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17. 星祭り 2

「ずっとお話しできたらと思っていたのですが、奥様はタウンハウスに長く滞在されることがなかったので……」


 庭師は頭を掻きながら笑った。


 本邸で会うことがなかったから退職したのかと思っていたけれど、タウンハウスに異動していたのか。

 つい数時間前に思い出していた彼と比べ、目の前の庭師はシワも増え、薄茶色だった髪の毛は白髪になっていて、嫌でも時の流れを感じる。


 ――私が子どもの頃、グレイ公爵家で遊んでいた時から、もう十年近く経っているのだ。


「……なんの用かしら」


 私の声は自分が思ったよりも冷たく響いた。

 そうして自覚する。私は、私の過去を知る人に会いたくなかったのだ。私と――オフィリア・ハリディとエドワード・グレイの過去を知る人に。


 庭師も私の不機嫌を感じ取ったのだろう。萎縮したように、先ほどよりも小さい声で呟いた。


「あの、奥様、旦那様は……」


 口篭り、下を向く。少しして、決心したように顔を上げた。


「旦那様ともう一度話していただけませんか?」


 心が一気に重くなる。どうして私がそんなことを言われないといけないんだろう。

 ひどい言葉で罵りたいのを我慢していると、庭師は畳み掛けるように続けた。


「差し出がましいとは思いますが、何かすれ違いが起こっていると思うのです。旦那様と奥様は、あんなに言い合う仲ではなかったじゃないですか」

「いつの話をされているんですか」


 だって、私はもう思い出せない。エドワードが私に笑いかける顔が、頭に浮かばない。


「先に変わったのはエドワードです。……話はそれだけでしょうか」


 返事を待つこともせず、私は庭師に背を向ける。昔のことを思い出したくなかった。エドワードと笑い合っていた時のことなんて――


「オフィリアお嬢様……!」


 懐かしいその呼び方に、足が止まる。

 私がいるのはタウンハウスなのに、心があの頃のグレイ公爵領に引き戻されてしまいそうになる。


「奥様、でしょう?」


 そう言うだけで精一杯だった。

 私は振り返ることなく、部屋に走った。


 ***


 夜の街は昼間とは違った賑わいを見せていた。


 ロマンチックに星を見上げたい人たちは、きっと静かな場所に移動したのだろう。街には祭りを口実に騒ぎたい人たちだけが溢れていて、星なんて関係がないと酒を飲み、歌い、踊る。


 喧騒の中、私はヒューに聞いた情報通りの道を行く。お目当ての人はすぐに見つかった。屋台の前、ビールが注がれるのを待っている、ブロンドの男。


「お兄さん、お一人ですか?」


 後ろから声をかけると、男は一瞬体を硬直させた。それからゆっくり振り向いて、不機嫌そうに顔を歪めた。


「夜は一人で出歩かない方がいいって、言ったと思うんだけど」

「なんのことかしら。あなたは以前お会いした時、会いたければ会いにおいでと言っていたと思うんですけど」


 私がとぼけると、カーティス王子は大きなため息をついた。


「お嬢様は昼の祭りだけ楽しんでいたほうがいい」

「お嬢様じゃないわ、私は今、平民の女の子で、あなたは商人のクリス」

「その設定でいくの? ……いいよ、分かった。一人にするくらいなら付き合うよ」


 諦めてくれたのか、カーティス王子はもう一つビールを頼んで私に渡した。


「なんて呼べばいい? アデルとは流石にもう呼べないから、リアでいい?」

「なんとでも」


 乱暴にジョッキをぶつければ、困ったように眉を寄せた。


「行こう。せっかく君と一緒なら、こんな酔っ払いに囲まれた街じゃなくてもっと景色のいいところで飲みたい」


 カーティス王子は私の肩を抱いて歩き出した。甘く香るバニラの匂い。平民の恋人のような距離感に体が固まったけれど、私は今は町娘なのだと自分に言い聞かせた。


 少し歩くと、静かな広場にたどり着いた。

 一見人がいないように見えたが、よく見ると暗闇の中、恋人たちが点在している。ちょうど他の人が気にならず、二人の世界に入れる距離を保って座っているのがなんだか面白い。


 カーティス王子はスカーフを取り出して地面に広げた。自分は地面に直接座って、私にスカーフの上に座るように促す。


「悪いわ」

「いいから、座って」


 私は申し訳なく思いながらも、スカーフの上に腰を下ろした。座っただけなのにぱっと視界が拓けて、目の前に満点の星空が広がった。


「乾杯」


 カーティス王子は持っていたジョッキを上に掲げ、早速飲み始めた。私は一口だけ飲んで、そのままジョッキを両手で抱えたまま夜空を見上げる。


 一年で一番星空が美しく見える日。

 一体、この国のだれが決めたのだろう。毎日夜空を眺めては、昨日より美しい、いや明日の方がと頭を捻らせる人のことを考えると、羨ましくなった。


「昼は参加しなかったの?」


 カーティス王子の問いかけに、私は夜空を見たまま答える。


「昼も参加したわ。あなたはご令嬢と楽しそうにダンスを踊っていた」

「随分可愛いことを言うんだね。嫉妬してくれてる?」

「そうかも」

「……それは、嬉しいな」


 くだらないな、と思う。くだらないやりとりだ。

 私は胸の中のもやもやを流し込むようにビールを呷った。喉が痺れて、私の憂鬱が誤魔化されていく気がする。


「ねぇ、あなた、花冠を作ったことはある?」


 カーティス王子は考えもせず答える。


「ないな。君は作るのが得意そうだ」

「……ええ、そうね」


 本当は不器用なのだけれど、そんなことを言って何になる。また一口、ビールを飲み込む。


「何かあった?」


 カーティス王子は私を見つめて言った。彼の指が私の頬に伸びて、張り付いた髪の毛を掬う。


「話したいって顔をしている」


 話したいことなんてなかった。

 敬語をやめて、クリスだなんて呼んでみても、結局彼は外国の王子様だ。私が彼に話していいことなんて、一つもない。


 代わりに私は、わざとらしく首を傾げて、彼を見つめ返した。


「あなたの話が聞きたいの」

「俺?」

「イグラド王国のこと、知りたい」


 カーティス王子の瞳の奥にほのかな期待の火が灯った。

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