52. ランドルフ侯爵邸 1
豪華というより洗練という言葉が似合う装飾。落ち着いた選曲のオーケストラ。ランドルフ侯爵家のパーティはいつもセンスがよくてうんざりしてしまう。
私は賑わう会場を見渡しながらため息をついた。
――数日前。王妃様の離宮に呼び出された。
今度は何を理由に折檻を受けるのだろうと怯えていたのだけれど、王妃様から出されたのは鞭ではなく一枚の封筒だった。
「あなたたち、親しくしているそうじゃないの」
あなたたちというのは、私とエドワードのことだろう。
侍女の誰かが伝えたのだろうか。伝えるまでもないかもしれない。劇場や湖畔なんて人目につくところにいれば当たり前に噂になる。
私はどう返すべきか悩んだけれど、王妃様は特段興味もなかったのだろう。私の返事も待たず、促すように私の手元に視線を移した。
私は急いで封筒を開け、中身を取り出す。白く美しい紙にはランドルフ侯爵家で行われるパーティの案内が書かれていた。
「夫婦で参加しなさい」
「夫婦で、ですか」
でも、エドワードがランドルフの招待を受けるでしょうか。私がそう聞く前に、王妃様は呆れたように「あの男がランドルフの敷地に入る機会を逃すはずがないでしょう」と塞いだ。
そういうものだろうか。私はあまり納得していなかったのだけれど、結果は王妃様の言った通りになった。
ランドルフ侯爵家にエドワードを招待する目的があるのと同様に、エドワードはそれに応えるメリットがあったのだろう。相変わらず私は、彼らがしている政治的な駆け引きというものは分からないままだ。
そうして今日、私たちは二人でパーティへ参加している。
ここ数日のことなんてなかったかのように、エドワードは私を置いて会場へ向かった。そうしていつも通り会場前で落ち合って、入場が終わるとすぐに離れていく。本当に、いつも通りだ。私たちはずっと、こうやってきた。
不満はなかった。むしろ、安心した。
エスコートの際、グローブ越しにエドワードに触れているだけなのに、どうしようもなくあの湖での出来事を思い出してしまった。
私の腕を掴んだ手から伝わる鼓動。「また」と言った。声が震えていた。まるでエドワードも私と同じように昔を思い出していたとでもいうようだった。
頭を振る。そんなこと、考えたくない。
私の好きだった友人は戦争でいなくなってしまったはずだ。私を疑い、信じることはないと言う夫は、私を助けるために湖の中に飛び込んでくれたあの男の子ではない。あの子はもう、どこにもいない。だって、そうでなければ――
「グレイ公爵夫人」
不意に呼ばれて振り向くと、そこにはシャンデリアの光を反射するブロンドの男がいた。俯いていた視界が突然明るくなったから、私は眩しさに眉を寄せた。
「……お久しぶりでございます、殿下」
私の体からは少しだけ力が抜けて、だけどすぐに気を引き締めた。
カーティス王子は何度もあの店に私を呼びだした。
何を企んでいるのかと怪しんだりもしたけれど、彼は初めて会った時のように酒を片手にくだらない話をするばかりだった。昨日見た演劇の話だとか、参加したパーティの話だとか、もっとくだらないものだと部下との会話の内容だとか。
そういう彼のなんでもない話は、簡単に私の警戒心を下げた。
一方で、この男に心を許しすぎてはいけないと思ってもいて、結局中途半端に無愛想を演じてしまうのだ。
「難しい顔をしていたな」
カーティス王子は少し離れた私の隣に移動した。向かい合うのではなく壁際に並ぶこの配置では、ただ隣にいるだけなのか親しく話しているのか分かりづらくなる。そういう見え方を選んでくれたのだろう。
私たちはお互い前を向いたまま話し始める。
「また何か不服なことでもあったのか」
「またって何ですか。まるで私がいつも不機嫌みたいに」
「そうだろう。君はいつも不機嫌で、不満気だ。おおかた夫君と何かあったのだろう」
黙り込む私をカーティス王子は鼻で笑った。
「図星か」
得意気なその声に、私は突っかかりたくなる。
「……失礼ですよ」
「許せ。友人の軽口だ」
「友人でも踏み込んでいいラインというものがあります」
窺うようにカーティス王子に視線を送ると、カーティス王子は応えるように私に横目をやって、そうしてすぐにまた前を向いた。
「そうか、悪いな。友人というものを持つのは初めてだから加減がわからなかった」
彼の哀愁を含んだ声は、友人を作ることもできなかった可哀想な子どもを想像させた。
……相変わらず私の同情心を煽るのがお好きですこと。
わざと私の同情を引くことを言って、それに成功すると嬉しそうに私を馬鹿にする。この男の常套手段だ。分かっていても、私は毎度、彼の繰り言に心を遣ってしまう。
「……本当に君は」
そうでしょう、そうでしょう。私だって馬鹿だと思っている。愚かで、簡単で、扱いやすい。
けれどそれを認めるのも癪で、僅かなプライドで彼を揶揄った。
「ええ、『本当に私は優しい』でしょう? こうして孤独な詐欺師の友人をしてあげているくらいですから」
カーティス王子は「ほう」と楽しげに調子を上げた。
「詐欺師、ね。その言葉は踏み込んでいいラインか?」
「友人のいない殿下はご存知でないでしょうが、こんなの軽口のうちです」
「そうか。友人の多い君の言うことならそうなのだろう」
ふっと、息をつく。
皮肉だらけの会話が私たちには合っていた。この男と話すのは、案外、心地がいい。
カーティス王子も同じように息をついて、それから一歩、前へ出た。
「さて、俺の友人は人前で話すことを好まないだろう。夫君の愚痴はまた後日聞いてやることにしよう」
「……それは、どうも。楽しみにしていますね」
「ああ、また」
カーティス王子はそれきり私を振り返ることもなく歩き出した。数歩離れただけで、すぐにどこかの紳士が彼の元に寄っていく。
その姿にふと、思う。彼を支え、共に歩むことを選んでくれる人は見つかりそうなのだろうか。
私には関係ないことだけれど、どうか彼の願いが叶えばいいと思う。思う以上のことはしないけれど。
私は殆ど空になったグラスの最後の一滴を飲み干した。気の抜けたビールと違って、上品なスパークリングワインはその一滴ですらおいしく感じた。
新しいグラスをもらおうと会場を見渡す。給仕を見つけ呼びつけようとする前に、ある男が私を見つめていることに気がついた。……ああ、最悪だ。
白髪のその男は私と目が合ったのを確認すると、両手にグラスを手にして近づいてきた。
「お久しぶりです、オフィリア様」
エイベルの瞳は誰もが彼を聖人であると疑いもしないように澄んでいて、吐き気がした。




