15. ティーパーティ2
高く響く笑い声に包まれて、私はもう嫌になってしまった。こんなに美しい庭で、どうして私たちはこんな話をしなければならないのか。
「……エイベル・ランドルフは遠い親戚ですから。王妃陛下の侍医をされているので、たまにお話しする機会があるだけですわ」
「あら、たまにお話しする機会があるだけであれ程好かれるなんて、さすがですわ。皆様ご覧になりました? エイベル様の公爵夫人を見る目!」
エイベルの気持ちの悪い目を見ていたなら、私の受ける苦痛も分かってはくださらないのかしら。分かってくださらないのでしょうね、皆様、愉快そうに笑っていらっしゃいますものね。
オーモンド伯爵夫人は一層大きな声で囃し立てる。
「公爵夫人は……ふふ、グレイ公爵以外の男性には愛されるようですね」
ああ、彼女はこの台詞が言いたかったのか。
オフィリア・グレイは男たちに端なく愛想を振り撒いているくせに、夫には見向きもされていない、それどころか愛人に奪われている、と。
……くだらない。
「私の気を引くのがお好きな方ですから」
私は周りを見渡した。こんな下品な話題の時にすらお上品に口元を押さえて笑う、一人の夫人に目をつける。
「チャイルズ伯爵夫人はどう思われますか? 伯爵の火遊びには毅然と対応していらっしゃるのでしょうか」
「……なんのことでしょう」
チャイルズ伯爵夫人はまさか自分に矛先が向くと思っていなかったのか、しゃっくりをした時のように喉をひくつかせた。チャイルズ伯爵は数年前から若い使用人を大量に雇い入れて、夜毎寝室に招き入れているという噂だ。
私は答えられないチャイルズ伯爵夫人から視線を逸らして、その奥の令嬢に声を掛ける。
「先輩方にお聞きしたくなりましたの。ヒラリー嬢、やはり殿方が他の女性に気を移した時は、女性の方から関係を断つ決断をすべきとお考えですか?」
「なっ……」
パークス子爵家のヒラリー嬢はつい先日、婚約破棄をしている。婚約者が別れたいと申し出たのを彼女が醜く泣き縋ったのだと笑われていたことを、ここにいる人たちは皆知っている。
私を馬鹿にしていた人たちは、男性の移り気に振り回されたことがある者ばかりだ。皆、心の傷を掘り返されたくないのか、私と視線が合わないように下を向いた。
つくづくおかしな人たちだ、と思う。どういう気持ちで私を笑うことができたのだろう。
「私たちがいがみ合う必要などないでしょう」
私はため息をついて立ち上がった。これ以上笑い物になることも、誰かをわざわざ傷つけることもしたくなかった。
「オーモンド伯爵夫人」
私が声を掛けると、彼女は肩をびくつかせた。きっと彼女にも、触れられたくないことがあるのだろう。そんなこと、興味もない。
「ご招待ありがとうございました。とても美しい庭園でしたわ。次はもっと、澄んだ心で楽しみたいものです」
それだけ言って、私はその場を後にした。
私を見送る花たちは相変わらず美しく、人間の諍いになんてなんの興味もないように風に揺れていた。
***
窓を開けると夜風が一気に吹き込んだ。私はすぐに笛を吹く。相変わらずなんの音もしないそれは、だけど初めて鳴らした時の不安を感じることはなかった。
「お疲れ様」
木の枝に逆さにぶら下がって現れたヒューに、私は小さく噴き出す。
「なにかしら、その登場の仕方」
「お気に召したのなら何よりだ」
「ふふ、変なことしてないで中で話しましょう」
私が中に入ると、ヒューもそれに続いた。
ヒューは足音も、衣擦れの音さえもさせないから、部屋には私の出す音だけが響いた。
私はヒューに準備していた席に座るよう促す。
彼が席に着く間に、ティーカップに温めておいた紅茶を注いだ。湯気とともに、ふんわりとした華やかな香りが立ち込める。机の上には先日外出した時に買っておいたクッキーもある。
「昼間は急に呼び出してしまってごめんなさい。上手く隠れられたかしら」
「ああ、あれくらいなら問題ない」
ヒューは紅茶もクッキーも好きじゃないのか、手を出さなかった。彼をもてなすために準備したのに、これでは私の独り占めだ。別に、構わないけれど。
私はクッキーを手に取って小さく齧った。真ん中に宝石みたいにあしらわれたいちごのジャムが甘酸っぱくて、紅茶で流し込むのにちょうどいい。
「案外ちゃんと言い返せるんだな」
お茶会でのやり取りのことを言っているのだろうと、すぐに分かった。なんだ、近くで見ていたのか。
私は外向けの公爵夫人を演じているところを彼に見られたことが恥ずかしくなって、誤魔化すように目を逸らした。
「私、ちゃんと言い返せてたかしら」
「ああ、十分威厳があったように思う」
「威厳があればそもそも馬鹿にされることもないんだけど」
結局、私はただのお飾りだと、みんな分かっているのだ。分かっているから、馬鹿にする。
だからと言って、私も彼女たちをやり込めたいわけではなかった。
昼間の対応を思い出す。他人の弱いところを探って、いやらしく責め立てるやり方。
「嫌なのよ、ああやって人の弱みを叩くの。でも、言われっぱなしだと、王妃様に怒られてしまうから」
自己嫌悪に陥って、愚痴をこぼしてしまった。こんなことを聞かせるのも悪いと思ったけれど、一度口をついて出たそれは、止まることなくあふれ出る。
