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16. 星祭り 1

 花冠を着けて、楽しそうにダンスをするカーティス王子。私と踊ったようなパーティダンスではなく、テンポの速い、市民の踊り。顔を見合わせて踊る、相手はどこのご令嬢だっただろうか。


 ……なんだ。結婚相手、ちゃんと探しているのね。


「カーティス王子はオフィリア様を好いているという噂をお聞きしましたが」

「……バカね。私、既婚者よ?」


 動揺を悟られたくなくて顔を下げると、道の端にいた小さな女の子と目が合った。彼女は嬉しそうに走ってきて、私に花冠を渡す。


「おくさま、花冠をどうぞ」

「ありがとう。あなたが作ったの?」

「私とお姉ちゃんで作りました。お姉ちゃんは、あそこ」


 少女の指差す先を見ると、少女より少しだけ大きな女の子が、同じように花冠を売っていた。

 私はアデルに頼んでいくつかの銅貨を少女に渡してもらう。少女は礼を言って、とてとてと元いた場所に走っていった。


 可愛い花冠を手にした私たちは、周りの人がそうしているように花冠を飾った。


「似合いますね、さすが春の妖精」

「……もう、その話はやめてって言ったじゃない。ほら、あなたたち、遊んできていいわよ。私も一人で好きにしているから」


 彼女たちは礼をして、それぞれ待つ人のところへ歩き出した。


 賑やかなお祭りの真ん中に、私だけが残される。

 なんだか急に寂しくなって、だけどすぐに帰る気にもなれず、広場のベンチに腰を下ろした。


 一人なのに浮かれたように花冠を着けているのが滑稽に思える。売ってくれた少女には悪いけれど、私は花冠を外して抱え込んだ。


 小さく可愛らしい花で編まれたそれは、思った以上によく出来ていた。私も子どもの頃は花冠をつくって遊んでいたけれど、不器用でいつも花を萎れさせてしまっていたものだ。


 ――花冠を最後につくったのは、いつだったろうか。


 思った瞬間、記憶が向かい風になって私に吹き荒れた。


 幼い頃、十歳を越えたあたりだっただろうか。

 あの頃、まだ父母が健在で、私はオフィリア・グレイでもオフィリア・ランドルフでもなく、――オフィリア・ハリディだった。


 領地が近く、両親の関係が良かったためよくお互いの領地を行き来していた友人がいた。両親たちがなにか難しい話をしている間、私たちはよく二人で遊んでいた。

 彼の邸宅には綺麗な花が咲いていた。庭師のおじいさんに間引いた花をもらって、私たちはよく花冠を作っていた。


 彼は私とは正反対で、無骨な見た目の割に手先が器用だった。私の萎れた花冠を大事そうに受け取って、代わりに彼の作った美しい花冠を私に被せる。

 あの男の子は、そういう子だった。いつも私に一番いいものを譲ってくれるのだ。


 子どもの頃、私は確かに幸せだった。優しい太陽に守られているみたいな時間が、この先もずっと続くものだと疑っていなかった。


 ……そんなこと、あるわけないのに。


 私の頭の中に広がっていた世界は、急に色褪せ見えなくなった。私の前には現実だけが残る。人々が笑い合う中、一人で時間を潰すしかない私の現実。


「グレイ公爵夫人」


 声を掛けられ、私ははっと顔をあげた。目の前で緊張したように肩を上げた令嬢が私をじっと見つめている。


「……あら、ヒラリー嬢。ごきげんよう」


 私が応えると、ヒラリー嬢は勢いよく頭を下げた。


「先日の茶会では申し訳ございませんでした。身の程も弁えず、公爵夫人のことを……」


 彼女の言葉はそこで途切れる。


 笑い物にして、とは、言いづらいわよね。なんて嘲りながらも、私は彼女のことを恨んではいなかった。まだ若く、爵位が高いわけでもない家のご令嬢である彼女があの場でできることは、より多数派の人たちと同じ態度を取ることだと、私は十分に知っている。


