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37. 領主 2

 化粧水?

 予想外の言葉に何も言えなくなる。なんの話だろう。戸惑う私に、シャーロットが代わりに返答する。


「残念ですが、公妃様は生まれつききめ細かいお肌をお持ちでしたので、我が領地自慢の化粧水の効果を実感していただくことができなくて」

「あらそう、羨ましいですわ」


 私の話はそこで終わり、すぐに化粧水の話に移っていく。


「私、肌が弱くてお茶会の翌日などはいつも真っ赤に腫れてしまっていたのですが、ブレアム男爵閣下のくださった化粧水を使うと随分と良くなりましたの」

「ええ、伯爵夫人。気にされていた赤みも引いて、夫人の元来持つお美しさが引き立てられておりますわ」

「まあ、御上手」

「閣下、私もご相談しておりました、あの……」


 そうして彼女たちの話を聞いていると、なんとなく状況が掴めてきた。


 ブレアム男爵領は薬草を名産品としているらしい。化粧水だけではない。湿布薬や鎮痛薬、生理不順や不妊に効く薬など、多くの化粧品、薬品を生産しているようだ。

 どうやら私の容姿に言及したのも、私を侮辱し、陥れるためなんかじゃない。ただ、本当に化粧水に興味があっただけ。


「王宮でのパーティでブレアム男爵がお召しになられていらしたドレスは、公爵夫人が選ばれたとお聞きしました」


 私に声を掛けてきたのは、セラーズ伯爵夫人だ。私は少し緊張しながらも答える。


「ええ、仰る通りでございます」

「ブレアム男爵によく似合っていらして、印象的でしたの。私の娘が昨年デビュタントを迎えたのですが、似合うドレスがまだうまく選べないようでして。もし公爵夫人がよろしければ、是非今度、マダム・エイダの展示会にご一緒いただけないでしょうか」


 夫人は遠くにいる、彼女のご息女を視線で示した。まだ若い彼女は年齢に合った華やかで装飾の多いドレスを纏っていたが、背が高く凛々しい印象の彼女にはもっと似合うドレスがありそうにも思える。


 マダム・エイダは新進気鋭のデザイナーだ。彼女の作品はデザインの新しさや美しさもさることながら、その幅の広さも評価されている。若い令嬢が多くのドレスを見て学ぶにもふさわしい場所だろう。

 本当に私に選んで欲しいと思っているのか分からなかったけれど、別に断る理由もない。


「ええ、もちろんでございます」

「お受けいただきありがとうございます! クロージングパーティの折には、是非とも娘をご紹介させいていただきますね」


 夫人はその心の奥に何かを隠すこともなく、ただ、嬉しそうに笑った。


 その時、私たちの会話が終わるのを待っていたように、狩猟大会の終了を知らせるトランペットの音が鳴り響いた。


 いつの間にそんなに時間が経っていたのだろう。昼の一番太陽の高い時間は、とうに過ぎていた。

 これから大会運営によって、参加者の点数計算が行われる。その間に参加者たちは身なりを整え、クロージングパーティの行われる会場へ移動するのだ。


「公妃様」


 婦人たちが帰路につく中、シャーロットは私の元へ来て、ふんわりと笑った。


「私たちも屋敷に戻りましょう」


 私は頷き、行きと同様、彼女と同じ馬車に乗り込んだ。


 ***


 白い太陽が夕日に変わっていく。

 馬車の窓から差し込む光は赤く、目の前のシャーロットの肌をゆっくりと染めていった。


「驚かれましたか?」


 彼女のオレンジ色の唇が開く。私は彼女と初めて二人で馬車に乗った日のことを思い出していた。


「あなたが以前、チャイルズ伯爵夫人のお茶会で驚いていた理由が分かったわ」


 私を馬鹿にするために開かれたお茶会。そのスパイスとして呼ばれた愛人。

 シャーロットは怒っていた。私は、私があのような扱いをされるのは当たり前で、社交界で生きていくためにはうまく躱せるようにならなければいけないのだと彼女に諭した。


 私に社交界を教えたのは王妃様だ。王妃様の周りの貴族は皆、伝統を好み、皮肉で優位性を誇示する文化を持っている。私のような、元男爵家の娘で、侯爵家出身とはいえ養子で、嫁ぎ先で夫の愛も得られない女は、見下されて当たり前だった。


 どうせ皆、同じだと思っていた。どこに行ってもそのような扱いをされるのだと。けれど、どうだろう。ヒラリー嬢たちや、先ほどまで話していたご婦人方。彼女たちは私を侮辱することも、皮肉で試すようなこともなかった。


「私のいた環境は、思ったよりも最悪のようね」

「ええ、もう最悪でしたよ。二度と関わりたくないです」


 シャーロットがうんざりと言うように顔を縮めるから、私は笑ってしまった。


「そんな顔をしたら、皺ができるわよ。あなたの化粧水の効果を疑われるのではなくて?」

「ふふ、仰る通りです。領地のために、美しくいないと」


 シャーロットは両手で皺を伸ばすように頬を叩いた。それからその手を行儀よく膝に戻して、不意に、真剣な顔をする。


「普段私が交流している方々は、私のことを愛人だなんて思ってもいないのです。私はただ、ブレアム男爵領の領主として社交に参加しているのですから」


 そうだろう、と思う。

 皆が彼女をブレアム男爵と呼び、誰も彼女にエドワードの話などしなかった。

 独立の状況が不安定であるのにも関わらず、エドワードが授爵した女性の男爵を受け入れているのは気になったが、きっと彼女たちの家門がグレイ公爵家と関わりの深い家門だからだろう。グレイ公爵領――シェルヴァ公国が独立した方が都合がいいような何かがあるのかもしれない。


 だったらどうして、彼女は愛人の振りなんてしたのだろうか。浮かんだ疑問を素直に聞くことができなくて、私はまた、本心を皮肉に隠す。


「愛人の振りをすることもあなたの仕事だったのではなくて?」

「そちらに関しては、もともと、王室の方々が少しの間勘違いしてくれれば程度に思っていたのです。どうせすぐに気付かれますし、領主として仕事をするなら、愛人だと思われているのは都合が悪いですから」


 肝心の理由ははぐらかされてしまった。

 もしかすると、彼女とエドワードの契約に関わる部分なのかもしれない。私はそれ以上問い詰める勇気を持てなかった。


 ほどなくして、馬車は屋敷に着いた。馬車の扉を開けたシャーロットはふざけたように片目を瞑り、エスコートでもするかのように私に手を差し出した。


「さあ、公妃様、着きましたよ。クロージングパーティの準備をしましょう」


 私は笑って彼女の手を取った。

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