「彼女たちもなんで私に嫌味を言うんでしょうね。私たち、皆男の人たちに悩まされている仲間なんだから、手を取り合えばいいのに」
「難しいだろうな。彼女たちにもプライドがある」
「プライド?」
「自分が一番惨めではないというプライドだ。あんたをあの場で一番惨めにすることで、自分たちはまだマシだと、そう思わないと耐えられないんだろう」
「惨めな思いをしてるのは誰のせいだって話なのよ」
昼間の彼女たちの顔が浮かんだ。私が反論をしている時、自分が責められているわけでもないのに泣きそうに俯いていた者もいた。彼女たちが傷ついているのは、私のせいではないはずなのに。
そこまで考えて、はっと思い出した。
「そういえば、私、報酬を渡すために呼んだのだったわ」
机の下に準備しておいたトランクケースを持ち上げる。突然呼んだ分高くなるのかしら、なんて思ったけれど、ヒューは私を制止した。
「今日の分は必要ない。確かな情報じゃないものに報酬は受け取れないんだ」
「あら、そう。なんだか申し訳ないわね」
「逃亡先の情報についてあんたを待たせているから、お互い様さ」
逃亡先。彼に最初にお願いした情報だ。あれから進捗報告がなくて、気になってはいたのだ。
「やっぱり、難しいのかしら。王妃様に見つからずに過ごせる逃亡先って」
ヒューは頭を横に振った。
「見つからずに過ごせる場所自体は、少ないが、まあ、ある。だけど、俺たちが探してるのは、あんたが無事生活できる場所だ。逃げたはいいものの餓え死にしたり、年寄りの愛人になったりするのは嫌だろう? その後の生活のことを考えると、すぐには見つからない。悪いが、数ヶ月は待ってもらうことになると思う」
「……すごくしっかりしたところなのね、あなたの組織は」
正直に言うと、私はそこまで考えられていなかった。
ただこの場所から逃げられれば全て解決すると思っていたのだ。その後の生活なんてどうにでもなるのだと。言われてみれば、甘すぎる。
「よく知らずに難しいお願いをしちゃって、なんだか申し訳ないわ」
「申し訳なく思うなら、代わりにたくさん用事をつけてくれればいい」
ヒューは右手でお金のマークを作って、ニッと口の端を上げた。いたずら気な表情に、私も楽しい気分になる。
「そうね。じゃあ、今夜はチェスのルールでも教えてもらおうかしら」
私は机の上のクッキーと紅茶をナイトテーブルに移動させ、空いた場所にチェス盤を広げた。月明かりに照らされた白黒の駒を行儀よく並べていく。
「久しぶりだな。駒の動かし方、忘れてるかも」
「あらそう? 私、結構強いのよ」
「……ははっ、俺が教わる立場だな」
ヒューはクイーンを持ち上げて、静かに盤上に置いた。
***
「星祭り?」
侍女たちに髪を整えられながら、私は聞き返した。
アデルが私に一枚の紙を渡す。大衆向けのポスターだろうか、かわいらしい絵とともに案内が書かれている。
「そういえばあったわね、そんなお祭りも」
「この時期に首都にいるのも久しぶりですからね」
アデルは事実か嫌味か分からないことを言った。
「参加されますか?」
「そうね、他の予定も入っていないし、行きましょうか」
私は退屈していたし、なにより侍女たちが浮き足だっていたように見えて、二つ返事で星祭りの参加を決めた。
星祭りは、一年で一番星が綺麗に見えると言われている日に行われる祭りだ。参加者は季節の花冠を頭に飾って、昼は屋台を回り、夜には酒を飲みながら静かに星を見上げるのだ。
もともとは庶民の祭りなのだけれど、昼の部は社交界シーズンで王都に集まった貴族たちもお忍びで参加することも多い。
私も結婚するまでは毎年顔を出していた。
結婚してからの三年は、王宮でのパーティが終わるとすぐに領地に帰っていたから、久々の参加になる。
街は活気に満ち溢れていた。
花冠をつけた人たちが、広場で踊ったり、出し物を楽しんだりしている。星祭り、というロマンチックな行事だからか、若いカップルたちも目についた。
「なんだか皆さん楽しそうですね」
侍女の一人であるベッキーが手を繋ぎはしゃぐカップルを見て羨ましそうに呟いた。今日一緒に来た侍女は、アデル、ベッキー、ドナの三人で、三人ともお年頃の令嬢だ。普段は王妃様に言われ私の面倒を見ているが、彼女たちにだってプライベートが存在するのかもしれない。
「あなたたちも意中の方がいれば会いに行ってもいいのよ」
私がそう言うと、三人は目を輝かせた。
「本当ですか? 実は私、約束があって」
「私も……」
「私は男性との約束はありませんが、幼い妹と回れないかと思っていたんです」
「そうなの。最初からそう言ってくれればよかったのに」
だから星祭りのことを話題にしたのか。遠回しに言わなくてもいいのに、変なところで遠慮をさせてしまったようだ。
「いいわよ、時間になったら好きに回って」
私がそう言うと、彼女たちは今まで見たことがないような笑顔を向けた。
この三年間、私の都合に合わせて王都の滞在日数を決めていたけれど、年頃の彼女たちの事情をもっと考慮してあげるべきだったのかもしれない。
反省をしていると、ベッキーが噴水広場の方を見て言った。
「あれ、カーティス王子ではないですか?」
彼女の指す方に目を向けると、カーティス王子と可愛らしいご令嬢が楽しげにダンスを踊っていた。




