27. 狩猟大会
狩猟日和だ、と誰かが言っていた。風のない、程よく雲が掛かる晴れ。雲間から時折差す日は鋭かったけれど、それすらもどこか心地が良い。
こんな気候なら、狩猟でなくてもなんだって日和と言われるんじゃないだろうか。散歩日和とか、お昼寝日和とか。暖かい日差しの中、木陰で読書をするのだって気持ちがいいかもしれない。
……なんて、現実逃避だ。
妄想の中で穏やかな時間を過ごす私は、現実では行き場もなく立ち尽くしていた。
狩猟大会。読んで字の如く狩猟の腕を競う大会だけれど、なにも狩りをする男性のためだけの行事ではない。この大会では、女性たちが社交場で交流を深めることも狩猟同等に重要視されている。
私はオープニングセレモニーが終わり、社交場に移動する女性たちを眺めた。
『美しい自然の中で広く派閥を越えた交流を』という大会の理念に則って、狩猟大会の社交場は着座式では珍しく席次が決められていない。全ての人が複数あるいずれの社交場にも自由に出入りできるようになっている。
それなのに誰もが迷うことなく、行くべきところへ向かっていく。当たり前だ。派閥を越えた、なんて高尚で美しい理想が実現されることはなく、結局派閥ごとに同じ社交場に集まることになるのだから。
それが自然であるかのように、人の流れができていく。足を止めている人なんて、私以外にいない。夫の交友関係に混ざることも、養家の派閥に馴染めることもなく、どこにも居場所がない人なんて、私だけ。
どこへ行くべきか、考えあぐねて立ち止まっていると、ふと、流れに逆らってこちらにやってくる令嬢が目についた。ヒラリー嬢だ。
彼女は私の前までくると、ドレスの裾を持ち上げて礼をした。
「公爵夫人、ごきげんよう」
「あら、ヒラリー嬢。ごきげんよう。……先日はありがとうございました。あの後、お困りになりませんでしたか?」
私は彼女の顔を見て、チャイルズ伯爵夫人のお茶会でのことを思いだした。
ヒラリー嬢は私を心配し、帰るように忠告してくれた。私に肩入れをする態度はその後不利にならなかっただろうかと気になっていたのだ。
ヒラリー嬢は一瞬、なんの話か思い出すように目を上に向け、そうしてすぐに、「ああ!」と言った。
「ご心配いただきありがとうございます。ですが、夫人が気にされるようなことは何もございませんでした。皆様興が醒めたのか、すぐに違う話題に移りましたし」
「……そう、安心いたしました」
その言葉をそのまま信じていいものかわからなかったけれど、彼女が言うならそれ以上聞き出すのも野暮かもしれない。実際、ヒラリー嬢は本当に何も気にしていないようで、「ところで」と話を変えた。
「公爵夫人は本日参加される社交場はお決まりでいらっしゃいますか? もしお約束がなければ是非ご一緒いただきたく存じまして、お声がけいたしましたの」
彼女の誘いに、私は内心、ほっとした。
若い令嬢に誘われて喜ぶなんて情けないけれど、私にとってはあまりにも都合のいい誘いだった。
「お誘いありがとうございます。是非、ご一緒させてください」
私がそう答えると、ヒラリー嬢は嬉しそうに頷いた。
***
ヒラリー嬢に案内された社交場には、普段関わりのない貴族たちばかりが集まっていた。爵位の低い家門の者や、金で爵位を買った新興貴族たちだ。
彼女たちは私を見ると一瞬ぎょっと顔を歪ませたが、何を言うでもなく、各々の会話に戻っていく。
「公爵夫人、こちらの席へ」
ヒラリー嬢の指したその席には、すでに二人の令嬢がついていた。アシュビー子爵家のカレン嬢とオッグ男爵家のデイジー嬢だっただろうか。
ヒラリー嬢同様に社交界に出たばかりという年齢の彼女たちは、私を見ると慌てて立ち上がった。
「公爵夫人、ごきげんよう」
「あ、ご、ごきげんよう!」
酷く不慣れな挨拶だった。肩が上がり、緊張がこちらにまで伝わってくる。デイジー嬢に至っては首が不自然な方向に曲がっている。
オッグ家は元々商人の家系で、つい昨年授爵したばかりだったはずだ。令嬢の社交界デビューまでに教育が間に合わなかったのかもしれない。
不意に、嫌な記憶が呼び起こされる。
あれは確か、ランドルフ侯爵家に養子入りした日。不格好な礼をする私に、王妃様は家畜を見るような目を向けていた。
目の前の令嬢たちに、あの日の自分が重なった。
「カレン嬢、デイジー嬢、ごきげんよう。本日はお誘いありがとうございます」
