12. シャーロット・ブレアム
「男爵閣下だなんて。シャーロットとお呼びください」
アメジストの瞳を輝かせる彼女に、いつの間にそんなに親しくなったかしら、と思う。私たちは彼女が公爵邸に移り住んで来た日と彼女のドレスを選んだ日の二回しか話したことがないはずだ。
私の不快を受け取ったのか、彼女は丁寧に礼をした。
「同じ邸宅に住んでいながら、あまりお話しできませんでしたもの。公妃様とはもう一度お話しさせていただきたいと思っていたのです」
「……気にしておりませんわ」
むしろ今気になるのは、彼女が周りに聞こえる声で同じ邸宅に住んでいると吹聴したことだ。周囲の人は私たちの様子を愛憎劇を見るときのような下卑た視線で眺めている。
「……バルコニーへ行きましょうか」
見せ物になることに堪えられず、私は近くのバルコニーに逃げ込んだ。会場の籠った空気から解放されて束の間息がしやすくなるが、私が誘ったのだ。シャーロットは当たり前に私の後をついてくるし、そうなるとバルコニーもただ寒いだけの場所に変わる。
私は仕方がなしにシャーロットの方を振り向いた。
彼女の不思議な色の髪の毛が月明かりに照らされて、魔法のように輝いた。私は彼女の魔法にまんまと掛かって、目が逸らせなくなる。相変わらず、嫌味なくらい魅力的な人。
私の視線に気付いて、シャーロットは得意げにくるりと体を回した。
「公妃様に選んでいただいたドレス、とても好評なんです。夜のパーティ会場で見ると試着した時よりも美しく見えるのですね」
「……そうですか」
「公妃様に選んでいただいたと申し上げると、皆様公妃様の慈悲深さに驚いておりましたよ。私、このようなパーティに参加するのは初めてでしたので馴染めるか不安だったのですが、皆様声を掛けてくださって。優しい方々ばかりなのですね」
よく喋る人だ。女性にしては低めのハスキーボイスは、だけど彼女の明るい雰囲気のお陰かむしろ親しみやすい印象を与えた。人に好かれることに屈託がないのだろう。他人の悪意にすら気付かないほどには。
「あなたに話しかける人たちが皆あなたに好意を抱いているわけではないと、覚えておいた方がいいわ」
余計なお節介だと思いながら口にすると、シャーロットはなぜだか嬉しそうに顔を歪めた。茶目っ気たっぷりに首を傾げて、一歩、私に近付く。
「やっぱり、公妃様はお優しいですね。公爵様から伺っていた印象とは随分違います」
……私の何を。
怯んでしまったことを見抜かれたのだろう、シャーロットは楽しそうに私を煽る。
「公爵様がなんと言っていたか、気になりますか?」
「いえ、少しも」
どうせ碌なことじゃない。私に面と向かってあれだけの暴言を吐くのだ。隠れたところでなんて、きっともっと、酷いことを言っている。
シャーロットは「そうですか」と言ったあと、体を横に曲げて、彼女よりも背の低い私の顔を覗き込んだ。
「私、公妃様にはもっと意地悪されるのかと思っておりましたわ。実際、公爵家に住み始めた頃は不吉な出来事もございましたし」
「不吉な出来事?」
あなたもご存知でしょうけど、というような言い方だ。もちろん私に覚えなんてなくて、きっと、アデルたちが王妃様の命令で彼女に何かをしたのだろう。
ああ、だからエドワードは私がシャーロットに近付いただけで異様な警戒を見せたのか。……そうだとしても、やってもいない罪を疑われるのはいい気分ではないけれど。
「それは、お可哀想に」
「ええ、護衛騎士をつけていただいてからはそんなこともなくなったのですけれど」
へえ、そう。私には、結婚して三年間、騎士どころか、侍女も使用人も、誰一人つけてくれなかったくせに。
「何を仰りたいのですか」
苛立ちが最高潮に達して強い口調で聞けば、シャーロットは私の両手を掴んで、可愛い子ぶるように肩をすくめた。
「私、公妃様のことをもう少し知りたいなと思って」
……この人たちは二人して、私を馬鹿にするのが楽しくて仕方がないのかしら。
手を振り払って、ふざけないでと叫んでやりたい。だけど私は、自分の立場や今いる場所を忘れて感情的になれるほど可愛くはなかった。
「……招待をいただければ、断りはしません」
目を逸らしてそう言うのが私の精一杯だ。
シャーロットは嬉しそうに「やっぱり、お優しい」と微笑んだ。
***
王宮のパーティから数日、私はタウンハウスで呆けていた。
あの日発覚した私の失態は王妃様からきっちりとお叱りを受け、それでなくても沈んでいた気持ちに体までが傷を負い、私はしばらく部屋から出られなかった。
そうして傷もだんだんと治ってきた頃、いい加減、部屋にいるのも飽きがきた。
体を起こし、準備を始める。
侍女たちはもともとランドルフ侯爵家が選んだ子たちで、私に彼女たちのスケジュールを決める権利も、確認する方法もない。今日、私のそばにいないということは、きっと何か用事でもあるのだろう。
首都にいる間は一人になることは珍しいことではなく、私は自分でドレスを選び、髪を整え、化粧をする。慣れたもので、彼女たちに飾りつけられる時と遜色なくできていると思う。
準備が終わると門まで行き、番をしている者に声を掛けた。
「馬車を一台、出せるかしら。街へ行きたいのだけど」
門番は面倒くさそうに予定表を確認し、私に声を掛けることなくどこかへ行ってしまった。仕方なく待っていると、しばらくして同じようにやる気のない御者が現れた。
「空いてますから、いいですよ」
それだけ言うと、欠伸をしながら御者台に乗り込んだ。
ああ、軽んじられているな、と思う。いつものことだ。今さら何かを言うつもりもないけれど。
キャビンに乗り込むと、馬車はすぐに発進した。
地面の揺れを感じながら、それでも外に出られるだけマシだと言い聞かせる。別に、護衛騎士も侍女も、いなくたって不便はない。むしろ監視されずに自由を謳歌できるなんて、滅多にない幸運じゃないの。
街に着いて馬車を降りると、私が何を言う間もなく、馬車はもと来た道を戻っていった。帰りはどこかで辻馬車を拾うことになるだろう。これも、何の問題もないことだ。街には辻馬車がたくさん走っているのだから。
言い聞かせて、私は忘れることにした。
せっかくの息抜きの時間にくだらないことで悩みたくもなかった。
そうは言っても特別にやりたいことがあるわけじゃない。街を歩きながらふらふらと店を見渡して、そういえば新しく出来たカフェが人気だと聞いたことを思い出した。
甘いものを食べるのも久しぶりだ。ふんわりとした生クリームを想像すると胸が躍った。大丈夫、私は一人でも、きちんと自分を楽しませることができる。
カフェに入ると二階のバルコニーに案内される。先客が何組かいたが、大きなパラソルは上手に姿を隠していた。
席に座ってケーキと紅茶のセットを頼む。チョコレートとイチゴのケーキを、それぞれ一つずつ。
給仕人は丁寧に注文を確認して席から離れていった。
涼しい風が吹いて、私はやっと一息つけた気がした。今は私を邪険に扱う人も、傷つける人も、望まない欲望をぶつけてくる人もいない。ひとりぼっちで、自由な時間。
パラソルの外から足音が聞こえた。さすが人気店、提供が早いのね、なんて感心しながら視線を移すと、そこにいたのは給仕人ではなくて。
「ご一緒させていただいてもよろしいでしょうか」
太陽を反射する美しいブロンドが、パラソルの下から覗き込んだ。




