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34. 愛人でなくても

 大会会場から少し離れた静かな邸宅。私は侍女たちと馬車に乗り、目的地に向かっていた。


 三日間に渡って行われる狩猟大会では、初日と最終日は公式の社交場が用意されているが、中日である今日は皆、会場近くにある各々の別荘で過ごす。


 私は王妃様から王家所有の別荘に呼び出されていた。断ることのできない誘いに元から気が乗らなかったのだけれど。


「あら、公爵夫人。昨日は残念でしたわね」


 私が呼ばれたのとは別に、その別荘ではお茶会が開かれていたようだ。通りがかった庭園で、屋敷へ向かう私を目ざとく見つけた参加者たちが私を笑いものにする。


 今日は一体何に文句をつけられるのだろう。呆れる私に、彼女たちはご丁寧に説明をしてくれる。


「狩猟大会ですもの。獲物を仕留め損なうこともございますわ」


 獲物……ああ、シャーロットのことか。すぐに分かってしまう自分に苦笑した。

 彼女たちは、シャーロットが獣に襲われた事件は私が嫉妬で起こしたのだと言いたいのだろう。証拠なんてない。証拠なんてないから、いくらでもでっち上げられる。


 彼女たちに何を言われようが、どうでもいいのだけれど。私の気持ちは表に出てしまったのだろう。つまらなく思ったのか、別の話を振ってくる。


「それにしても、グレイ公爵は戦場に出ておられただけのことはありますわね。昨日の狩りでは、早くも首位になられたとか」


 今度こそ、私は表情を動かしてしまう。狩猟大会の結果に興味もなく、わざわざ途中経過を確認することもなかったのだけれど……そう、エドワードが。


 狩猟大会は社交のためだけではなく、暗に参加者の戦力を誇示する場でもある。もちろん、実際の武力となれば兵士の数や戦場の地形、戦術など様々な要因が複雑に組み合わさるため狩猟大会の結果だけを以て戦力が図られるわけではない。けれど、それでも地形の分析力、獲物に気付かれずに近づく力、命中力、体力などを示せることは確かで。


 今は形だけの和平を保っているが、いつ王国との独立戦争が始まるか分からないシェルヴァ公国。エドワードが狩猟大会で戦力を見せつけ牽制することは、何ら違和感もない。


 けれど、目の前の貴族たちは私の表情の変化を目敏く感じ、エドワードの戦績さえも上手に私を見下す材料にした。


「公爵夫人はクロージングパーティが楽しみなのではなくて?」

「あら、褒賞の品がどなたの手に渡るかは、まだ決まってはおりませんでしょう?」


 くすくす、くすくす。響く、笑い声。

 彼女たちは見たいのだ。クロージングパーティで、エドワードがシャーロットに真珠のネックレスを渡すところを。


 屈辱を感じる一方で、そんなことより、昨日のシャーロットの様子が頭に浮かんだ。救護テントでベッドに横たわるシャーロット。大きな怪我ではなかったものの、安全を取り今日一日別荘で療養をすると、使用人たちが話していたのを耳にした。


 彼女が何故エドワードの愛人の振りをしているかは分からないし、興味もない。けれど、そのことで危険にさらされるのは、どうも気分が良くない。あんな思いはもう、させたくない。


 私は私の反応を待つご婦人方にちらと視線をやる。彼女たちは私が激高するか、悲しむか、期待を込めた目をしていた。

 残念だけど、期待に応えてあげるつもりはない。


「王妃陛下の美しい御苑にてそのような品位を欠いた憶測をなさるとは。皆様、森の獣に中てられてしまわれたのでしょうか」


 私は彼女たちをぐるりと見回した。下品な噂を楽しむ、下品な女たち。


「一体どなたがそのような真意の定かではない噂を触れ回り、信じておいでなのでしょうね」


 彼女たちの額に皺が寄った。私がシャーロットは愛人ではないと否定するのは初めてだ。私だって勘違いしてたし、シャーロットも敢えてそのように振る舞っていたので無理はないけれど、おそらく、誰も彼女が愛人であると直接聞いたことがないのではないか。


