110. 研究所
「行きましょう、オフィリア様」
エイベルが私の手枷を引っ張った。足がもつれて転びそうになる。なんとか体勢を立て直すと、それを見ていたエイベルはくすりと笑った。眼鏡の奥で細められた瞼は慈愛に満ちていて、それがこの状況にあまりにも不釣り合いで、かえって恐怖を感じさせた。足が震えて、逃げることもできない。
エイベルに引っ張られて歩いていくと小さな屋敷が見えてきた。
屋敷には門番がいた。中に入れば庭師や掃除夫もいる。けれど、誰一人として私に目を向けることはない。ここには手枷のついた女が連行されることを不思議に思う者は一人もいないのか。
屋敷に入り、エントランスの階段を上がる。エイベルはある一室の扉を開けると、私をそこへ押し込んだ。装飾は少ないが、それ以外はありふれた私室に見える。
「ここは私の秘密の研究所なんです」
エイベルは私をソファに座らせた。私の足元にしゃがみ込むエイベルを蹴り上げようとするけれど、簡単に抑えられてしまう。それどころか、両足に足枷がつけられる。
「王国では人間を使った実験を非難する声もあるでしょう。ここはそういった実験を秘密裏に行える場所なのですよ」
足枷の端がベッドパイプに括り付けられる。手際の良さに、何度もこのようなことをしてきた姿が浮かんだ。人間を使った実験。先程の言葉が遅れて入ってくる。
「……私を実験体にするつもり?」
「私がオフィリア様を、実験体に?」
エイベルは信じられないというように声を高くした。
「どうして私がそんなことを。私はオフィリア様を迎えに来たと言ったはずです。ようやくすべてが終わって、私の物になったというのに」
「私は、あなたの物にはならない」
「ええ、以前も同じことを仰っていましたね。ですが、今までだってオフィリア様の意思が汲まれることなんてなかったでしょう」
エイベルは私の腕を引っ張って立たせ、そのまま乱暴にベッドに投げつけた。パイプに肩が当たって、私は呻き声を上げる。
「おかわいそうに」
エイベルは立ったまま私を見下ろしていた。私は彼からできるだけ離れようと体を動かすが、自由の効かない手足では満足に動くこともできず、金属の擦れる音だけが虚しく響く。
「ランドルフはあなたの勝手な行動を許さない」
エイベルを睨みつける。
「あなたは王妃様と違って未来があるはずよ」
「そうですか」
「……今解放すれば、ランドルフには黙っておくから」
「それはそれは、お優しいですね」
同じ言葉を話しているのに、一つも通じている気がしなかった。この男は、こんな男だっただろうか。
「あなた、頭おかしいわ」
「私をおかしくしたのはオフィリア様ですよ」
ようやく私の言葉が通じたように、エイベルはうっとりと目を細めた。
「覚えていらっしゃいますか。私たちが初めて出会った時のことを。王妃様に連れられたあなたは、野犬のような目をして周囲を警戒していましたね。私が健康をお調べしようとすると、あなたは私の手を叩いた」
父母が殺され、ランドルフに不当な契約を結ばされ、王都へ連れて来られた頃のことだ。確かに医者に診られた気がするが、それがエイベルだったかは覚えていない。それなのにエイベルは、まるでそれを二人の大事な思い出のように語り出す。
「オフィリア様は私に汚い手で触れるなと仰いましたね。目の下にはクマをこさえた、みすぼらしい服のお嬢様が、私に向かって汚いと」
「……だから私を恨んでいるの」
身の程知らず。王妃様と同じで、この男もみすぼらしい女が傍系とはいえ高貴な血筋を引く自分を罵ったことが許せなかったのだろうか。
エイベルは私の問いに答えず微笑んだ。
「オフィリア様、二人で幸せになりましょうね」