できるだけ、優しい声を出したつもりだ。どうか、彼女たちの傷にならないように。
「……! 私たちのことご存知で、いえ、あっ……、はい!」
「ええ、存じ上げておりますわ。本日はこのような開放的な場所ですもの。どうぞ、あまり緊張なさらないでくださいね」
「ええ、ええ……! お気遣いいただき、ありがとうございます……!」
私の心入れはあまり意味がなかったのかもしれない。尚も恐縮する二人を見ながら、そうしていても仕方がないと席に着く。令嬢たちもすぐに続いた。
側で待機していた王室のメイドが紅茶と菓子の準備を始める。紅茶はどこのものだろうか。上品な匂いがふわりと香って、幾分空気が和らいだ。
口火を切ったのはヒラリー嬢だ。
「公爵夫人はこれまでに狩猟大会にご参加なさったことはございますか?」
私はティーカップを手に取りながら答える。
「ええ、結婚する前は毎年参加しておりました。もちろん、狩猟をする立場ではございませんけれど」
「ふふ、そうですね」
ヒラリー嬢が笑うと、カレン嬢とデイジー嬢も安心したように続いた。
「私たちは今季が初めての社交界でして、狩猟大会も初参加になりますの」
「でしたら、どうかご無理はなさりませんよう。こうして自然の中に長くおりますと心は癒されますが、体は思った以上に堪えるものですから」
「お気遣いありがとうございます」
カレン嬢は恥ずかしそうに肩を竦めた。
「ですが、我が領地は自然豊かな土地でして、こうした環境にはむしろ慣れておりますの」
「あら、いらぬ心配でしたわね」
「それにしても、私、驚きました!」
会話に混ざる機会を伺っていたのだろう、挨拶を交わした時からそわそわしていたデイジー嬢が前のめりに話し始めた。
「流石は王室主催の大会ですね。オープニングセレモニーで発表された優勝者への褒美、ご覧になられましたか? 私、あれほど素晴らしい真珠は初めて見ましたの。父と兄には是非優勝していただかないと!」
些か大きな声で興奮するデイジー嬢を、咎めることなくカレン嬢が応える。
「まあ、オッグ男爵は狩猟は得意ですの?」
「まさか! 商売に忙しくて狩猟なんて初めてですよ! それでも、憧れることは許されるはずですわ。どこかでひっそりと私を思っている殿方がいらっしゃるかもしれませんし」
「ふふ、確かにそのようなロマンスには憧れますね」
憧れ、か。
賑やかに話す令嬢たちを前に、私はオープニングセレモニーでのことを思い出していた。
狩猟大会では毎年、狩った獣の種類や大きさによって得点付けがされ、最終日、最も得点の高かった参加者には褒美が与えられる。害獣駆除の功績を讃えていた頃の名残りだろう。
かつては領地や軍備費の融通など実務的なものだったが、近年は専ら宝飾品が中心となっている。優勝者はクロージングパーティで伴侶や娘、或いは婚約者にその宝飾品を贈るのだ。
今年の褒美は、イグラド王国から友好の品として贈られた真珠のネックレスだった。オープニングセレモニーでは、カーティス王子が自らイグラドの真珠を紹介した。
彼は最後に、「私もこの真珠を再び手にできるよう健闘します」と笑った。美しい、隣国の王子様。あの瞬間、どれだけの令嬢が彼に真珠を贈られることを夢見たのだろうか。
私は心の端で、彼の地獄に引き摺り込まれるどこかの令嬢のことを思った。スペアを産むためだけの、不幸な女。
「公爵夫人?」
ヒラリー嬢の声にはっとする。
目の前の令嬢たちは、不安気な表情をしていた。私が黙ったことで、何か失言をしてしまったのではないかと思ったのだろう。なんでもないという風に微笑むと、令嬢たちは体から力を抜いた。
そうしてヒラリー嬢は、上目遣いに私を見つめる。
「あの……改めて、私どもの席にお越しいただいて、ありがとうございました」
「いえ、こちらこそお招きいただきありがとうございます」
今度はカレン嬢が話し始める。
「実は私たち、ヒラリー嬢から公爵夫人の話を伺って以来、ずっと夫人とお話できればと思っていたんです」
「私の話、ですか」
「ええ、星祭りで、公爵夫人がヒラリー嬢に仰ったことを伺って」
星祭りの日。確かに、ヒラリー嬢と話した気がする。あの日、私は彼女になんと言ったのだろう。
思い出そうとしている間に、ヒラリー嬢は頬に手を当て説明を始めた。
