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118. エピローグ 3

 ゆっくりと一つ、瞬きをする。幻覚であればすぐに消えるはずだ。私はこの部屋に焚かれた甘い香に酔っているだけ。けれど何度瞬いてみても目の前のエドワードは消えることはなかった。


「……なん、で、ここに?」


 エドワードはその場に立ったまま唇だけを動かす。


「明日のタマラ王女の誕生日パーティに招待されているんだ。エストラシアとシェルヴァは国交を結んだばかりだろう」

「そうじゃ、なくて」

「……ああ」


 エドワードは斜めに視線を外して、先程よりも声を小さくして言った。


「ヨナーシュ殿下が案内してくださったんだ」


 ——君の部屋にプレゼントを用意しておいた。プレゼントを見た君はきっと俺のことを、さすが愛の国の王子だと見直すはずさ。


 ああ、タマラ様はヨナーシュ様にまで私の恋の話を伝えていたのか。


「……君は」


 エドワードは一拍置いて続ける。


「この国での生活はどうだった」


 どこか本質を避けているようなぎこちない質問だった。私もまた、ぎこちなく返す。


「……楽しかったわ。タマラ様への授業も学ぶことが多かったし、王宮に出入りさせて頂いていることで多くの人との関わりもできた。もちろん、大学もそう」

「ああ。君が口を利いてくれたことで、シェルヴァ公国からの留学生を受け入れてもらえた。留学生たちの交流が国交樹立の一助となったのは間違いない」

「……そう、よかった」


 あなたはどうだったの? この三年間、何があった?

 口を開いたけれど、言葉は喉の奥につっかえて出てくることはなかった。


 三年だ。三年間、私とエドワードは約束を守って私的な連絡を取っていなかった。だから私はエストラシア王国とシェルヴァ公国の政治的な関わりについては知っていても、エドワード個人の状況は何一つ知らない。この三年間、エドワードが何を思っていたのか、誰と一緒にいたのか——誰かと一緒にいることを決めたのか、私は知らない。


「君が」


 肩が跳ね上がる。


 君が他の女を見つけろと言ったから、俺はその通りにした。そんな言葉が頭を過ぎる。三年前、俺を諦めてくれてありがとう。おかげで俺はシェルヴァ公国のためになる女と結婚したよ。


 いやだ、やめて。そんなこと、言わないで。


 恐ろしくてたまらないのに、私はエドワードから目を逸らすことができない。


 エドワードの唇が小さく震える。私の心臓は、潰れそうになる。


「三年前、君が行方不明になった時、俺はどれほど……」


 灰色の瞳が部屋の灯りで光った。光はすぐに、こぼれ落ちる。


「……え!? うそ、泣いてるの!?」


 私は怖がっていたことなんて忘れてエドワードに駆け寄った。腕を伸ばし、両手で彼の頬に触れる。親指で彼の頬を拭うと、温かい涙が指先に沁みた。


「なんで、泣いて……?」

「泣きもするさ! 俺がどれだけ君を心配していたか。それなのに君は捜索の礼をしただけで、一度だって連絡を送ってこなかった」

「あなただってそうじゃない」

「君の信念を邪魔したくなかったし、俺だってするべきことがあった。それでも」


 エドワードが私の手に彼の手を重ねた。大きな彼の手のひらは私を簡単に包み込む。


「会いたかった」


 胸の奥が疼いた。先程までの自分が馬鹿らしく感じる。私の安否を心配して泣くような男が、私以外の女を選べるわけがないじゃないか。


「……私だって、ずっと、会いたかった」


 香木の香りにあなたのコロンを思い出した。お転婆な王女様にかつての私たちを重ねていた。ワインを飲めばあなたとのキスを思い出して、見上げる夜空が違うだけで心が張り裂けそうになった。


 遠いこの地でも、私はあなたばかりだった。


「オフィリア」


 エドワードの右手が私の頬を撫でた。親指がゆっくりと私の唇に触れるから、甘えるように指先を食む。力が抜けたようにふっと笑って、指先が離れる。そうしてすぐに、唇が触れる。


