43. 化粧水
「いいじゃないですか、観劇!」
目の前のシャーロットは化粧品の入った箱を漁りながら言った。ガサゴソと何かを取り出しては唸り、また箱に戻すのを繰り返す。
入浴後、狙ったように部屋を訪ねてきた彼女は、もう十分は私の肌に合う化粧水をあれでもないこれでもないと選んでいる。
「観劇自体は楽しみなんだけど」
シャーロットは「あ、これにしよう」と一本の瓶を取り出して私に向き直った。化粧水を顔の高さまで持ち上げながら口の端を引っ張りあげる。
「公爵様と一緒なのが気になります?」
図星を指されて、私は何も言えなくなる。
彼女の言う通り、バリー夫妻の同伴とはいえエドワードと一緒に観劇をするというのがどうも気になっていた。先日の侯爵邸訪問から続いて、観劇まで。まるで、……夫婦の予定みたいじゃないの。
馬鹿らしいと思う。私たちはバリー侯爵邸を訪ねた日からも一言も会話をしていない。それなのに、ただ一緒に出かける予定があるだけでなにが夫婦みたいよ。分かっているけれど……言いようのない感情が胸を転がる。
私が黙りこんでいてもシャーロットは気にしないようで、私の頬にパタパタと化粧水を染み込ませ始めた。冷たい化粧水が乾燥し始めていた肌に馴染んで、それが気持ちよくて、私の胸を転がっていた何かも落ち着いてくる。
「公爵様も変な人ですよね。公妃様と話そうとしないのに、必要があれば一緒に参加するじゃないですか。あれ、なんなんでしょう?」
私の肌の様子を見ながら、シャーロットは言う。
「私が知るわけないじゃない。あなたの方が詳しいんじゃなくて?」
「まさか。前も言いましたが、公爵様は公妃様のことは何も話してくれませんよ。多分、正妻の話をして愛人の機嫌を損ねないようにしてるんですよ!」
自分が言った冗談で笑うシャーロットは、無邪気というかなんというか。
いっそ羨ましく思いながら、私は彼女の言ったことについて考える。エドワードが公式行事だけは私と参加する理由。知りはしないけれど、想像はつく。
シェルヴァ公国は先の戦争でブリジア王国と軋轢が生まれ独立を望んでいる。けれど、王国から独立する国が出れば内政は多少なりとも混乱する。それをよく思わない貴族も多いだろう。
そんな中でエドワードがブリジア王国のマナーを無視して好き勝手ばかりしていれば、王室の許可どころか貴族の支持すら得られず独立は遠ざかるばかりだ。
シーズン開始のパーティでシャーロットを愛人のように見せたことは何か思惑があったようだけれど、今ではそれもただの噂であったという話が広まっている。
あの日以降、エドワードは公式の場で王国を軽んじる態度も見せていないし、私をエスコートするのも一応の敬意を払っているつもりなのだろう。
「ま、私は公爵様と公妃様が親しくなった方が都合がいいですけどね」
冗談か本気か分からないシャーロットの言葉に、私は眉根を寄せた。
「なによそれ。あなたに関係があるの?」
「ありますよ! 大アリです」
シャーロットは私の頬から手を離し、人差し指をぴんっと立てた。
「例えばほら、東の国では美しい王女を娶ったせいで国王が政治を疎かにし国が傾いた、なんて話もあったじゃないですか」
「あったわね、そんな話も」
「あれ、敵対勢力の間諜だったみたいですよ」
間諜、という言葉にどきりとする。私の動揺に気付くことなく、シャーロットは続ける。
「そういう悪い人がその座に着く可能性を考えたら、私としては公妃様には公爵様と仲良くなっていただいて、ずっと公妃様でいてほしいんですよね」
私はつい噴き出しそうになる。
だって、私こそ彼女の言う間諜なんだもの。
本意ではないものの、公国を乗っ取るために子を産んでこいと送り込まれた敵対勢力の間諜。シャーロットの言葉を使うと、まさしく"そういう悪い人"。
最もどこかの美しい女とは違って、私は見向きもされないのだけれど。
「それでも、親しくなんて無理だと思うわ」
私がため息をつくと、シャーロットは唇を尖らせた。
「なんでですかぁ。一緒に過ごす時間が増えれば、案外仲も戻るかもしれませんよ?」
「無理よ。エドワードは私を嫌っているもの」
「そうです? 嫌ってるって言うより警戒してるって感じに見えますけどね」
私がオフィリア・ランドルフだから?