 彼女たちの中に疑いが芽生えた。それだけでいい、噂が広まるのは、思った以上に早いのだから。


 騒つく中、空気を張るような美しい声が響いた。


「随分と賑やかですこと」


 お茶会の参加者たちは一斉に立ち上がり、現れたばかりの王妃様に礼をした。私も遅れて、礼をする。


「オフィリア・グレイが王妃陛下にご挨拶申し上げます」


 王妃様はちらりとあたりを見回すと、彼女たちに声を掛けるでもなくそのまま踵を返した。


「オフィリア、いらっしゃい」


 それだけ言って歩き始める。私は何も言わず、王妃様の後をついて行った。


 ***


 王妃様は洗練された所作でティーカップを口に運んだ。相変わらず趣味のいい応接室に映える、うっとりするような美しい姿。一転して、その瞳が冷たく私に降り注ぐ。


「あの男も薄情なこと。愛人が害意を向けられているというのに、変わらず狩りに興じるとは」


 ――ああ、やっぱり。


 背中にぞっと悪寒が走る。やっぱり、昨日の事件はランドルフ侯爵家の起こしたものだったのだ。

 静かな悪意に体が冷えていく。人を殺すことを厭わない、命に対する冷酷さ。


 唾を飲み込んで、震えを抑える。だめだ、怯えてはいけない。

 私は小さく息を吐いて、少しの勇気で王妃様を睨みつけた。


「あの女は愛人ではございません。体の関係もないと、申しておりました」


 たった一声。それだけで、口の中が砂のように渇いた。どうか、どうか、もうシャーロットを狙うのはやめてください。

 けれど、私の勇気は、簡単に抑え込まれる。


「それがなんの問題なのかしら」


 私を突き刺す、氷のような声。


「私があの男の心情に興味を抱くとお思い?」

「……申し訳ありません」


 愛人でなければ、シェルヴァ公国の後継者を生む可能性のある女でなければ、シャーロットは狙われないのではないかと思っていたのに。

 愛人という立場が存在すること自体が問題なのだろうか。王妃様は抑揚もなく続ける。


「あなたがあの男の心に入り込めるというなら話は別でしょうけど」

「……努力いたします」

「あなたの努力が実ったことなんてないでしょうに」

「申し訳ございません」

「本当、使えない子」


 何度も何度もしたやりとり。

 王妃様は呆れたように息を吐いて、私から視線を逸らした。


「もういいわ、戻りなさい。あなたたちは残って」


 応接室の扉が開けられる。残るように言われた侍女たちを置いて、私は一人で部屋を出た。きっと今から侍女たちによって、私のふがいなさが報告されるのだろう。


 お茶会会場を避けるように遠回りし、門まで行く。行きに乗ってきた馬車を探したけれど、見つからなかった。

 置いて行かれたのだろうか。まさか、さすがに王家所有の別荘でそんなことをするなんて、そこまで考えなしではないと思うのだけれど。


 私は門から出て、馬車を探す。いない、いない。そうしているうちに、屋敷から離れてしまう。

 仕方がない。面倒だけれど、王室の馬車を借りよう。そう諦めた時、聞き覚えのない声が私を呼び止めた。


「オフィリア・グレイ公爵夫人でいらっしゃいますね」


 門番の死角になる位置に、その男は立っていた。

 警戒する私に、私の用心など関係ないと言うように男は続ける。


「夫人をお迎えに上がっていた馬車には、お引き取り願いました。ある方が夫人とお話ししたいことがございますゆえ、こちらの勝手を何卒お許しくださいませ。よろしければ是非、私どもの馬車へご同乗願います」


 男の差した先には、"ある方"のものであろう馬車が用意されていた。身分を隠したいのだろう、特徴もなく、家門も記されていない馬車だ。

 そんなものにどうして乗れるだろうか。


 無理に引っ張り込まれたとしても、ここで叫べば門番には聞こえるはずだ。

 断りの言葉を口にしようとした時、不意に、その男の袖口に視線が向いた。美しく光る、真珠のカフス。……ああ、そうか、私を呼びだしたのは"あの方"か。


「……お受けいたしましょう」


 私は覚悟を決めて、馬車に乗り込んだ。

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