「お恥ずかしい話ですが、あの頃私は婚約解消を言い渡され、失意の底にいました。何をしていても惨めで、かと思えばマイルズに対する怒りが湧いてきて、それにも飽きるとまた泣いて……そんな生活をしていたのです」
星祭りで会ったヒラリー嬢を思い出す。賑やかな祭りの中でさえ泣きそうな顔をしていた。あの頃の彼女は、彼女の言う通り「失意の底」にいたのだろう。
「私はずっと、婚約者に愛されない女は価値がないのだと思い込んでおりました。……以前公爵夫人に失礼な態度をとってしまったのも、私は価値がない人間ではないと思いたくて……」
「お互い様だと手打ちにしたはずです」
「いえ、もう一度謝らせてください。……本当に、失礼なことをいたしました。申し訳ございません」
頭を下げるヒラリー嬢に居心地が悪くなる。私だって、傷ついた彼女の弱みを突くような真似をしたのだ。お互い様にした方がよっぽど楽なのだけれど、私たちには立場の違いがある。謝罪を受け入れた方が相手の為になる時もあるのだと、ぐっと飲み込んだ。
「で、でも! 夫人のお話を伺って、ヒラリー嬢も変わったんですよね!」
空気に耐えられなくなったのか、デイジー嬢が慌てて口を挟んだ。無礼な態度ではあるものの、私も話を変えたかったからむしろありがたい。
ヒラリー嬢は顔を上げて話を続けた。
「そうなんです。夫人にお話ししていただいてから思い出すことができたのです。私には私を愛してくれるお父様もお母様もいて、心配してくれる友人もいる。それに私は、私のこともきちんと愛していたはずだ、と。そのような一つ一つを思い出し始めると、マイルズのことがどうでもよく思えたのです。自分のことを愛しているなら、自分を大切にしてくれない人なんてどうでもよくなる。夫人のおっしゃった通りでした」
「……確かにそのようなことをお伝えしました」
「ええ、夫人にとっては大したことではないのかもしれませんが、私は夫人の言葉に救われたのです」
救われる。なんとも大袈裟な。
戸惑う間に、令嬢たちはおしゃべりを進める。
「ヒラリー嬢からその話を伺って、私たちも公爵夫人とお話しさせて頂ければと思っておりました」
「ええ! 夫人の仰ったことは他の方からは聞いたことのない考え方でしたし、落ち込む友人を救ってくださったことのお礼も伝えたくて!」
「私たちのような立場の者からお誘いするのも失礼とは思いましたが、どうかご紹介を、と、ヒラリー嬢にお願いをしましたの。本日は応えてくださり、ありがとうございます」
はしゃぐ彼女たちを見て、私はなんだか彼女たちを騙しているような気分になった。
自分を愛するだとか、大切にしてくれない人をどうでもよく思えるだとか。最もらしいことを言っているようで、当の私は過去を忘れることもできず、縋ることもできず、ただ逃げ出そうとしている。彼女たちに偉そうに言えることなんて、一つもない。
思いつきで出た言葉が偶然響いてしまったようだけれど、当の私は彼女たちが憧れるような人ではないのだ。
身の丈に合わない羨望は、私を弱気にしていく。けれど、そんな風に自分を晒け出せるような立場でもないと分かってもいる。
私は無理矢理に私の中の『公爵夫人』を引っ張りだした。
「こんなに可愛らしいご令嬢方にそのように仰っていただけるだなんて、思いもよりませんでした。私こそ、楽しいひとときをありがとうございます」
自分でも、きちんと演技ができていたと思う。高貴で、聡明で、若い令嬢の悩みをたった一言で軽くする貴婦人。……現実にそんな人なんているのだろうか。
その時、私たちの会話がひと段落するのを見計らっていたように、後ろから男が声を掛けてきた。
「グレイ公爵夫人、よろしいでしょうか」
大会運営の一人だろう。燕尾服を着た年配の男は、私に一枚の紙を差し出した。訝しみながら受け取った紙を開くと、シンプルな筆跡である場所が示されていた。
――ああ、なるほど。
その場所だけで私は、私を呼び出した人物が誰なのかわかってしまった。
手紙を折りたたみ、握りしめる。そうして令嬢たちに不自然にならないよう微笑んだ。
「所用ができましたので、失礼させていただきます。本日はたいへん興味深いお話を伺うことができました。よろしければ、今後とも是非お付き合いくださいね」
「もちろんです……!」
見送りをするという彼女たちを断る。
社交場を離れた私は再度手紙を確認し、一人、そこに示された場所に向かった。




