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33. 優しいから

 バルコニーに湿気た風が吹き込んだ。森の近くだからだろう。水分を含んだ土の匂いが心地よかった。


 私は網のように広がる枝の隙間から夜空を眺めていた。当然真っ黒なのだろうと思っていたけれど、月や星が輝く夜空は、むしろ、地上よりも美しい青色をしている。


 ぼんやりと星座を結んでいると、頭上から満月が二つ降ってきた。


「待った?」


 笛を鳴らしてからヒューがここに来るまで、いつもよりも時間がかかったように思う。空が綺麗なおかげで困るほど暇でもなかったけれど。


「遠くにいたの?」


 ヒューを招き入れ、大窓を閉める。風の流れがない部屋は途端に窮屈に感じた。なんだか息苦しくて、私はまた少しだけ大窓を開ける。


「いいや。近くにはいたが、いつもの場所じゃないから」

「場所で違うの?」

「そりゃそうさ。地形や設計、警備の多さやパターンの複雑さ……そういうもので随分と変わる」


 狩猟大会期間を通して宿泊するこの別荘は、森の近くにあるために、タウンハウスよりも木々が多い。なんとなく、身軽な彼はこの別荘の方が移動がしやすいんじゃないかと思っていたけれど。


「知らなかったわ。考えてみるとそれもそうね」

「ああ。もちろん慣れもあるが」

「公爵家のタウンハウスは? 侵入しやすいの?」


 ヒューは馬鹿にしたように鼻を鳴らした。


「あそこは簡単さ。警備も少ないし、特に公妃様の部屋の周りなんてもう、ガラ空き」

「……へえ、そう」


 つまらなく感じてそっぽを向けば、ヒューは呆れた声を出した。


「拗ねるなら聞くなよ」

「拗ねてなんかないわ。あなたに簡単に会える環境で、とーっても嬉しい」

「拗ねてんだろ」


 本当は一瞬嫌な気持ちになっただけですぐにどうでもよくなったのだけど。私がいじける振りをしているだけだと分かってか、ヒューはさらに揶揄う。


「それで、なに? 旦那があんたを信じない理由を聞きたくて呼び出したの?」

「……別に。興味ないわよ、そんなの」


 今度は本当に嫌な気持ちになる。

 別に、エドワードの信頼なんていらない。どうせ私はここから出ていくんだから。


 話を変えたくて、私はソファに置いていた鞄を開けた。準備していた宝石袋を取り出し、ヒューの方に突き出す。


「はい、これ」


 ヒューは受け取りながらも、眉を顰めた。


「何の代金だ?」

「昼間、教えてくれたでしょう? イグラド王国の刺客がいるって」


 私の視線を誘導するように不自然に飛んできた小石。あの時は分からなかったけれど、明らかに襲撃を教えるものだった。


「……ああ、あれか。よく気づいたな」


 ヒューの言葉に私はほっとした。なんとなく、ヒューが教えてくれたのだったらいいなと思っていたから。


「助かったわ。ありがとう」

「あー……本来は頼まれてもいないことをするのはよくないんだ。今回はどのみち公妃様に害はないと思っていたから少しサービスしたんだが、代金は貰えない。それに、今後は期待しないでほしい」


 ヒューは私に宝石袋を突き返した。受け取られなかった礼が宙ぶらりんに感じて、少し気持ちが悪い。


「受け取ってくれてもいいのに」


 そう呟いても、ヒューは困ったように笑うだけだった。


 私はそれ以上強く言うこともできず諦める。仕方がない、それが彼の組織の方針なのだろうと無理矢理に納得させた。

 頼まれてもいないのに、依頼者の利益にもならないのに、勝手に情報を与えて対価を得ることはしない。随分まともな組織だ。


 それにしても、ヒューはあの場で行われる襲撃が私を傷つけるものではないと分かっていたのか。

 途端、あの男の言っていたことに真実味が出てくる。かわいそうで、高潔な王子様。


「彼、人を殺したことがないって本当?」


 なんとなく口に出すと、ヒューは心底嫌そうに表情を歪めた。


「公妃様、あの男に興味を持つのはやめろよ。もう懲りたんじゃないのか」

「興味を持っているわけじゃないわ。ただ……」


 ――人を殺すことを選択肢としているやつに、どうして国を任せられる。そういうやつは、やがて理由をつけて民を殺す。


 彼の言葉が、私の中に妙に残った。


 私を騙し、地獄に引き摺り込もうとした男。だけどその理由が、彼が国を守るためなのだとしたら。私は彼を責めることができるのだろうか。


 頭の中を巡るのは、かつての自分の選択だ。蓋をした記憶が漏れ出そうになる。領民のために、捨てるべき物を選ぶ。そういう選択を、私は――……


「公妃様」


 ヒューに呼ばれ、はっとする。向き直れば、ヒューは真面目な顔で説明を始めた。


「俺自身は他国の細かい情報まで把握してないが、調べてくることはできる。公妃様が本当に知りたいなら仕事として受けるけど、どうする?」

「必要ないわ。そこまで知りたいわけじゃないの」

「同情はするけれど、受け入れたいとは思わないから?」


 昼間、私がカーティス王子に言った言葉だ。ヒューは眉を下げて微笑んだ。


「優しいんだから、公妃様は」


 優しい、ね。どうも、不似合いな評価をされている気がする。愚か者。そう、愚か者だ。カーティス王子の下した評価の方が、私には相応に思う。


「あなたほどじゃないわよ」


 私がそう言うと、ヒューは目を丸くした。


「俺? なんだそれ……はは、初めて言われた」

「そう? あなたの周りは見る目がないのね」

「そうかもしれないな。公妃様は、見る目がある」


 皮肉っているつもりだろうか。ヒューは楽しそうに笑いながら、バルコニーの大窓に手を掛けた。


「さあ、おしゃべりは終わりだ。明日も早いんだろう」

「そうね。楽しいおしゃべりの時間をありがとう」

「こちらこそ。ほら、おやすみ」


 大窓から出て行ったヒューは、くいっと空を見上げると、魔法みたいにすぐに消えた。


 相変わらず不思議な人。なにか仕掛けでもあるのかと探ったけれど、夜空には相変わらず星が瞬くだけだった。

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― 新着の感想 ―
久しぶりのヒュー 二つの満月の瞳 とっても幻想的で(私のハンドルネームのせいもあるけど)、何か象徴的に感じて、ただの狂言回しの役割ではないかもしれないと勘繰っています(笑)。 それにしてもエドワードは…
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