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31. かわいそうな王子

「イグラド王国の事情をどこまで知っている」


 カーティス王子の問いに、私はヒューから聞いた話を思い出す。大人になる前に亡くなった十三人の幼い子どもたち。


「……後継者争いが苛烈というお話は」

「何も知らないお嬢様かと思っていたが、随分な情報筋を持っているんだな」


 濁したつもりだったのだけれど、滲み出ていたのかもしれない。カーティス王子は自嘲気味に笑った。


「先ほどの者たちは、君の言う通りの理由で俺を狙ったのだろう。巻き込んで悪かった」


 巻き込まれただけではありませんでしたけれど。盾にされた恐怖が苛立ちに変わり、責めそうになる。

 違う、私は今、弱っている人を詰りたいわけではない。ぐっと堪えて、話を続ける。


「……殿下を動けなくさせて、何かいいことがあるんですか?」

「他国で王族が死ねば国際問題になるだろう。奴らもそんなことがしたいわけではない。ただ、死にはしなくても俺が命を狙われているという噂が立てば、この国の貴族たちは娘を嫁がせようとはしなくなる」


 ああ、"スペア"か。

 殺せる状況になくても、子を作らせないように評判を落とす。それだけで一つ、目的を途絶えさせることができる。


「君を盾にしたのは」


 カーティス王子は吐き出すように言った。


「俺が女を盾にするやつだと知られれば、この国だけでなく国際的な信用を失う。やつらとしては願ってもない状況だ。そこまですれば、暫くは放っておいてくれるだろうという算段だった」

「信用を失う方を選んだというのですか」

「いいや。幸運なことに、俺が盾にしたのは不幸な女だ」


 十分前、自らの言葉を思い出す。


「……噂を流すほど、親しい人がいない」


 隣にいたのが私だったから、どうせ誰にも言わないから、実際に信用を失わずとも相手を下がらせることができる。この男はまた私の不幸を利用したのか。


 今度こそ怒鳴ってやろうかと思ったけれど、それよりも呆れ、もっと言えば虚しさで何も言えなかった。

 あの瞬間。この男に盾にされ、幾つもの矢じりが私に向けられた時。私は確かに死の恐怖を感じていた。あの時間も全て、この男の政治の道具にされていたのだ。


「そうまでして、王位が大切ですか」


 やっと出た声には彼への非難が滲んだ。親族で殺し合い、赤の他人を地獄に引き摺り込んでまで権力がほしいのかと。

 けれど、彼の答えは驚くほどあっさりとしていた。


「王位なんてどうでもいい」

「ではなぜ」

「人を殺すという選択肢を持つやつらに、どうして国を任せられる。そういうやつは、やがて理由をつけて民を殺す」


 その言葉に違和感が煙のように湛えていく。人を殺すことを忌避するような言い方。……この男が、どうして?

 私は恐る恐るその違和感を吐き出した。


「……殿下は、人を殺したことは?」


 カーティス王子は声色も変えずに言った。


「あるわけがないだろう」


 ――私の身体から熱が引いていく。そうして冷静になった頭がぐるりと回った。地獄の国。即位に難い障害を抱える兄弟たち。五体満足で生き残っている王太子筆頭候補。


 血塗れの後継者争いを起こしているのはまさにこの男なのだと思っていた。当然彼も、直接でなくとも彼の陣営の者が兄弟たちに手を掛けたのだと。


 この男は、地獄の最中高潔のまま生き残ったというのだろうか。誰も殺さず、ここまで、一人で。


「君の同情を引けたか?」


 露悪的に吐き出す目の前の男に、私はもう怒りも呆れも感じることができなかった。

 少しだけ首を傾けて彼の方を向く。よほど情けない顔をしていたのだろう。カーティス王子は不機嫌に声を低めた。


「君は愚か者なのか」


 愚か者。そうかもしれない。けれど。


「殿下が、かわいそうで」

「……かわいそう?」


 カーティス王子の眉が不快そうにぴくりと動く。私はそれに動じず頷いた。


 かわいそうだと、思ってしまったのだ。私を騙し、盾にし、愚かだと笑うこの男のことを。


 私の声に即座に反応していた。私が恐怖で何も考えられなかったあの時も、この男は相手の目的を一瞬のうちに推し量り行動に移した。応急処置も見事なものだった。


 この男は今までどれだけ同じような目にあってきたのだろうか。子供のときから、もしかすると生まれる前からこんな生活をしてきたのだろうか。それでも国を守ることを考えてここまで生きてきたのか。


 そんな男のことを、どうしてかわいそうだと思わずにいられるのだろう。


「俺は君の国の女を地獄に引き摺り込もうとしている」


 カーティス王子の声は少しだけ震えていた。私はそれに気づいていない振りをする。


「そうですね。殿下に良心があるのでしたら、ご結婚前に相手方にお伝えなさってください。人を騙すところは、軽蔑していますし」

「軽蔑? 同情してくれたのではなかったか」

「同情はしていますけれど、全てを受け入れるとは言っていませんから」

「……はっ、そうだな」


 私たちの会話はそこで途切れた。少しの間草木の音だけが響く。物事を考えるにも、何も考えずにいるにも十分な、静かな時間。ややあってカーティス王子は遊ぶように伸びをした。


「……ああ、体が楽になってきた。今度は本当に、行っていい」


 私は立ち上がって、カーティス王子に丁寧な礼をした。そうして振り返ることなく、森の出口へ向かった。


 ***


 ぼんやりと森の中を歩いた。頭の中には先ほどの会話ばかりが思い浮かぶ。


 私を騙そうとした男。女を地獄に落とすことを厭わない、非道な人間。けれどそれは全て彼の国の民のためだった?


 頭を振って考えるのをやめる。私には関係のないことだ。関係はないが、気になりはする。気になりはするけれど……やっぱり、関係ない。


 そうして数分歩いているうちに、もといた社交場が見えてきた。昼から夕方に変わる時間。人が減っていてもおかしくないのに、妙に騒がしい。


 私はヒラリー嬢の後ろ姿を見つけ声を掛けた。


「随分と賑やかですね。なにかあったのですか」

「公爵夫人様!」


 振り向いた彼女は少しだけ言いにくそうに下を向いたあと、おずおずと答えた。


「……シャーロット様が、襲われたそうです」

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