考え始めると気が沈んでしまいそうで、私は無理やり笑って冷やかした。
「あなたはもう少し警戒した方がいいわよ」
「……んふ」
シャーロットは鼻から笑いを漏らす。それでも抑えられなかったようで、右腕で口元を押さえた。
「ふふ、なんですかもう。それ、警戒しないといけない人が言うことですか」
「そうやって油断させてるのかも」
「公妃様、疑われるの好きですねぇ。前も同じようなことを言っていましたよ」
指摘されると急に恥ずかしくなった。そうか、確かに私は狩猟大会でも同じようなことを言っていた。
ああ、でも、彼女の言う通りなのかもしれない。疑われるのはいい気はしないが、疑われないと不安になる。
だって、私は自分が完全に潔白だと言える自信はない。こうしてエドワードの近くにいる人間と話していることで不意にシェルヴァ公国の情報を掴んでしまって、それが何かのタイミングで王妃様に漏れるかもしれないのだ。そうなると本当に私はただの裏切り者になってしまう。
「大丈夫ですよ」
シャーロットの声にはっとする。顔を上げると美しいアメジストと目が合った。私の好きな、意思の強い美しい瞳。
「ランドルフに渡したくない情報についてはきちんと公爵様との間で合意してますから、私から重要な情報が漏れることはありません。公妃様と話していることは、全部どう伝わってもいいことです」
シャーロットは化粧品のボトルを締めながら言った。箱に戻してもう一度私に向き直り、指の甲で私の頬に触れる。
「公妃様が意思に反して秘密を流してしまって、シェルヴァ公国の不利になるということにはなりません。だから安心して私と仲良くしてくださいね?」
彼女が優しくて、少しだけ、泣きそうになった。
それを誤魔化したくて、私は化粧水の効果を確かめるように反対側の頬を自分で触った。しっとりした肌が指に吸い付いた。
「どうです? 効果、少しは実感できますか?」
「確かに少し水々しい気がするわ」
正直、気がするくらいの実感ではあるけれど。そう言えばシャーロットは拗ねたように唇を突き出した。
「公妃様は元から肌が綺麗なので伸び幅が少ないんですよ! でもこれを数ヶ月使えば、美しい公妃様が使っているあの化粧水って宣伝ができますからね。ちゃんと使い続けてくださいよ?」
「どうでしょう、今使っているものも残っているから」
「わ、だめだめ! 回収しておきます!」
意地悪を言う私に、いちいち反応してくれるシャーロット。それが嬉しくて笑うと揶揄うなと怒られ、私はまた笑った。
一通りふざけ合ったあと、シャーロットは私の化粧品を勝手に入れ替え立ち上がった。
もう帰るのかと寂しく思ったけれど、いつの間にか夜は更け切っていた。私は扉の前まで彼女を見送る。
扉の前。シャーロットは人懐っこい笑顔を浮かべ、私の顔を覗き込んだ。
「それでは公妃様、良い夢を」
「……ええ、良い夢を」
扉が閉まると、急に部屋が広くなった。
私はドレッサーの前に戻って彼女の置いていった化粧水を眺める。意味もなく、ボトルを回してみる。
澄んだ化粧水がたぷんと揺れて、私はそれだけで少し、寂しくなくなった気がした。
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