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72. 悪夢 1

 ああ、今、夢の中にいる。


 そう気付く時は珍しくなかった。

 例えば父母が生きている夢。夢だと気付かないまま過ごす時もあるけれど、何回かに一度、急に冷静になるのだ。父母が生きているはずがない、これは夢だ、と。


 そういう時は大体気付いた途端に目が覚めるのだけれど、今日は違った。


 エドワードが私に笑いかけている。こんなものが現実のわけがない。

 そう思った瞬間に、私の体から意識だけがすうっと抜けて、夢を俯瞰して見ることになった。


 夢の中の私はエドワードに何かを言った後、体を返して走り出した。エドワードは焦ったように私を追う。何の意味もない、ただの追いかけっこだ。


 場面が変わった。走り疲れた二人はグレイ侯爵邸の客間、カーペットの上で寝転んでいた。何かを囁き合いながら、いつの間にかまどろんでいく。


 二人の姿を見ながら、ぼんやりと思った。

 私たちは隣で眠ることに躊躇いもなかったはずだ。それなのに今は、どうしてそれができないんだろう。


 横たわる二人に近付くと、私の意識は私の体に吸い込まれていった。体が重みを感じ始める。急激な眠気に襲われて、私は抗うことなく目を閉じた。


 再び目を開けた時には、現実に戻っていた。


 見慣れぬ部屋。エドワードの寝室だ。結局私はここで寝るしかなかったのだ。

 毛布を被り直すとコロンの匂いがした。私の知らないエドワードの匂い。本当に、嫌になる。


 毛布を剥ぎ取り体を起こす。ランプの消えた寝室は、私の気分を落ち込ませるのにちょうど良かった。安心して悲しみに浸れる。


 初めから無理な話だったのかもしれない。私がオフィリア・ランドルフである限り、エドワードは私を信じることができない。少しでも疑わしい行動があるだけで、私の言葉は届かなくなる。


 諦めたくなった。諦めてしまう方が楽だ。私はまた、エドワードのことを忘れた振りをして過ごす。その方が傷つかなくて済む。


 渇いた笑いが出た。寝起きだからか喉が熱くなって、小さく咳き込んだ。情けなくて、また笑う。


 喉が痛い。水を飲もうと枕元のサイドテーブルに手を伸ばすけれど、水差しがなかった。そうか、就寝準備が整う前に私が寝室を使うことになってしまったから。


 立ち上がり、扉まで向かった。我慢できないほどではなかったけれど、この部屋に籠っているのもつらかった。


 キッチンに行けば水差しくらいは置いてあるだろう。

 部屋から出ると足裏に地面の硬さを感じて、なぜだかおかしく思った。薄暗い廊下、壁に手をついて歩き始める。


 私の指先は壁の凹凸を拾っていく。

 壁に片手をつけて進めばどんな迷路でも抜け出せるのだと、いつか読んだ本に書かれていた。このまま歩き続ければ、私はここから抜け出せるのだろうか。抜け出した先には何があるのだろう。


 壁を伝う指先が何か張り出したものに触れた。指を這わすと、それが扉の縁だと分かる。エドワードの執務室の扉だ。心臓が一つ、大きく鳴った。

 手のひらをぴたりと扉に当ててみる。一枚向こうでは、エドワードが眠っている。それなのに、こんなにも遠い。


 ふと、扉が震えた気がした。私は焦って、その場から離れる。

 私が廊下にいると気付かれてしまったのだろうか。恐怖はじわじわと実感に変わって、体が動かなくなる。エドワードが出てきて、私を捕まえて、こんな夜中に何をしようとしたのだと、今度こそ追い出されるかもしれない。


 けれど、どれだけ待っても扉が開くことはなかった。

 もう一度近づく。先ほどと同じように手を当てると、少しして、また扉が震えた。そうして気付く。執務室の中から、エドワードの呻き声が聞こえている。その声が扉を震わせているのだと。


 何が起こっているの? ノブに手を掛けて、すぐに引っ込める。夜中に勝手に執務室に入るなんて、今度こそ言い訳ができないじゃないの。


 躊躇ううちに、一層大きな声がした。

 獣のような低い声に、嫌な想像が掻き立てられる。もしかして、誰かに襲われて苦しんでいるのではないか。例えば、使用人を追い出されたランドルフが、エドワードの暗殺を決行したとか。


 血だらけのエドワードが横たわっている姿が思い浮かんで、鳥肌が立った。

 疑われるかもしれないなんて、どうでもいい。私はもう一度ドアノブを掴んで、扉を開けた。


 部屋の中はいつにも増して暗かった。私は人の気配を探りながら、カーテンの隙間から射す月明かりのみでエドワードを探した。


 デスクにはいない。どこにいるの? そうしてまた、呻きが聞こえる。私は声のする方にゆっくりと足を運んだ。


 エドワードはソファに寝転んでいた。周囲を見回しても彼以外に誰もいない。


「エドワード……?」


 顔を近づけて、彼の様子を見る。怪我はしていないようだ。けれどエドワードはやはり苦しそうに顔を歪めていて、その額に浮かんだ脂汗がわずかな光を反射していた。汗は深く刻まれた眉間の皺を伝ってソファに染みをつくる。


 う、う。また、低い声が洩れた。私は彼の身体を揺すった。


「エドワード、大丈夫? 起きて……、……ッ!」


 エドワードの目が開いたかと思うと、私の腕を強い力で握りしめた。

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