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109. かわいそうな王妃様

 うまく息が吸えず、喉がひゅうっと鳴った。どうしてヴェネッサ王妃がここに?


 ヴェネッサ王妃に続いて、男が二人乗り込んでくる。男は私の両端に座ると、私が動かないよう腕を掴んだ。同じだ。あの日——父母の遺体を持ってやってきた日と同じやり方。あの日の恐怖を、体が思い出す。


 馬車は予定外のことなどひとつも起きなかったように走り出す。どうして。御者が買収されていた? ランドルフの刺客が残っていた? だとしても、今ランドルフが私を害する利なんてないはずだ。私とランドルフは『血の王妃事件』の裏に隠された真実について語らない代わりに、私の身の安全を保障すると契約を交わしていた。ランドルフが契約を破ることは王家の意思に反する。そんなことをランドルフが選ぶはずがない。それなのに、どうして。


「相変わらず愚鈍だこと」


 王妃様の真っ赤な唇が開いた。美しく澄んだ声が私を蔑む言葉を吐く。


 息が上がる。考えがまとまらなくなる。それでも何か、言わなくては。


「……どうして、こんなことを」


 間抜けな質問を、王妃様は鼻で笑った。


「私、あなたのこと嫌いなのよ」

「きら、い……?」

「田舎の小娘が両親を殺されたくらいで世界一不幸みたいな顔をして、好いた男と結婚させてやったのに子を作ることも拒んで。それでも私を憎んで殺そうとしているうちはまだかわいげがあったわ」


 王妃様は顎を上げ、汚いものを見るように目を細めた。


「あなた、私のことを憐れんでいたでしょう」


 ——王妃様も、私も同じなのよ。


 私はいつか、シャーロットにそう言った。


 あの人はね、ランドルフの意思決定に関われる立場にいないの。ただ、言われたことをやっているだけ。きっと私と同じ程度しか内情も知らない。教えられていない。


 何も知らない、空っぽの権力だけを持たされた、かわいそうな女。


「身の程知らずね」


 ああ、そうか。私はこの女を見くびっていたのか。見くびっていたから、処刑が決まって軟禁されているこの女が私を攫いにくるなんて思いもしなかった。


「……あなたが私を攫うことを、ランドルフは許さない」


 咄嗟に出た説得だった。この女が私の思うようなランドルフの駒でしかないなら、ランドルフの不利になることはしないはずだ。


 けれど王妃様は嬉しそうに唇の片端を歪めた。


「どうせ死ぬ身で、一体何の許しを請えばいいのかしら」


 この女は一週間後、処刑される。ランドルフの言いつけを破ろうと関係がない。これ以上失うものなんてないのだから。そんな人に通じる説得を、私は思い浮かばない。


 馬車は進んでいく。私はどこに連れて行かれるのだろうか。両親のように、事故に見せかけて殺される? いいや、違う。馬車に王妃様が乗っているうちはそんなことは起こらないだろう。では、どこへ。


 馬車が止まる。タウンハウスを出る時に御者席にいた男が扉を開ける。やはり、この男が裏切っていたのか。罵るほどの元気は私には残っていなかった。


 御者が顔を引っ込めると、しばらくして湿った土を踏みしめる音が聞こえた。足音は次第に大きくなり、やがて止まる。馬車のステップが踏まれたのか、キャビンが揺れる。みしり、みしり。そうして、一人の男が姿を見せた。


「お久しぶりです、オフィリア様。迎えに参りました」

「……エイ、ベル」


 エイベルは私の右手を取って、恭しくキスを落とした。そうしてそのまま、私の手首に手枷を掛ける。鍵の閉められる音が無慈悲に響いた。


 投げ出すように馬車から降ろされる。体の自由が効かず、エイベルに寄りかかるようになる。エイベルがうっとりと声を上げる。気持ちが悪くて、鳥肌立つ。


 馬車の奥で王妃様が笑った。吐き出されるのは、私を憐れむ冷たい声。


「かわいそうなオフィリア・ハリディ。あなたの人生も、ここで腐り落ちるのよ」


 馬車が閉まり、発進する。私の背を撫でるエイベルの手のひらに全身が粟立った。

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