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第十話 宮廷図書館

 王国一の蔵書数を誇る宮廷図書館は、凡そ八百年前に在位していた第三十二代国王の、趣味による書物収集から始まったとされている。


 賢王と称えられる彼は無類の読書好きとしても知られており、幼少の頃から僅かな時間さえあれば本を開いて読み耽っていたことから、“本の虫”と呼ぶ歴史家が――今も昔も――いるほどだ。

 そんな彼が生涯で集めた書物の数は数万にも及び、彼の死後保管に困った息子が、王妃の為に建てられた離宮を改築して書物庫としたのが所以である。


 元々が離宮であったことから、建物の外観はとても優美だ。内装の装飾もまた当時大人気だった宗教画家や彫刻師によって手掛けられている為、壁一面を覆う書架さえなければ、王侯貴族の住まいだと言っても何ら疑われることはないだろう。天井を埋め尽くす、建国史をモチーフにしたフレスコ画。大理石の白い柱に施された、天使や草花の精緻な金装飾。月桂樹やアカンサス、女神・エリシエルを象った無数のレリーフ。エントランスの中央に飾られた、偉大なる英雄王・ガリアンの巨大な石像。


 そんな石像の裏に設けられたカウンターの一角で、モスグリーンの制服を身に纏った妙齢の司書が、申し訳無さそうな顔で深々と頭を下げる。


「禁書が保管されている部屋は、立ち入りが禁止されておりまして……。アルヴェンヌ公爵家のご令嬢といえど、ご案内することは出来ません」


 きっぱりとした断りに、シオンは苦笑をこぼしながら胸の内で溜息をつく。

 一か八かでの訪問だった。公爵家の名を使えば、万が一も有り得るのではいだろうかという、殆どないに等しい可能性への、ただの賭け。


 そもそも、人の目から遠ざける為に禁書扱いにしているのだから、所有者でもない人間が――たとえ権威ある立場であろうと――閲覧出来る方が大問題である。拒まれるのは仕方がない。それが至極当然の判断なのだから。彼女たちが真っ当に仕事を遂行しているという証左だ。


「そう。ごめんなさいね、無理を言ってしまって」

「いえ、とんでもございません」


 禁書の閲覧が出来ないとなると、フロストバイトの生成方法を調べるには、リストアップされた錬金術師を一人ひとりあたる他ない。けれども、そうしたところで知っている人間を必ずしも見つけられるという保証は、どこにもないのだ。毒の調合にまつわる本には、古いもので百年以上前に禁書となったものも複数存在する。果たしてどれくらいの数の情報が、現代に至るまで口伝として正確に残っているだろうか。


 或いは――。おずおずと頭を上げる司書の、丸い眼鏡越しに見える黒色の瞳にじっと視線を注ぎながら、シオンは僅かに首を傾ける。或いは、司書の誰かを買収して情報を探らせる手も、なくはない。

 しかしそれは、無関係な人間に本来負う必要のない罪を背負わせるということだ。そういった類のことを“仕事”としているルーカスに依頼するのとは、まるで違う。そもそも閲覧不可の禁書を、彼女たち司書が扱えるどうかも定かでない。

 

「ひとつ、訊いても良いかしら」

「構いません。どのようなことでしょうか?」


 カウンターの奥に設けられたベイウィンドウから、春の暖かさを滲ませた木漏れ日が、大きな光の粒を描いて差し込んでいる。


「ここには多くの蔵書があるけれど、その全てを閲覧出来る人はいるのかしら」

「王家の方であれば可能です」


 予見していた通りの返答に、シオンは胸の内でひっそりと溜息をつく。

 設立当初に定められた規定により、宮廷図書館にある蔵書は全て――無論、禁書も含めて――王家の財産とされている。人の目につくことが禁じられているものでも、正当な所有者であれば閲読出来るというのは、おかしな話ではない。


 何より彼等は、この国の頂点に立つ最も貴い者たちだ。それ以下の人間には不可能なことでも、彼等であればいとも容易く可能としてしまえる。

 たとえば――ひとつの一族を滅亡に追い込むことだって、簡単に。


「ありがとう。とても助かったわ」


 禁書を閲読出来る方法がないわけでは、ない。けれどその方法をとるくらいならば、リストアップされた幾人もの錬金術師を一人ひとり調べ回る方が余程良い。王家の人間など、この世で最も頼りたくない相手だ。“公爵家の人間”としての付き合い以上の繋がりを持つ気は、シオンにはこれっぽっちもなかった。


