40. 仲のいい夫婦
カーティス王子の言う通り、私が彼と踊ったあとも誰かに白い目を向けられることも、こそこそと嫌味を言われることもなかった。さすがは今日の優勝者だ。カーティス王子は私と踊ったあとにもすぐ、彼に熱い視線を向ける令嬢と踊っていた。
――あの男に興味を持つのはやめろよ。
頭の中でヒューが忠告する。
興味があるわけじゃない。私から関わりたいと思ったことも、行動したこともない。ただ、少しも気にならないと言えば噓になる。それは彼自身にというよりもむしろ、彼の政治的な思惑だとか、そういうところにあるのだけれど。
ダンスフロアで踊る人々を見つめる。一見華やかなだけに見える人たちも皆、それぞれ腹に何かを抱えているのだろう。守るべきものや、そのために捨てるもの。その選択をしてこの場に立っている。
私は外の空気を吸いたくなってバルコニーの方に体を向けた。ぼんやりとしていたせいで、後ろにいた老紳士と肩が触れてしまう。
「おっと、すまないね」
老紳士が片手を上げ言った。私はその声に思わず顔を上げる。懐かしい、しわがれた声。
「アドルフおじいちゃん……?」
「……ああ! オフィリアお嬢ちゃんじゃないか……!」
その老紳士――アドルフ・バリー先代侯爵もすぐに気が付いてくれたみたいだ。私は嬉しくて、無意識に声が弾んだ。
「覚えていてくださったのですね!」
「もちろんじゃないか! 立派な貴婦人になっていたからすぐには気付かなかったが、声で分かったよ」
「嬉しいです。本当に……」
アドルフ様は、私がまだオフィリア・ハリディだった頃、父の友人としてよく領地に遊びにいらしていた方だ。父よりも一回りほど年上のアドルフ様は、私にとってお祖父様のような存在だった。
肺を患った夫人の療養についていくためにご子息に爵位を譲られてからは、長らく音信が途絶えていたのだけれど。
「本当にお久しぶりです。いつ頃こちらへお戻りになられたのですか?」
「ああ、少し前にね。今シーズンは孫がどうしても首都に行きたいとごねるものだから、私が付き添うことにしたのだよ。息子夫婦は社交に追われて常には側におれぬからな」
「ご令孫は確か、六つになられましたか。愛らしい盛りでしょう。奥方様もご一緒されているのですか? 体のお加減はいかがでいらっしゃいますか」
「ああ、妻の肺も随分よくなったよ。社交界に顔を出せる程ではないが、タウンハウスには共に参っているのだよ。是非、訪ねてやっておくれ」
「ええ、ええ、喜んで……!」
アドルフ様は夫人の状況や、かわいらしくて仕方がないご令孫の話をしてくださった。私はあの頃、まだ子供だった頃に遊んでくださったアドルフ様のことを思い出しながら彼の話を聞いていた。
そうしてアドルフ様は今度は私の番だというように話を返した。
「オフィリアお嬢ちゃんは、今……ああ、もうオフィリアお嬢ちゃんなんて呼ぶのは失礼かな。ええっと……」
ぐっと、息が詰まる。それを悟られぬよう、すぐに答える。
「……グレイ公爵家へ、嫁ぎました」
急速に現実に引き戻されるのを感じた。私はもうハリディ家で可愛がられていたお嬢様ではないのだ、と。
「ああ、そうだったな。グレイ公爵閣下とも先ほど挨拶を交わしたのだよ。……彼はあそこにいるようだな」
アドルフ様は近くにいた係の者に指示を出した。係の者は頷いて、エドワードの方に進んでいく。
……ああ、そうか。アドルフ様は社交界から長い間離れていたから、私とエドワードの関係が決して良いものではないことを知らないのか。
呼び出しを伝えられたエドワードがこちらへ向かってくる。彼が一歩進むたび、一つ、心臓が叩かれる。
嫌だ。アドルフ様に私の状況を知られたくない。情けない姿なんて見られたくない。お願い、来ないで。
私の願いは虚しく、エドワードは私の隣に並ぶとアドルフ様に恭しく礼をした。
「いかがなさいましたか、閣下」
「ああ、先ほどぶり。いやね、オフィリアお嬢ちゃん……公爵夫人と話しているのだから、是非夫婦ともにと思ってのことだよ」
私は咄嗟にエドワードに笑いかける。仲のいい夫婦の振りをしてくれと目で訴えかけた。
私の意図は伝わったのだろうか。エドワードはちらとも私を見ずに、だけど柔らかな口調で返した。
「妻が幼少のころ、閣下には良くしていただいたと伺っております。二人そろって挨拶に伺うべきでしたのに、お気を使わせてしまい申し訳ありません」
私はほっと胸を撫でおろす。よかった、誤魔化してくれた。私はアドルフ様の前で、不幸な女にならずにすんだ。
私たちはそのまま、仲のいい夫婦を演じた。
アドルフ様と話しながらも、時折エドワードと顔を見合わせ微笑みあう。お互いのことをよく知っているようなことを話す。
私が願ったことだったのに、なぜだろうか。だんだんと心が冷えていくのを感じた。
ああ、私、なにをしているんだろうな。小さな見栄のために、こんな演技をして。
エドワードが私に向かって笑顔を向ける。作り笑顔。分かっている。分かっているけれど、私にこんな表情を向けるのはいつぶりだろうと、そう思ってしまう。
幼い頃の、心のまま笑っていた頃の彼が頭に掠める。ああ、だめだ。心が渇いて、――虚しい。
「公爵夫人も変わらぬようで安心した」
アドルフ様にそう言われ、胸の奥に煙が溜まったような気持ち悪さを感じた。アドルフ様を騙している罪悪感だろうか。私は、アドルフ様の前で無邪気に笑っていたあの頃から、変わらぬものなどなにもないのに。
それでも、――それでも、身に着いた社交の術は私を上手に隠してくれる。
「ええ、アドルフ様もお元気そうで何よりでございます」
「ああ。近々、ぜひ我が家にもいらしてくれ。妻もきっと、二人そろった顔を見たいだろう」
誘いは嬉しいはずなのに、エドワードと夫婦を演じることが、気が重い。
悟られぬよう、私は精一杯の笑顔を返した。
「……ええ、是非。楽しみにしております」