 お互いを確かめるように、何度も角度を変えて唇が触れる。どちらのものか、涙の味がした。舌で拭えば、いつの間にかキスが深くなる。


 好き。好きよ、エドワード。キスの合間に伝えようとするけれど、声になる前に塞がれてしまう。次第に頭がぼやけていって、言葉なんてどうでもよくなった。私たちはただ、夢中で唇を重ね合った。


「君のいない三年は長かった」


 エドワードが切羽詰まった顔でそう言った。あれだけのキスの後なのに息が上がっているのは私だけで、悔しくて、意地悪がしたくなる。


「私は一瞬だったわ。充実してたもの」


 エドワードは一瞬表情を固めて、それからすぐに切なそうに顔を歪めた。


「……酷い女だ」

「酷い女は嫌い?」

「好きすぎて、おかしくなりそうだ」


 そんなの、私だって。


「オフィリア」


 グレーの瞳が私を射抜くように見つめる。


「君は今、自分のことを愚かだと思うか」


 ——私をあなたに好かれているというだけで公妃の座につくような、愚かな女にさせないで。


 三年前、私がエドワードに言った言葉だ。あれから私は変われたのだろうか。考えるまでもなく、首を振る。


「私はこの国で多くの要人や前途有望な研究者との繋がりをつくれたし、そのことで公国に貢献もできたと思っている。それに、私自身だって人を守れるだけの知識はついた。私は公国にとって、結構役に立つ女だと思うの」

「そうか」


 エドワードはそれだけ言うと、私の前に片膝をついて座った。突然のことに驚いたけれど、真剣な目をしたエドワードを前に口を噤む。


「俺は情けない男だ。自分のことに必死で君を傷つけてしまった。それなのに君は、俺を見捨てないだけでなく、公国の為にと一人でこんな遠い地まで来てしまった。勇敢で、賢くて、俺ではとても釣り合わないかもしれない」


 エドワードが私の右手を取る。ゆっくりと持ち上げて、口元へ運ぶ。


「それでも俺は君と一緒にいたいんだ。俺は一生を掛けて君を幸せにすると誓うよ。だから」


 指先に、かすかに唇が触れた。


「もう一度、俺と夫婦になってくれないか」


 馬鹿な人。そんなの、全部あなたが好きだからできたことなのに。


「本当に、幸せにしてくれるの?」


 エドワードは笑う。


「ああ、一生だ。誓うよ」

「本当に、一生? 私が年老いても?」

「ああ。年老いて皺だらけになった君の手に、今と同じ誓いのキスをしよう」

「一生……」


 涙に阻まれて、声が出なかった。


 エドワードが立ち上がり、私を抱き寄せる。太陽の匂いに包まれて、私は一層泣きじゃくった。


 エドワードが来なかった初夜の日を思い出す。私と会話をしなくなった日を、シャーロットを連れてきた日を、私を信じられないと言った日を、思い出す。


 それでも私はエドワードを嫌いになれなかった。私と一緒にいたいと泣くこの人を。私が圧し潰されそうな夜に隣にいてくれたこの人を。私を愛してくれる、この人を。


「好き」


 エドワードの胸の中、私の声が籠る。それでも伝わるように、息を吸って叫んだ。


「あなたが好き。私、あなたと夫婦になりたい」


 これから一生、あなたの隣で、同じ景色を見ていたいの。


「……ありがとう」


 エドワードが私の髪を撫でる。私は顔を上げて笑う。エドワードが返すように笑って、猫のじゃれあいのキスを落とす。子どもの頃と変わらない。これからも一生、変わらない。


「一生、一緒にいよう」


 私は頷く。

 エドワードの腕の中で過ごすこの時間が一生続いていくように、何度も何度も、頷いた。

『板挟み公妃の逃亡計画 ~冷遇生活三年の末、私を憎む夫を捨てて逃げると決めました~』を最後までお読み頂きありがとうございました。


楽しんでいただけましたでしょうか。

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それでは……最後まで読んで頂き本当にありがとうございました。

皆様とまたどこかでご縁がありますように!

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