドワードは、今度は私の背中に手をまわして、私を抱き寄せた。
「オフィリア……」
ようやく聞こえる程の弱々しい声だった。
忙しなく上下する彼の胸からは、不規則な鼓動が伝わってきた。不安を煽る音だった。私は何が起こっているのか分からず混乱していたけれど、黙って彼に抱きしめられるがままにしていた。
しばらくそうしていると、目が暗闇に慣れてきた。
視線の先、机の上にあるものが見えてくる。ワインボトルとグラス、それに、丸薬の入った薬瓶。睡眠薬だろうか、殆ど残ってはいない。
私も以前、折檻による痛みで眠れず、睡眠薬を飲んだことがあった。効果はあったけれど、薬が切れた途端に悪夢と現実の間をさまよう副作用に魘され、常用するのを止めたのだ。
ああ、そうか。
散らばっていた情報から、徐々に状況が理解できていく。エドワードは今、恐ろしい悪夢の中にいるのだ。
頭上からはわずかすすり泣く声が聞こえた。普段の彼からは想像できない声だった。私は彼の背中に手をまわし返した。
「オフィリア」
エドワードの呼ぶ声に頷く。エドワードはどうして、と言って、それきり黙った。私に伝えるための言葉ではなかったのだろう。きっとエドワードは、抱き寄せておきながら、私がいることさえ気付いていない。
――不意に、卑劣な考えが浮かんだ。
あまりにも浅ましいその考えを無理矢理追い出そうとするけれど、すればするほど私の心を蝕んだ。
そんなことをしてはいけない。人の道を外れる行為だ。批判する私を、もう一人の私が嘲笑う。そうしてその思いつきを、私に突きつけた。
今なら、――薬で朦朧とし、現実も分からぬエドワードからなら、本心を聞き出すことができるのではないか。
唾を飲む音が妙に響く。もう、倫理を説く私はいなくなっていた。
私は渇いたままの喉を、小さく、震わせた。
「……何を、聞きたいの?」
エドワードの唇の動きだけに意識が集中した。
あなたは今どんな悪夢の中にいるの。私に何を聞こうとしているの。
もう、探り合うことにも、怯えることにも疲れていた。狡くても、卑怯でも、エドワードの考えていることを知りたい。
固く閉じていたエドワードの唇が、ゆっくりと、開いた。
「どうして一言、信じろと言ってくれないんだ……」
――嘘、だ。
この男は、何を言っているんだ。私はあれほどあなたに信じて欲しいと……! 言い掛けて、言葉を呑んだ。
頭の中をぐるりと記憶が巡っていく。
初夜の夜、エドワードは寝室へ訪れなかった。その日から私は、エドワードと話すことをやめた。
エドワードに疑いを掛けられた時、私はいつも、勝手にしろと一蹴した。
挙句向き合おうと決めた時だって、ただ疑えと、信じなくてもいいと言って、自分から事情を話すこともなく、監視をつけさせた。
――私は一度も、エドワードに信じろと言ったことがなかった……?
知らない、そんなの。あなただって何も言ってくれなかったじゃない。なんで私が悪いみたいに言うのよ、あなたの方が……!
頭が熱くなって、幾つもの言い訳とエドワードを罵る言葉が浮かんだ。けれど考える度に、自分の愚かさが突きつけられるようで虚しくなった。
――ああ、私はまた、間違えてしまったんだ。
エドワードが、また一つ呻いた。喉の奥が苦しくて、息がしづらくなる。
オフィリア。呼ぶ声に、なに、と返す。声を出した途端に、涙が溢れた。苦しい。私の苦しみにエドワードの苦しみが混ざって、余計に苦しくなった。
つむじのあたりに温かいものが落ちてくる。
私は少しだけ離れて、上を向いた。灰色の瞳は虚ろなまま、覚めない悪夢の中にいた。オフィリア。震える声で、エドワードは呟く。
「――君に、会いたい」
私、ここにいるよ。ずっといるのに。
ヒューから聞いたエドワードの過去を思い出していた。信じていた者たちが、彼を、領地を裏切った。今もまだ、どこに反逆者が潜んでいるかもしれない。そんな中、ランドルフから送られてきたのは信頼していた幼馴染の私だった。
何処にも信じられる者がいない地獄。――私がたった一言、信じてほしいと言えば救えたかもしれない地獄で、エドワードは苦しみ続けていた。




