70. 奥様
今日から私の侍女となるご令嬢たち――自ら立候補したヒラリー嬢、カレン嬢、デイジー嬢と、エドワードの選んだエセル嬢、ハリエット嬢を目の前にして、私はどうしたものかと頭を捻らせていた。
新人侍女の教育は通常、先輩侍女が行う。けれど私の――ランドルフ侯爵家から来た侍女たちは全員エドワードが追い出してしまったから、引継ぎを行う人がいないのだ。
「あなたたちの中に侍女の経験がある方はいらっしゃるかしら」
聞けば、五人は揃って首を振る。当たり前だ。今シーズンに社交界デビューしたばかりの若いご令嬢たちなんだから。
「……そう、分かったわ。ええ、そうね……例外的に、私が仕事を教えましょう」
歯切れが悪くなってしまったのも仕方がない。私だって侍女の経験はないのだ。
それでも、一般的な知識や私の侍女たちがしていたことを思い出せば教えられないこともないだろう。
「屋敷全体の案内は他の者に申し付けておきます。今日は、あなたたちの仕事に必要な場所だけ案内するわ」
手始めにドレッシングルームの案内がいいだろうか。扉に体を向けた時、タイミングよくノックが鳴った。
屋敷にいる者たちは皆、今は新人侍女たちを迎える時間だと知っているはずだ。訝しがりながらも返事をすると、扉の外からシャーロットが顔を出した。
「公妃様、お話中に失礼いたします」
「……何かしら」
丁寧に挨拶をしてはいるが、シャーロットの唇は企み事を隠しきれずにむずむずと動いている。なんだか、嫌な予感がする。
シャーロットはよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに、ふんっと鼻を鳴らした。
「公妃様に新しく仕える子たちを見極めにきました!」
見極める、なんて、侍女とはいえ貴族の令嬢たちへ向ける言葉ではない。
「シャーロット。失礼よ」
「……すみません」
シャーロットは頭を下げながらも、変わらない調子で続けた。
「でも、こういうのって最初が肝心じゃないですか。公妃様に意地悪をするような子がいるなら威嚇しておかないと、と思いまして!」
「威嚇?」
「そう、こうやって威嚇します!」
シャーロットは腕を上げて獣の振りをした。その姿がおかしくて、私は侍女たちの前だというのについ笑ってしまう。
私はシェルヴァ公国の一領主でしかないシャーロットに、エドワードと何を話したとか、その結果どう変わったのかとか、そういう内情を話せずにいた。
けれど、ランドルフから来た使用人が全員追い出されたなんて事態に、同じ屋敷で暮らしている彼女が気付かないわけがない。さらにエドワードが選んだ侍女がつけられるものだから、また私が不利な状況になっているのではないかと心配して来てくれたのだろう。
「ほら、もう、腕を下ろして」
笑いを引っ込めて言うと、シャーロットは「はーい」と拗ねたような返事をした。
私はシャーロットを軽く嗜めながら、もう一度、侍女たちに向き直る。
「エセル嬢とハリエット嬢は面識があるかしら。彼女はシャーロット・ブレアム男爵。この屋敷で生活しているから今後も顔を合わせることがあると思うわ」
「どうぞ、よろしくお願いいたします」
シャーロットは侍女たちに礼をした。そうしてすぐに、首をこてんと傾げた。
「あ、公爵様の愛人じゃありませんよ」
「シャーロット!」
「あれ、駄目でしたか?」
駄目ではない。駄目ではないけれど、直接的すぎる。
「ごめんなさいね。こんなことを聞かせて」
「いえ、あの……」
私が謝ると、侍女たちは困ったように顔を見合わせた。
ヒラリー嬢が口を開く。
「私たちも勘違いしておりましたので、その……教えていただいて、よかったです」
次いで、ハリエット嬢が言う。
「私はただの噂だと伺ってはいましたが、お二人がここまで親しい間柄とは存じ上げませんでした」
「お二人はお友だちなんですね!」
デイジー嬢の無邪気な感想に曖昧に笑った。
むしろ、よかったかもしれない。きっとヒラリー嬢たち三人は婉曲的な表現で伝えても汲み取ることはできなかっただろう。
「……そういうことですから、ブレアム男爵にも失礼がないように」
そうして今度は、シャーロットに侍女たちを一人ずつ紹介していく。
やはりエセル嬢とハリエット嬢はシャーロットとの関わりはあったようで、ブレアム男爵閣下に頂いた化粧水を使わせていただいています、と話していた。
全員の紹介が終わったところで、デイジー嬢がおずおずと口を開いた。
「あの、公爵様と公爵夫人は……」
「公妃様、と呼んでくださいな。グレイ公爵家に仕える立場になるのでしょう?」
シャーロットが得意げに訂正した。
確かにデイジー嬢の呼び方は間違っているのだけれど、シャーロットの訂正も間違っているのだから仕様がない。
「二人とも不正解よ」
「あら、すみません」
「……なんと呼べばいいか分かる人は?」
エセル嬢が遠慮がちに手を上げた。
「奥様、でしょうか」
少し、安心した。
「正解よ。と言っても状況によって使い分けなさいね。屋敷の外で一貴族として接するときは今まで通りで問題ありません。屋敷内では、私もあなたたちのことをご令嬢として扱うことはしない。他の使用人と同じように呼ぶわ」
本当は初めからそうすべきだったのだけれど、私も気が抜けていたのだ。改めて、気を引き締めた。
「それで、デイジー。何かしら」
何かを言いかけていたデイジーに向き直る。デイジーは一瞬考えるように上を向いて、すぐに思い出したのか、顔を輝かせて聞いた。
「奥様は、旦那様と仲直りしたんですか!」
……ああ、全く、相変わらずだ。
隣でシャーロットが楽しそうに声を上げて笑った。
「もう、駄目ですよ、そんなことを聞いちゃ! ちょうど関係修復しているところなんですから! ね、公妃様?」
私の反応を探るような目だ。無邪気に隠して、シャーロットも私とエドワードの状況を聞き出そうとしているのだろう。
「……ご心配ありがとう」
肯定とも否定とも取れぬよう返す。
この新人侍女たちにまずすべきことはドレッシングルームの場所や宝飾品の管理方法を教えることでもなく、彼女たちの水準を知ることなのかもしれない。
私は頭の中に組んでいた指導内容を白紙に戻した。
「とにかく一度、お茶にしましょうか」
侍女教育は、思っていたよりもやるべきことが多い。私はその途方のなさに、眩暈がした。