「私もわざとあなたを傷つけることを言いましたわ。おあいこということにしましょう」

「……っ、寛大な御心に感謝いたします」


 令嬢は目に涙を溜めて、もう一度頭を下げた。

 そこまで丁寧に私に接するメリットなんてないのに。きっと、本当は優しい子なのだろう。


 私は彼女に別れの挨拶でもしようと思ったが、彼女は手をもじもじとさせて、何か言いたそうにしていた。


「まだ何かございますか?」


 聞くと、ヒラリー嬢は口を小さく動かした。


「……私、まだマイルズのこと、諦められていないんです。公爵夫人にこんな話を聞いていただくなんて烏滸がましいとは存じますが……」


 マイルズ、とは、彼女の別れた婚約者だったか。確か、彼の心変わりが原因の婚約破棄だったはず。


「聞くだけなら構いませんよ。上手なアドバイスを期待されても困りますが」


 私は彼女が座れるように、少しだけ横に移動する。彼女は縋るように私を見た後、隣に腰を下ろした。

 膝の上でまたもじもじと手を動かして、令嬢は小さな声で言う。


「私、公爵夫人が仰っていたように私から関係を断つなんてできませんでした。彼に愛していないと、一生愛するつもりなんてないと言われても、まだ彼のことが好きなんです。ずっと、未練ばかりで。人のことを笑えるような人間じゃないんです、私……」


 どうしてそんなことを私に話すのだろうか。特別に親しい仲ではないはずなのに。……特別に親しくないからこそ話せることもあるのかもしれない。


「おかわいそうに」


 ヒラリー嬢の手に触れると、艶やかで柔らかかった。これほど可愛らしい子が、誠意のない人に傷つけられている。他人事ながら、少し、やるせない。


「私たち、もっと自分を愛してあげればいいのですけど」


 ぼそりと呟いた言葉に、ヒラリー嬢は目を丸くした。


「自分を、ですか?」

「え? ……ええ。自分を愛しているなら、自分のことを大切にしてくれない人なんてどうでもよくなると思いませんか? それなのに、傷つく人ばかりを追ってしまって」


 私の言葉をどう受け取ったのか、彼女は瞬きを一つすると、そのままじっと私を見つめた。


「……夫人は、自分を傷つける人に恋をしたことがあるのですか?」

「私、ですか?」


 突然の質問に答えられずにいると、ヒラリー嬢はしまったと口元に手をやった。


「申し訳ありません。夫人に恋をする方のお話はよく耳にするのですが、夫人の恋については伺ったことがないので、私……」


 恋、か。

 なんだか遠い世界の話のような気がする。私を憎む人と結婚して、もう三年も経つのだ。


「……さぁ、どうでしょうね」


 私の誤魔化しはどのように伝わったのだろう。ヒラリー嬢は「出過ぎたことをお聞きいたしました」と目を伏せた。


「お時間を頂いてしまって申し訳ありませんでした。自分勝手に話してしまいましたが、夫人に聞いて頂けて、楽になりました」

「いえ、何も返せていませんが」


 私はただ彼女の話を聞いただけだ。それでも、否定されずに吐き出すことの大切さはよくわかる。

 ヒラリー嬢は最初に声を掛けてきた時のように窺う視線を向け、意を決したように口を開いた。


「あの……今度、夫人を私のお茶会にご招待してもよろしいでしょうか。私、本当は夫人とゆっくりお話したいと思っていて……」

「私を笑うためのものでないなら、お断りはしませんよ」

「それは、もちろんです! 私の親しい友人ばかり集めるつもりですから、先日のようなことにはなりません!」


 彼女の友人たち、というのは、私よりも少し若いお嬢さんたちだろうか。少し居心地が悪いようにも感じるし、邪魔になるようにも思うのだけれど、彼女が呼びたいというなら、気にすることでもないのかもしれない。


