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39. 友人

「――カーティス・ブラッドフォード王子殿下!」


 一瞬の静寂のあと、会場は湧き上がった。

 私も周りに合わせて拍手をすると、触れあった手のひらが痺れていて驚いた。いつのまにか拳を握りしめていたようだ。

 じわり、じわり。体の感覚が現実に戻ってくる。


 壇上に上がるカーティス王子。賞品の真珠のネックレスが収められた細工箱が国王陛下から渡される。


「まさか、貴国に頂いた品が殿下の御許へ戻るとは」

「身に余る光栄と存じます」


 カーティス王子は深々と礼をしたのち、もう一度国王陛下を見つめ、会場中に聞こえるように声を張った。


「陛下。この名誉を、貴国で最も尊き御方に捧げることをお許し頂けますか」


 会場が浮足立つ。国王陛下が静かに頷くと、カーティス王子は少しだけ体の角度を変え、国王陛下の隣に立つ王妃様へ細工箱を捧げた。


「ヴェネッサ王妃陛下にイグラドで最も美しい真珠を捧げます」


 歓声と、大きな拍手が鳴り響いた。


 王妃様の首元に真珠のネックレスが飾られる。上品でありながらもどんな宝石よりも美しい真珠は、だけど高貴な王妃様とつり合いが取れていた。


 カーティス王子が王妃様の手を取る。彼のエスコートで、二人はゆっくりとホールに降りてくる。

 楽団席の指揮者が緩やかに手を振るとロマンティックな音楽が流れ始めた。


 クロージングパーティでは優勝者と賞品を贈った女性が最初にダンスを踊ることが古くからの慣習だ。二人のダンスを見ながら、私はやっと息を吐くことができた。


 カーティス王子は確かに私のお願いを叶えてくれたのだ。それも、最も美しい方法で。


 フリジア王国の狩猟大会でゲストであるカーティス王子が優勝することは出過ぎた成果だ。それを分かっていて尚、お願いしたつもりだった。どうせ叶わないと思っていたのかもしれない。

 それでもカーティス王子は応えてくれた。加えて王妃様を主役にすることでブリジア王国の顔を立てたのだ。


 ダンスホールで踊る二人はまばゆいほどに美しかった。


 王妃様は社交界デビューと同時に王室入りをしたそうだ。年の差のある国王陛下は腰が悪く、王妃様が社交の場で踊る姿を見たことのある人はいない。当時はそのことで王妃様を嘲笑する声もあったらしい。


 それが、どうだろう。美しい旋律に合わせて王妃様が体を揺らすと、深い夜空のようなドレスが星を撒いたように輝いた。皆が憧れる高貴で美しい王妃陛下がそこにいた。


 私たちは皆、ただ黙って二人のダンスに見惚れていた。


 ***


 パーティも中盤に差し掛かり、人々の熱気も幾分か落ち着きをみせていた。私もいくつかの会話に入り、また離れを繰り返し、そうしてようやく人の輪を離れ息をついた時だった。


