103. 逃亡先 1
『R家の陰謀』と題されたその記事は、近年稀に見る売上を記録したらしい。下流貴族の暗殺という魅力的とは言い難い内容でも、それが上級貴族、果ては王家の関与が匂わされたことで人々の好奇心はくすぐられ、結果、身分問わず多くの人がその号外を手にしたそうだ。
貴族たちの間ではどのような噂が流れているのだろう。私は彼らの反応を伺うためにパーティに参加してみたけれど、意外にも社交界は静観を貫いていた。王家の去就に関わることは慎重に反応すべきだと判断したのか、それとも御者の言葉など聞く価値もないと考えているのか。
私はひとしきり参加者たちと話し、その誰もが不自然なほどあの記事について語らないことを確認すると早々にバルコニーに向かった。
バルコニーの扉を開ける。人影が見えて一瞬体をこわばらせたけれど、なんてことはない。ヒューが手すりに座って私を待っていたのだ。
ヒューは私が扉を閉めたのを確認すると「久しぶり」と笑った。
「ねえ、どうして私が出てくると分かったの?」
ヒューは猫が喉を鳴らすときのように顎をあげた。
「分かるんだよ」
「なにそれ。答えになっていないわ」
私は彼の横まで行くと手すりに寄りかかった。顔を傾けてヒューを見上げる。ヒューは先程の問いに答える気はないようだった。私は諦めて、別の質問をする。
「あなた、どこまで知っていたの?」
「どこまでって?」
私は指を折りながら一つひとつ指摘をはじめた。
「事故現場の近くにオッグ男爵家の別荘があること。私たちがそこを宿泊先に選ぶこと。別荘でエルトンを見つけること。エルトンが証拠のカフスを持ってること。全部よ」
小指だけが立った手を見せびらかすようにヒューに突きつける。ようやく奇術の種明かしをしてもらえると思ったのに、ヒューは悪戯をするように肩をすくめた。
「公妃様は勘違いをしている」
「勘違い?」
「俺は公妃様に『今後の人生に役立つアドバイス』をしただけだ」
確かにあの日、私はそう言った。けれどそんなのは建前だったし、ヒューもそう理解していただろうに。
「いいアドバイスだっただろう?」
得意気な表情に地団駄を踏みたくなる。
けれど実際、彼の言葉は公国の問題を抜きにしても『人生に役立つアドバイス』であることに違いはなかった。彼のアドバイスのお陰で私は叔父と和解し、逃げ続けてきた問題と向き合う覚悟ができたのだ。
「……ありがとう。あなたにはいつも助けられてる」
「いいえ、公妃様はお得意様ですから」
彼の満足げな笑顔を見ていると、また誤魔化されてしまったな、と思う。悔しいけれど、どうせ私なんかが情報屋に敵うわけがないのだ。
「それで、独立はうまくいきそうか?」
ヒューはそれまでと同じように軽く言った。言い方にそぐわない話の重みに体が緊張する。
私はヒューを見上げていた顔を下ろした。暗闇の向こうは王宮がある方向だ。月の明かりだけではその姿は見えるはずもない。
「……エドワードの交渉次第だと思う」
私はエドワードがいるであろう王宮を思いながら、このひと月弱で起こった出来事について思い出していた。
オッグ男爵家の別荘には法律家と三人の画家が集められた。似顔絵の証拠能力を認めるためには、法律家の立ち会いが必須らしい。三人の画家たちは法律家に睨まれながらという居心地の悪い状況にもかかわらず、立派な似顔絵を作成してくれた。
それから私たちは王都へ戻り、似顔絵の男の調査を開始した。男の素性はすぐに判明した。男はエルトンの証言通りランドルフ侯爵家で雇われている騎士だったのだ。
ランドルフが本家の騎士を謀に使うことに驚きはしたが、エドワードの言う通り、男爵家の御者でしかないエルトンのことをみくびっていたのかもしれない。この御者はハリディ夫妻と共に死ぬのだ。どうせ死ぬ男のために、わざわざ外部の者を差し向けて情報漏洩のリスクを負うことはない、と。
そうして男の身元が割れると、次にグレイ公爵家と付き合いのある記者に記事を書かせた。
記事は前後編の構成だ。前編は下級貴族の暗殺が王国を揺るがすある陰謀と繋がっていると匂わせる内容だった。そこにはランドルフ侯爵家の名も、グレイ公爵家の名も書かれていない。謎を煽り、注目を集めさせるだけの記事だ。
記事が発表された直後からエドワードはブリジア国王との交渉を始めた。
近日中に、記事の後編を発表する。後編では前編で隠されていた家門の名も公表するつもりだ。
何故ランドルフ侯爵家のような上流貴族がハリディ男爵家のような下流貴族の暗殺を行ったのか――それはランドルフ侯爵家、ひいては王家がシェルヴァ公国を手に入れるための布石だった、という入りから、シェルヴァ公国に対する内乱工作を始めとした数々の謀略を明かしていく。
ブリジア国王は、一度は見放した領地に利用価値が見出されたからと、あろうことか戦時中に内乱工作を行い、その後も独立を認めず、さらには不当な方法でシェルヴァ公国を手に入れようとしている。その全貌が明かされれば、王家の信用は今度こそ地に落ちるだろう。
——そのような記事を出してほしくなければシェルヴァ公国の独立を承認しろ、というのがエドワードが行っている交渉だ。ブリジア国王は今、シェルヴァ公国の所有と王家の信用を天秤に掛けている。
「国王側が記事の公表をどれだけ脅威に感じるかだな」
ヒューはぼそりと言った。
「きちんとした証拠がある事件はハリディ夫妻の暗殺についてだけだろう」
「ええ。裁判に掛けるなら難しいでしょうね。けれどこの件はそうじゃないわ。一つ確実な証拠があれば、他が状況証拠でも記事を読んでいる人の印象は変わらない」
「その印象というものをあの国王側が危険視するか?」
「そこが交渉次第なんだと思う。そもそも、シェルヴァ公国を見放し、戦後独立を認めなかったことで既にブリジア国王の信頼は落ちているの。これ以上後はないと分かっていたからブリジア国王は独立戦争を避けたのよ。あなたの言う通り記事の影響力に不安はあるけれど、……エドワードはうまく交渉すると、私は信じてるわ」
今まさに、エドワードは戦っている。長い間彼を、シェルヴァ公国を苦しめてきた戦いだ。これがうまくいかなければ、シェルヴァ公国の独立は今まで以上に遠ざかってしまう。
大丈夫。私は自分に言い聞かせる。
エドワードはブリジア国王にシェルヴァ公国の独立を認めさせる。シェルヴァ公国はブリジア王国に蹂躙される不安から解放される。全てが、うまくいく。絶対、信じている。
「そんな公妃様に朗報だ」
私はヒューの声にはっとして顔を上げた。お月様の瞳と目が合う。いつもよりもまん丸なその瞳は高揚して見えた。
「朗報って?」
聞けば、ヒューは嬉しそうに口を開いた。
「公妃様の逃亡先が見つかった」
完結までの更新スケジュールを活動報告に記載いたしました。
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