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61. 本当の気持ち 1

 バリー侯爵邸の応接室。向かいのソファに、いらしたばかりのグレンダ様が腰を下ろす。


「少し、待たせたかしら」

「いえ、そんな……突然のお誘いをお受けしてくださりありがとうございます」


 実際、私が応接室でお待ちした時間は数分だ。

 バルコニーで朝を迎えてすぐグレンダ様に文を出した。早急に返事をもらえてそのまま午前中の訪問となったのだから、長時間待つ覚悟すらしていたのに。


「ちょうど予定もなかったのよ。でも、同席したいと言う夫を女同士の話だからと納得させるのに時間がかかっちゃったわ」


 私がそうお願いしたわけではないけれど、グレンダ様は私の意を汲んでくださったようだ。


「グレイ公爵とのことで相談があるのでしょう」


 優しい誘導に、私は頷いた。


 相談がしたかったのだ。エドワードの事情を知った私がどうすべきなのか。グレンダ様しか話せる人がいなかった。


 私は深呼吸をして、ここに来るまでの間に用意しておいた台詞を取り出した。


「どうすればいいのか、分からなくなってしまったのです」


 私の立場で話してもいいこと、話してはいけないこと。きちんと整理できていた。変なことは言わないはずだ。同じようにまた一つ、選び取る。


「私は私をぞんざいに扱う夫を憎んでいました。私のことなんて忘れてしまったように無視をする夫を……」


 そこまで言って、一瞬、話を続けるのを躊躇った。

 用意していた言葉のはずなのに、口から出た途端に感情から遠ざかっていくような気がしたのだ。


 エドワードを、憎んでいた。本当に私は彼を憎んでいたのだろうか。どこか違和感がある。けれどそれ以外の言葉が見つからなくて、諦める。


「それでも、彼にも事情があったことを知ってしまって、どうすればいいのか、分からなくなってしまって……」


 おかしい。こんな風に言いたかったわけではないのに。

 誰かの物語を話しているみたいだった。私のことじゃない、どこかの誰かの感情。陳腐で、ありきたりで、どこにでもある夫婦のすれ違いの話。


「グレイ公爵と話せばいいんじゃないかしら」


 グレンダ様の返事も、どこか冷めたように聞こえた。


 違和感を感じていても今さら止めることはできず、私の口は無意味に動く。そうですね、エドワードと話してみようと思います。どうも、身が入らない。


 私はグレンダ様に何を聞いてほしかったのだろうか。何を言われたかったのだろうか。分からない。二、三言話しただけで、自分が今、なにを悩んでいるのかも分からなくなってしまった。


 居た堪れなくて俯くと、手をつけていない紅茶の水面が見えた。私の顔が映っているはずなのに、うまく認識できなかった。


 頭上からグレンダ様の長いため息が聞こえた。朝から呼び出したにも拘らずこんなくだらないことしか言えないのかと呆れているのだろうか。


「申し訳、ありません……、こんな……」


 情けなく言い訳を漏らしながら、顔を上げた。


 優しい方だ。厳しく叱りはせずとも苦言を呈されるのだと思っていた。それなのにグレンダ様は、むしろ、笑っていた。仕方のない子ね、と言うように目を細くして、柔らかな声音で私に問いかけた。


「グレイ公爵と話すことが恐ろしい?」


 ――恐ろしい?


 私は用意してきた言葉たちの中に同じものがあるかを探した。恐ろしい。見つからない。だからこそ、考えなければならなかった。


 私はエドワードを恐れていたのだろうか。彼の鋭い眼差しや私を切り捨てるような物言いは、確かに恐ろしいものだった。けれどエドワードが恐ろしいかというと、少し、違う気がする。


 グレンダ様の言ったことをもう一度、頭の中で繰り返す。グレイ公爵と話すことが恐ろしい?


 肺がぎゅっと絞られたように息苦しくなった。エドワードと話す。何を? 呼吸がうまくできなくて、苦しさは全身に波及していく。そうしてやっと、理解した。


 ――ああ、そうか。

 私は、エドワードと話すことが恐ろしくてたまらないんだ。


 自覚した途端、恐怖が洪水のように溢れてくる。


 どうしてあの夜来てくれなかったの。どうして私をいない者として扱うの。それなのに、どうして私のことを忘れてないかのような態度を取るの。どうして、私のことを捨ててくれないの。たくさんのどうしてを、聞くのが恐ろしかった。


 だって、私の望まぬ答えが返ってきたら、私はどうすればいいのだろう。エドワードの口から私のことを憎んでいるのだと聞いてしまったら。

 怖くて、堪らなくて、私は何も気付かないふりをして、逃げ出すことを選んだのだ。

 彼が変わってしまった理由を考えることもできたはずなのに。


「……恐ろしい、です」


 私の声は驚くほど心に馴染んだ。

 彼の事情を知ってしまった今、私はそれでもエドワードと話すのが恐ろしかった。話がしたい、話さなければ。そう思う程に、こわくて、足がすくんだ。そうしてここまで逃げてきた。


「よかったわね。恐ろしいと思えるうちに話した方がいいわ。いつか、本当にどうでもよくなってしまう前に」

「……どうでもいいと、思える時がくるのでしょうか」


 自嘲まぎれに笑うと、グレンダ様は意地悪に口の端を上げた。


「どうかしら。少なくともあなたは三年間、公爵のことをどうでもいいと思えなかったのでしょう」


 三年間。私は三年間、何度も繰り返してきた。どうでもいい。エドワードのことなんて興味がない。私はエドワードのことなんて、何も知りたくない。


「――思えませんでした。何度、言い聞かせても」

「だったらきっと、それが本当の気持ちなのよ」


 諭すようなグレンダ様の言葉を繰り返した。私の、本当の気持ち。

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