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28. 見張り

 指定された場所は社交場から少し離れた、ひと気のない森の入り口だった。誰もいない空間に、私の足音だけが響く。みしり、みしりと草の潰れる音が気持ちよくて、私は意味もなくうろつく。そうしていると、後ろからもう一つ、同じような音が混ざった。


「公妃様」


 振り向くと、私を呼び出した張本人――シャーロット・ブレアムがゆっくりと私に近づいてきているところだった。

 シャーロットは私の目の前で足を止めると、体を曲げていたずら気に私を覗き込んだ。


「私、先日のお茶会で学んで、人前では近付かないようにしていたんですよ。褒めてくださいませんか?」

「……当然よ」


 冷たく言ったつもりだったのに、シャーロットは何故だか嬉しそうに微笑んだ。それから持っていたクロスボウを得意げに構えてみせる。


「公妃様、私、練習の成果を見せたくてお呼びしたんです」

「ここは練習場じゃないのよ。野生動物もいるし、危ないわ」

「森の淵であれば小動物しか出ませんよ。ね、少しだけ!」


 彼女の笑顔に、私はまた何も言えなくなる。仕方ないわねと呟けば、シャーロットは手を挙げて喜んだ。


 ***


 私たちは黙って森の中を歩いた。足音を立てないよう、神経をとがらせる。


 ふと、シャーロットが足を止めた。

 彼女の指さす先には、一匹のキジがいた。緑の胴から伸びた青い首、その上に鎮座する、堂々とした真っ赤な頭。

 シャーロットは私が教えたようにクロスボウを構え、その野鳥に向かって矢を放った。


 バサバサと鳴る羽音。一秒遅れて、先ほどまでキジのいた場所に矢が突き刺さる。

 当のキジは大した危険でもなかったというように、少し横に飛んだだけだった。私たちを横目で見て、ケーンとひとつ、馬鹿にしたように鳴いて、堂々と森の奥深くに帰っていった。


「……だめですね、逃げちゃいました」


 シャーロットは振り返って、肩をすくめた。


「野鳥は小さすぎるのよ。普通クロスボウでは狩らないわ」

「ウサギやアナグマがいればよかったんですけど」

「森に人が多く入っているから、警戒して隠れているのかもしれないわね」


 私は矢を拾ってシャーロットに渡した。彼女は礼を言いながらそれを受け取ると、背負っていた矢筒に戻す。そのまま新しい矢を取り出して装填を始めた。


「自分で装填できるの?」


 弓を引き上げるには相当な力がいるはずだ。驚く私に、シャーロットはこともなげに答える。


「一、二本なら。何本も装填すると力が入らなくなっちゃって」

「そう……」


 私の中に、妬みのような感情が沸き上がるのが分かった。私にはできないことを、彼女は簡単にしてみせる。それがどうも、恨めしい。


「まだ続けるの?」


 邪念を振り払うよう聞けば、装填を終えたシャーロットは顔を上げた。


「動物もいないし、やめておきます。公妃様とお話ししたかっただけですから」


 狩猟はただの口実だったのか。誤魔化すこともなく言うから、私は呆れてしまう。せっかく社交界での探り方を教えても、彼女には必要がないようだ。


「それはそれは。わざわざこんなところでしたいお話とは、なんでしょう」


 意地悪に聞けば、シャーロットも私の表情を真似するように口の端を上げた。


「こんなところじゃないと、見張りが止めに入ってしまうので」


 見張り。その呼び方に、すぐに違和感を覚える。


「護衛でしょう」

「いいえ、あれは見張りですよ。あの男がいない今日は、公妃様と二人で話せるチャンスだなって思ったんです」


 狩猟に参加するのは、家門の代表者と腕の立つ騎士たちだ。先日シャーロットの護衛をしていたあの男も、今朝エドワードと一緒に森へ入っていくのを見届けたばかりだ。

 そうでなくても、王室主催の社交行事だ。特別に高貴な立場でない者は護衛を連れて歩かないのだけれど――その日を、シャーロットは狙っていた?


「公妃様」


 背筋がひやりとした。なぜ彼女は見張りがつけられているのか。見張りがいない場で、私に何をしようというのか。


 沈黙の後、シャーロットは真面目な顔をして口を開いた。


「数々の無礼、誠に申し訳ありませんでした」


 突然の謝罪に、体がびくついた。

 私の警戒を感じていたのだろう、シャーロットはおかしそうに笑った後、いつものように楽な口調で話し始めた。


「グレイ公爵家にお世話になるようになってから、公妃様に失礼な態度ばかりとってしまいましたよね。ドレスを選ばせてしまったり、パーティでは公爵様のパートナーのように振る舞ったり」

「……それは、あなただけの責任ではないでしょう」


 彼女がエドワードとの何らかの契約で動いているなら、きっと主導権はエドワードにあるはずだ。彼女の行動に苛立っていたことは事実だけれど、契約と知った以上は彼女だけを責めることはできない。


 シャーロットは「お優しいのですね」と呟いて、それから大きく伸びをした。


「私、公妃様のこと悪者だと思っていたんです。シェルヴァ公国を乗っ取ろうとするランドルフ侯爵家からの刺客」

「……誰かがそう言っていたの?」

「いえ、公爵様は公妃様について何も仰いませんでした。何も仰られなかったので、私が勝手に勘違いしたのです」


 私が誰を気にしているか勘付かれないよう暈したのに、シャーロットは簡単に気付いたようだ。そうなると、濁したことに意味が生まれてしまう。……こんなことなら、普通に聞けばよかった。


 それにしても、エドワードは私のことを疑っているとか、憎んでいるとか、そういうことさえも言っていないのか。みぞおちの奥がズキズキと痛みだす。

 何も言わないということは、いないことと同じだ。彼の中で私は、本当に存在しないものになってしまったのだろうか。


 考えたくもないことばかりが頭に浮かんで、それを打ち消すように顎を上げた。


「刺客の私と二人きりになるなんて、あなたはあまりにも迂闊なのね」


 私の悪者仕草を、シャーロットはくすりと笑った。


「今はそう思っていませんよ。公妃様とお話しするうちに私の勘違いだと分かりました。公妃様は私を害するようなことはひとつもされなかったんですもの」

「裏で手を回しているだけかもしれないわ」

「裏で手を回すような方が、あんな扱いをされているわけがないじゃないですか」


 あんな扱い、とは、チャイルズ伯爵邸でのティーパーティのことだろうか。確かに、私に権力があれば、あんな扱いはされないだろう。


「あの日からどうもおかしいなと思って、屋敷の者たちに聞いて回ったんです。そうしているうちに、庭師から公爵様と公妃様の関係を伺って……」


 シャーロットは唾を飲みこんで、遠慮がちに言った。


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