「夫人、ダンスのお相手をしていただけますか」


 顔を上げれば輝くブロンドが目に入る。狩猟大会の優勝者、カーティス・ブラッドフォード。


 一瞬、私はいつもの癖で周囲を見渡し、断る文句を探してしまう。カーティス王子はすぐにそれに気づいたのか周りに聞こえない小声で囁いた。


「今日は会場中の婦人たちと踊っている。変な噂にはならない」

「……もちろん、喜んでお受けいたします」


 私だって恥知らずではない。咄嗟に構えてしまったけれど、本当は礼を言いたいと思っていたのだ。


 彼の手を取りダンスホールへ進む。向かい合い、手を組み合えば、ゆったりとした音楽が流れ始めた。


 彼からはいつものバニラの匂いに加えて少しだけ汗の匂いがした。不思議と嫌な匂いではない。むしろどこか官能的で、私は息を浅くする。


「これで君に借りは返せただろうか」


 カーティス王子の問いかけに、私は顔を逸らしたまま答える。


「……感謝いたします。殿下のお陰で心配事も起こらず済みました」

「それを聞いて安心した。随分と苦労をしたんだ。君からの誉め言葉でもなければわりに合わないと思っていたところだ」

「本当に、……無理なお願いと存じておりましたが、叶えていただきありがとうございます」


 カーティス王子はくすりと笑って、私の耳元に口を近づけた。


「では、褒美を頂きたい」


 私は咄嗟に顔を上げる。

 至近距離で目が合ったカーティス王子は悪びれもせず目を細めた。


「この度のことは殿下から申し出られた礼だったと存じておりますが」

「さあ、どうだっただろうか」


 とぼけるように、今度はカーティス王子が顔を逸らす。そのまま目だけでちらりと私を見て不敵に笑った。


 一体なんなんだ、と思う。この男にされてきたことを思えば、今回のお願い程度で傲慢な態度を取られる義理はない。

 それでも。……それでも、やっぱり私は愚か者なのかもしれない。


「受け入れるかはわかりませんが、一応お伺いいたします。どのような褒美をご所望ですか」


 カーティス王子はおかしそうに笑って、ふと、眉根を上げた。下がり眉が、彼の顔を情けなく見せる。


「友人にならないか」


 その表情が気になって、反応が遅れてしまう。彼はなんと言ったのだろう。時間差で理解が追いついてくる。


「友人?」

「ああ」


 カーティス王子は表情を戻して続けた。


「俺も君も、お互いに知られたくないことを知られすぎている。他国の王子と夫人では知り得ないほどのことを、だ」

「……情報の重みが釣り合っているとは思いませんけれど」

「それでも俺が君のお義姉様に、可愛い義妹君が逃げ出そうとしていますと伝えられては困るだろう」


 意地の悪い言い方だ。睨みつけるけれど、カーティス王子はひとつも効かないというようにそれを流した。


「保障がほしくはないか?」


 保障。それが友人という立場だというのか。


「私も殿下も、誰かに漏らすメリットはないと思いますが」

「そうかもしれない。だが、――そうだな」


 カーティス王子はそこまで言うと不意に視線を遠くへ投げた。気になってその視線の先を追うと、大窓の向こうを見ているようだった。

 煌びやかで明るい会場とは違い、窓の外は驚くほど真っ暗だ。ここからでは星すら見えない。


「俺は君と初めて会ったあの夜に戻りたいんだ。立場もなく話をしていた、あの日に」


 あの夜――酒場で出会ったクリス。初めて会った女を気遣い、話を聞き、逃げだして一緒になろうと言った男。私は確かになんの立場も考えずに彼と話していた。けれど。


「立場はなくとも、殿下の中には策略ばかりだったでしょう」


 全て私を地獄に引き摺り込むための演技だったはずだ。自分の"スペア"を生ませるためだけに私を誘った。


「否定はしない。だが、全てが嘘だったわけではない。君を騙すつもりではいたが、それだけではなかった」


 私はまた分からなくなる。この男は今度こそ本当に私を騙そうとしているのではないかと。

 一度は逃がした標的が存外に情に脆く、愚かだったから? 事情を知ってもこうして流されては言葉を交えている私が、あまりにも簡単そうだった?


 黙り込む私に、カーティス王子はまた先ほどと同じ困ったような、縋るような顔を見せた。


「かわいそうな俺からのお願いだ、――オフィリア」


 ああ、情けない。私は自分のことを、ひどく情けなく思う。心底、嫌になる。

 それでも、――結局私は、このかわいそうな男を放っておけないのだと思った。


 唾を飲み込む。一線を引いて、これ以上は騙されないよう、気を張る。気を張ったまま――この男に近づく覚悟を決める。


「友人ということでしたら、……お受けいたしましょう」

「ありがとう、友人」


 カーティス王子は企みがうまくいったとでもいうように、口の端を上げた。

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― 新着の感想 ―
オフィリアの名には、連想で浮かんでくる絵画があります。 ラファエル前派の画家ミレイの「オフィーリア」。 実物観た事あるんですが、なんとも美しく、清らかな透明感に満ちていて、もの悲しい。 ハムレット王子…
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