 禁書を頼る手がないのなら、いつまでもここに居続ける必要はない。早々に戻ってルーカスのもとにでも足を運ぼうと思い直し、シオンが踵を返そうとした――その時だった。背後から、唐突に声をかけられたのは。


「――なんだ、禁書が見たいのか?」


 心做しか楽しげなその声に、シオンの顔から一瞬にして笑みが消える。王立劇場での一件以来、何故だか彼との邂逅が増えた気がするのだけれども、果たしてそれは気の所為だろうか。そんな偶然、全く以て望んでいないというのに。


 しかし悲しいかな、声をかけられたからには無視をすることは出来ない。“身分”とは、そういうものだ。慌てて低頭する司書に続き、シオンはひどく冷めた表情のままゆっくりと振り返る。

 一般開放されている第一書庫の扉の前に、ノアは意味深な微笑を湛えて立っていた。従者であるアデルすら連れず、ただ一人で。


「殿下には関係のないことですわ」


 素っ気なく、きっぱりと返した言葉に、けれどノアは満足気にくつくつと笑う。


「まあ、べつに君の口から聞かなくてもいいんだが」


 どうせ扉の影にでも身を潜めて、司書との遣り取りを盗み聞いていたのだろう。悪趣味極まりない、と、決して口には出せぬ悪態を腹の底に吐き捨てながら、シオンはひっそりと溜息をつく。

 そんな彼女の様子を僅かに細めた目でじっと見つめ、やがてノアは徐ろに足を動かした。


「アデルが来たら、禁書室にいると伝えてくれ」

「で、殿下ッ!」


 意図を察した司書が、ひどく慌てた様子で声を上げる。彼女がそうなるのも、致し方ない。司書の立場としては、そうせざるを得ないだろう。

 けれども、そんな彼女をノアは一瞥すらせず、悠々とした歩みでエントランスを横切って、二階へと続く大階段へと歩み寄っていく。まるでなんでもないことのように。


「ついて来ないのか?」


 彼の思惑に、シオンもまた気付いていないわけではない。だからこそ、階段の真下で足をとめ振り返ったノアの、忌々しくも余裕を滲ませた顔を見据え、シオンは僅かに眉を顰める。


「王太子殿下ともあろうお方が、あまりにも不用心がすぎるのではありませんこと? 私が禁書を何に使用するのかもご存知ないのに」


 禁書の閲覧を許されているのは、所有者である王家の人間だけだ。そのルールを独断で破れば、万が一の時に責任を問われるのはノアである。いくら国王の息子が彼一人しかいないとはいえ、反対勢力も多くいる現状で、問題と成りうる芽を新たに作るのは、どう考えても彼にとって得策とは言えまい。そこに考えが至らないほど、愚鈍な男ではないはずだ。


「そんなことはないさ」


 けれどもノアは、まるで気にした風もなくそう告げると、微かに首を横に傾けて、にやりと口角を引き上げた。


「どうせ“フロストバイト”について調べたいんだろう?」


 思いがけぬ一言に、シオンは僅かに目を見開く。“禁書”という言葉は使えど、“フロストバイト”の名をここで口にすることは一度もしなかったはずだ。


「……どうしてそうお思いに?」


 怪訝な顔でそう問いかければ、ノアは意外そうに片眉を上げ、それからゆっくりと――何かを納得したかのように――瞬いた。

 

「君が、エミリー・モレッソをとても可愛がっていたからだ」


 まあ、結局はただの勘でしかないがな。

 そう付け加え、ノアは前髪を掻き上げながら、ふっ、と柔らかな笑みを浮かべる。否定も肯定もしていないけれど、ほんの少しばかり落ちてしまった空白で、それが事実であると見抜いたのだろう。彼の声音は、殆ど確信だった。


「安心しろ。礼を求めるつもりも、依頼を迫るつもりもない。ただ利害が一致しただけだ。……あとは、そうだな。強いて言うなら、興味がある、ということくらいか」


 綺麗に磨き上げられた大理石の階段に足をかけ、ノアは肩越しにシオンの双眸を見据える。相も変わらず美しい、シトリンのような金の瞳で、真っ直ぐに。挑発的な微笑を、薄っすらと湛えて。


「――さあ、どうする?」

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