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111. 監禁

 まず始めに足首が痛んだ。体を曲げて確認すると、足枷が擦れて血が滲んでいる。意識すると余計に痛んで、枷が当たる場所をずらそうと動くと皮膚が捲れ上がった。


 次に来たのは関節の痛みだ。手足の自由が制限されているだけでこうも強張るのか。


 喉が渇いた。それくらいなら我慢できる。そんな強がりはすぐに崩れ落ちる。唾液が出なくなり、喉が張り付いて咳が出た。苦しい。水が、飲みたい。


 扉が開いた。エイベルと使用人らしき女が入ってくる。女が引いているワゴンの上には水差しが乗っていた。


「オフィリア様、お水をお持ちいたしました」


 私はうつ伏せのまま、目だけでエイベルを見た。エイベルは私が自力で体を起こせないのに気付くと、「ああ、そうでしたね」と言い、体を起こす。エイベルの白髪が頬に触れて、気持ちが悪い。


 エイベルは私を起こし終わると、両手を器のように広げた。使用人の女は水差しを持って、エイベルの手に水を灌ぐ。両掌の隙間からぽたりと水がしたたり落ちる。


「どうぞ」


 私の口元に両手が差し出される。


 唇を閉じたままエイベルを睨み上げると、エイベルは気にもせずににこりと笑った。そうして私の口に無理やり水を流し込もうとする。


 誰がそんなものを飲むものか。唇をぎゅっと噛みしめると、水が零れて、顎から喉、胸元が水浸しになった。


 エイベルは使用人からタオルを受け取り、自分の手を拭いた。


「水を飲まなければ、倒れてしまいますよ」


 私を拭こうと手を伸ばされる。私はそれを体を捩って避けた。


「あなたの言う通りになるくらいなら倒れた方がマシよ」

「……そう、ですか」


 エイベルは頬を紅潮させて微笑んだ。


「また来ますね」


 私はまた、一人部屋に残される。


***


 気持ちが悪い、気持ちが悪い、気持ちが悪い。


 胃が痙攣し、吐き気がする。何度もえずいたけれど、空っぽの胃からは胃液だけが這い上がる。


 体が怠い。頭が痛い。目に映るものが歪んで見える。寝転がっているのに上下が分からなくなって、視界がぐるぐると回転する。


 なんでこんなことになったのだろう。うまく働かない頭で、それでも何かを考えなければ意識を失いそうで、私は必死で考える。


 王妃様を憐れな女だと見下した罰なのだろうか。高貴な人を嘲笑したから? 馬鹿馬鹿しい。あれだけの暴行を受けながら、私は彼女を見下すことすら許されなかったのだろうか。


 身の程知らず。王妃様の声が響く。醜い獣。馬鹿で、愚かなオフィリア・ハリディ。あなたの人生も、ここで腐り落ちるのよ。


 腐り落ちるだなんて、今さらだ。ランドルフに目をつけられてから、私の人生はずっと腐っていた。抵抗できない暴力の受け方を覚えた。消えない傷をつけられた。私の意思なんて、ないものとされた。


 ランドルフの養子でいる間、私は本当に人間ではなかったのかもしれない。思えば全て獣のしつけと同じだった。痛みを以て上下関係を教える。抵抗することの無意味さを植え付ける。泣き喚いても誰も助けてはくれない。相手の気が済むまで、我慢するだけ。


 ああ、でも。

 一度だけ、王妃様の暴行が未遂に終わったことがあった。あの日、私がエドワードの子を孕むことができなかったと分かった日。杖を振りかぶる王妃様から、エドワードが私を連れだしてくれた。


 涙が零れた。私の中にまだ水があったのかと笑った。笑いながら、呟く。


 助けにきてよ、エドワード。 あの日みたいに、私をここから連れ出してよ。


 涙は一粒しか出なかった。代わりに汚い嗚咽だけが漏れ出る。


 分かってる。エドワードは助けに来ない。私は今、オフィリア・ハリディだ。エドワードにはただの幼馴染を助けるために割ける時間も、金も、人もない。分かっていたはずだ。覚悟していたはずだ。彼から離れると決めたのは、紛れもなく私だ。


 相変わらず、私は馬鹿だなぁ。一人では何もできないくせに、何でもできると思っていた。何かがあった時の『何か』を深く考えることもできず、強がって、いい人間ぶって、そうしてここに捕らわれている。


 子どもの頃から何も変わっていない。愚かで、馬鹿なオフィリア・ハリディ。私にできることは、何もない。私はここで、腐って、死んでいく。


 不意に、靴が床を踏む音が響いた。音は私の近くまできて止まる。


 歪む視界の中で、美しい顔をした男が私に微笑みかける。


「お水の時間ですよ」


 目の前に水が差しだされた。あ、あ。水だ。水が飲める。私はだらしなく舌を出して、水を啜る。胃液だらけの口が満たされていく。もう一口、もう一口と啜る。水は喉に落ち、全身に回る。ああ、美味しい。こんなにも美味しい水は、飲んだことがない。もっと、もっと、欲しい。


「満足しましたか」


 ぞっとする。わずかに思考力が戻った頭で、私は自分がしたことを理解する。


 水に濡れた手のひらを辿っていけば、私をここに閉じ込めた男が頬を赤らめ私を見下ろしていた。ああ、私はこの男の手から水を啜り飲んだのか。こんなの、本当に獣じゃないか。


「もう一口、飲まれますか」


 エイベルの手にとぷりと水が注がれる。差し出されると、水面にうっすらと歪んだ私の顔が見えた。憔悴しきった表情がみすぼらしい。


 絶望する一方で、水分を与えられた頭はほんの少しだけ冷静さを取り戻していた。水を飲まないだけで、こうも弱ってしまうものなのか。弱っていたから、考えても意味のないことばかりを考えてしまった。私は愚かでいたくなくて、正しい道を選ぼうとしたはずなのに。


 水で濡れた唇を舐める。たったそれだけでも、私の頭は動きはじめる。


 私は何のために一人でいることを決めたの。何のためにエドワードから離れることにしたの。可愛らしくエドワードの助けを待ちながら、こんなとこで腐り落ちるためではないはずだ。


 考えろ、考えろ、考えろ。


 足りない。考えるだけの力が、今の私には足りない。


 顔を上げる。エイベルがうっとりと微笑む。手元の水が、零れ落ちる。私には今、水が必要だ。


 私は再びエイベルの手のひらに口を付けた。気持ちが悪い。吐きそうだ。それでも水は染み込んでいく。収縮するように痛む頭が、生きようと動く。私はこんなところで、腐り落ちはしない。


 目の前にはエイベルがいる。隣には水を持ってくる使用人がいる。外には門番も、庭師もいた。この屋敷は小さい。二階建てか三階建てで、研究所というには専用の施設があるようにも思えず、おそらく地下室でもあるのだろう。使用人がいるということは、専用の通路もあるはずだ。この屋敷に私以外に部外者がいないとすれば、使用人がそこを通るのはいつだ? 廊下にさえ出られれば、私は通路を見つけられる?


 舌を出す。水を飲む。目を瞑り、ここにきて見た全てのことを思い出す。私は愚かなんかじゃない。私はここを出て、正しい道を選べるはずだ。


 考えろ、考えろ、考えろ――

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