「楽しみにしていますね」


 そう返すと、彼女は花のように笑った。


 ***


 ヒラリー嬢と別れてすぐ、私はタウンハウスに戻った。浮かれる人たちの中で一人で楽しむのも馬鹿らしくなってしまったのだ。

 花冠も乱雑に腕に掛けて、なんだか虚しさが増していく。


 ただでさえ沈んでいたのに、タウンハウスに着いて部屋に戻ろうとした時、不運にも会いたくない人に会ってしまった。


 エドワードは私に気付くと、さっと目を逸らした。それだけで私の胸は縄で縛られたように苦しくなる。


 別に、私だって彼と話したいわけじゃない。けれど……最近は、決していい内容ではなくても、それでも話す機会が増えていたのだ。

 それなのに、こうやってまた無視をされると……結局、私たちはただ結婚をしているだけ、それ以外の関わりはないのだと思い知らされる。今さらだ。シャーロットが来るまでの三年間、ずっとそうだった。エドワードは私と関わろうとしない。そんなこと、分かっていたはずなのに。


 私は彼と同じように目線を下げて、歩き出した。私とはなんの関係もない、私のことを大切にしない人。私は私のことを大切にしない人なんて、どうでもいい。……どうでもいい。


 エドワードの真横を、通り過ぎる。息を止めて、足を踏み出す。一歩、一歩。エドワードを見ないように、ただ、真っ直ぐ。


 彼の姿が視界の隅にも映らなくなって、私はほっと息をついた。瞬間、ぐるんと体が回り、斜めに反り返る。倒れないよう反射で左足を引く。一秒遅れて、肩を掴まれたのだと理解した。


 突然のことに、心臓が大きく揺れる。エドワードに気付かれないよう息を吐いて、私は精一杯、彼を睨みつけた。


「……なんでしょう」


 私を引き留めた男は鋭い眼光で私を見下ろしながらも、その奥には戸惑いの色を滲ませていた。まるで私を引き止めるつもりなんてなかったかのように。


 本当に、なんなのよ。


 いい加減離して。叫ぶ前に、エドワードはぼそりと呟いた。


「それは、誰が君に作ったものなんだ」


 なんのことを言っているのか、わからなかった。ぽかんとする私に、エドワードは手引きするように目玉を動かす。視線の先には、私の腕にかけられた花冠があった。


「これ、ですか? 花売りの少女から買ったものですが。欲しければ差し上げますよ」


 私は腕から花冠を取って、エドワードに突き出す。頭に乗せてやろうかとも思ったけど、私の身長だと彼の協力なしに乗せることは出来そうにない。


 エドワードは花冠を睨みつけた後、頭を掻き、ため息をついた。


「……欲しくて聞いたわけじゃない」


 だったら、どうして。声に出す前に、エドワードは私から手を離し、もともと向かっていた方向へ歩き始めた。ただでさえ長い足をずんずんと進めるものだから、すぐに私の声なんて届かない場所にいってしまう。


 彼の後ろ姿は、私を振り返ることもなく馬車の中に吸い込まれた。門が開き、馬が走り始める。そうやって、エドワードの姿が完全に見えなくなるまで、私は呆けたように彼を見つめていた。


「一体、なんなの……」


 左肩が熱い。グローブ越しに伝わった彼の体温が私に纏わりついたまま、離れてくれない。

 私の肩なんて簡単に握り潰せるような手をしていた。けれど、痛くはなかった。狼のような鋭い眼光と触れただけの彼の手がちぐはぐだった。


 私は大きく頭を振る。

 こんなこと、考えなくていいことだ。エドワードがどうして引き止めたのかとか、何が言いたかったのかとか、そういうことは気にしない。あの男のことなんて、どうでもいい。


 部屋に戻ろう。クッキーがまだ残っていたはずだ。紅茶を飲んで甘いものを食べれば、嫌な感情なんてすぐに誤魔化せるはずだ。


 私は黙って歩き出す。そうして数歩、歩いたところで、庭の影から私を呼ぶ声がした。


「奥様」


 庭の隅、一人の老翁が立っていた。土で汚れた服に、剪定バサミの入った籠を背負っている。彼は日避けの帽子を取って、丁寧に胸の前に抱えた。


「私のことを覚えておいでではないですか」


 不安気に私を見るその顔に、見覚えがないわけではなかった。それどころか、つい数十分前に彼のことを思い出していたのだ。


 子どもの頃、親しかった友人の家の、――グレイ公爵家の、庭師のおじいさん。


「覚えていますよ、……ニックじいさん」

「ああ、よかった……!」


 笑いかけると、ニックじいさんは皺だらけの顔をくしゃりと縮こめた。

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