105. カーティス王太子
三日間は驚くほど早く過ぎていった。
そもそも依頼をし直した時と今では状況が違う。今なら故郷に帰ったとしても、エドワードの隣にいるとしてもうまくやれる自信はある。何もエストラシアへ行く必要はないのではないか。ヒューには悪いけれど、断ってしまえばいい。
それなのに、どうしても違和感が拭えない。
例えば、夫に愛されているかどうかで態度を変える人たちであったり、エドワードが一人で守ってきたシェルヴァ公国であったり、シャーロットが話したリオデアラのことだったり、――私が捨てた人たちや叔父の気持ちだったり。
そういう全ての出来事が私に忘れるなと問いかける。それらを無視して、私は一体、どこに収まるつもりなのだろうか。その答えは見つからなかった。
結論も出せぬまま、カーティス王太子の参加するパーティに向かう。
会場でひときわ目立つブロンドに懐かしさを覚えた。カーティス王太子は今朝ブリジア国王を尋ね、立太子の礼を終えたことを報告したそうだ。貴族たちにも噂が回っていて、皆カーティス王太子に一言祝いの言葉を掛けようと彼を囲んでいる。
今日は彼と話せないかもしれない。半ば諦めながら彼を見つめていると、遠く、エメラルドと目が合った。その美しい深緑はちらりとバルコニーを見やる。私は頷いて、バルコニーに向かった。
数十分後、バルコニーの扉が開いた。
「待たせたな。寒かっただろう」
私はカーティス王太子に深く礼をした。
「この度は無事立太子の礼を終えられたこと、お慶び申しあげます」
「やめてくれ。そういいものではなかった」
嘲るように手を振った。掠れた声はひどく疲れているように聞こえる。声だけではない、目元や表情にも疲労が浮かんでいる。
カーティス王太子は白く燻る息をぼんやりと眺めていた。そうして誰かを思うようにぽつりと言う。
「人の体はすぐに絶えてはくれぬものだな」
天へと上がる息を追うように伸ばした右手を握りしめる。目の前で開いても、そこには何もなかった。
「もっと楽に逝かせてやりたかった」
後悔の滲むその声に、私は切なくなる。ああ、彼は彼に託された役目を果たしたのだ。
「どうした、優しい友人はまた哀れんでくれるのか」
いつもの皮肉が、一層苦しい。
「……殿下が、お望みであれば」
「もう十分だ」
鼻で、笑う。
「心地よい同情に甘えていられる立場でもない」
「……相変わらず、殿下はお強いですね」
「ああ、そうだったな」
以前、そんな話をしたような気がする。小さく言って、それから切り替えるように顔を上げた。
「君が言う通り、俺は案外強いのかもしれない」
カーティス王太子は 遠く、夜空を見上げた。
「兄弟がいなくなって、覚悟が決まった。俺がどんな人間であろうと、ただ、その立場に見合うために正しい道を選び続けるしかないという覚悟だ。それがきっと、生き残ってしまった者の責任なんだろうな」
私は彼の視線の先を追った。晴れた夜空の星はあまりにも近く見えて、今にも私の元へ落ちてきてくれると勘違いしてしまいそうになる。けれどやはりそれは勘違いで、手を伸ばしてみても届くはずもなかった。
ふと、三日間抱えていた違和感が胸に浮かんだ。その違和感に、カーティス王太子の言葉がかちりと音を立てて嵌め込まれる。その立場に見合う人間であるために、正しい道を選び続ける。
「辛気臭い話をして悪かった。この国も色々と変化があったようだな。国王陛下は随分と疲弊していた」
私は話を変えようとするカーティス王太子をじっと見つめる。
疲れているように見えた瞳の奥には強い意志が灯っていた。瞬きをすると、私の中に彼の火の粉が飛びうつる。
正しい道を、私は選べるだろうか。
「殿下。一つ、お願いがあるんです」
カーティス王太子は「なんだ」と軽く答える。私は覚悟が鈍る前に言った。
「エストラシア王国の王女様が外国語の家庭教師を探しているとお聞きしました。私を紹介していただきたいのです」
「……よく、知っているな。俺の元にも依頼状は届いたが……いや、そうではない。そんなこと、どうでもいい」
カーティス王太子はくしゃりと頭を掻いて、私を睨んだ。
「公妃となる女が、国を置いて他国に行くと言うのか」
声に少しの嫌悪が混ざっていた。
きっと、カーティス王太子はシェルヴァ公国の独立が近いことに勘付いているのだろう。一貴族の夫人ならばまだしも、一国家の妃となればそんな自由が許されるわけがない。ましてや独立後、間もない時期だ。
けれど、私は怖気づくことなく言った。
「公妃でないならば、いかがでしょう」
「……はっ」
一転、愉快そうに吹き出す。
「どうした。夫君とうまくいかなかったか?」
「そういうわけではありません」
「俺に事情を聞く権利は?」
「ない、とは言えませんね。ただ、選ぶべきでない道を選ぶのをやめただけなのですが」
「説明になっていないな」
「そうでしょうか」
私がそれ以上詳しく言うつもりはないという姿勢を見せると、カーティス王太子も諦めたようだ。まだ少し笑いを漏らしながら言った。
「いいだろう。君には世話になった」
「ありがとうございます」
私は深く礼をする。
「仲介だけだ。君が選ばれるかは分からない」
「ええ、承知しております」
顔を上げると、カーティス王太子は揶揄うように私の手を取った。
「それに、君があの男と別れるのは都合がいい」
私を口説く言葉を吐くくせに、以前のようなわざとらしい色香はなかった。それがおかしくて、私も吹き出す。
「……ふふ、御冗談を」
「これくらいの冗談では俺のことを嫌にならないのだろう」
「どうでしょう。友人とはいえ、過ぎた冗談は仲違いの元になります」
「どこまで許されるか探ってみようか」
私たちは寒空の下、体が冷えるのも気にせずくだらない軽口を言い合った。




