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第九話 魔道具屋の店主

 王都の中心部に円を描くようにして造られた大広場は、休日になると思い思いの品を売る露店でびっしりと埋まり、それを目当てに集まる人々で大きな賑わいをみせる。芳しい匂いを漂わせる串焼き、色とりどりの花、珍妙な形をした輸入雑貨、繊細な刺繍のたっぷり施された鮮やかな織物。


 それらを横目に大広場の端を横切り、シオンは商館の建ち並ぶ一角を折れて、石畳の敷き詰められた裏路地に足を踏み入れる。この辺りは商業や王政に関わる建物ばかりで、貴族や庶民の住宅は殆どない。故にひと気は殆どなく、時折道端に寝転ぶ野良犬を見かけるだけで、通りはひどく閑散としていた。味気のない侘しい路地に、商館の窓に飾られたラナンキュラスのピンク色がよく映える。


 更に幾つかの角を曲がり、大広場の賑わいが聞こえなくなった頃、シオンは建物と建物の間に隠れるようにして造られた細い階段の前で漸く足をとめた。左右を見ても、上も見ても、その階段の先に何があるかを示す看板は、どこにもない。鈍色の石を組んで造られたその階段は、両側の建物のせいで陽が遮られ、真昼だというのに随分と薄暗い。普通であれば、誰もこんな薄気味悪い場所に足を踏み入れようなどとは思わないだろう。特に貴族の令嬢であれば、尚の事。


 しかし、却ってそれが良いのだ、と、陽気に笑っていた男の顔を脳裏に浮かべながら、シオンは何の躊躇いもなく階段を降りてゆく。周囲に人の気配がないことを確かめ、なるべく足音を潜めて。


 階段を下りきったところには小さなスペースがあり、その先には年季の入った木製の扉が、ひっそりと静かに佇んでいた。アーチ状になった扉の上部には、アカンサスの葉とカルトゥーシュが精巧に彫り込まれている。無論そこに、プレートの類はひとつもない。あるのは錬鉄製のランプと、何に使うのか――或いは使ったのか――分からない鉄屑の塊。


「これって、ゴミですかね?」

「さあ、どうかしら」


 オリビアの問いに苦笑をこぼしながら、シオンは数歩足らずでスペースを横切り、黒いドアノブに手をかける。扉をゆっくりと押し開くと、来客を報せるドアベルが鳴った。年代物のせいか、室内に響くその音は、少しだけ鈍い。


 扉の奥には、意外にも広々とした空間が広がっていた。両左右の壁一面を覆う、ずっしりと重厚な本棚。溢れ出た本が高々と積まれたスツール。薄っすらと埃を被った、ウォールナットのショウケース。向かい合うように置かれた臙脂色のソファと、脚に渦巻装飾の施されたテーブル。


 部屋の正面に設えられたカウンターに視線を向けると、飴色の天板に頬杖をついてにっこりと笑みを浮かべている男と目が合った。


「やあ、いらっしゃい。待ってたよ」


 そう言って男は、腰掛けていた椅子から徐ろに立ち上がり、陽気に片手を挙げて二人を出迎える。


 ルーカスという名の彼は、このよく分からない場所で庶民相手に魔道具屋を営む、風変わりな若き店主だ。細く編まれたムーングレイの髪の毛、切れ長の目の中心で神秘的に輝くアイスブルーの瞳。肉付きの少ないほっそりとした長駆を包むのは、ありがちなローブではなくシンプルな白いシャツと黒いズボンであり、その出で立ちは、魔法師然とした格好をする魔道具屋の店主とは程遠い。


 それもそのはずで、そもそも魔道具屋というのは、あくまで表向きの顔でしかない。彼の仕事は多岐にわたるということを、シオンは長い付き合いの中で、よくよく知っていた。時には畑を耕し、時にはガラクタを収集し、時には謎の実験をし、時には――密かに集めた情報の売り買いをする。つまり一言で表すなら、“何でも屋”ということだ。人を殺すことや、身に危険が及ぶようなこと以外であれば、彼は基本的に仕事を選ばない。


「例のやつを受け取りに来たんだろう?」

「ええ。もう揃っているのかしら」

「もちろん。俺は仕事が早いからね」


 臙脂のソファに腰掛けたシオンの向かい側にルーカスもまた腰を落とし、カウンターから持ってきたらしい紙の束をそっとテーブルの上に置く。真っ白い表紙には、簡潔なタイトルだけが、独特な――お世辞にも上手いとはいえない――筆跡で綴られている。


「出てくるところからは、全部情報を引き出したよ」


 束を手に取り、シオンは丁寧に一枚ずつ紙を捲る。そんな彼女の傍を離れ、オリビアは持ってきたバスケットを手に、部屋の奥に備え付けられたキッチンへと消えてゆく。


「よくここまで調べたものね」

「俺の情報網をなめてもらっちゃ困るよ」


 紙面の左側には王都に出回っている薬草の名がずらりと羅列され、その横にはここ三年間の取引数量と金額が、ご丁寧に主要な取引業者の名まで添えて書きつけられている。


 ここまでの情報を知り得るのは、恐らく“医の一族”――王国全体の医療を監督する一族――であるベレスフォード公爵家くらいなものだろう。取り纏めるのには相当な労力がかかるであろうし、希少性の高いものや、機密に部類される有毒植物まで含むには、公爵家レベルの権威が必要となる。その上、最終的に情報を手に出来るのは王室の人間のみだ。四大貴族の間でも遣り取りされることはなく、特に有毒植物ともなると、王家の許可なく開示することは許されない。


 つまり、誰でも手に入れられる情報ではない、ということだ。――()()()()()では、決して。


「君も察しているだろうけど、この程度の情報ならベレスフォード公爵家や王家が持っている。つまり、聖騎士団も既に把握してるってことだ」


 フロストバイトの原料である蔓植物“ノクスベイン”の名は、三枚目の中程に記載されていた。ノクスベインの取引には、他の有毒植物と同様にかなり厳しい制約が設けられている。ベレスフォード公爵家の管理も徹底しており、採取業者まで指定されているほどだ。故に取引数量、金額、主要取引業者ともに、ここ三年で大きな変動は殆どみられない。


 ――これが、聖騎士団の調査部隊をもってしても、未だ犯人を捕まえられない要因の一つだ。毒物の原料が特定出来ていても、それがどのように犯人の手に渡っているのかが分からず、足を掴むことが出来ない。


「誰かが横流しをしている可能性はあるのかしら」

「それは多分ないだろう。有毒植物は特に、公爵家が目を光らせてるからな」


 キッチンから出てきたオリビアが、茶器とケーキスタンドをのせたワゴンを押して歩み寄ってくる。そんな彼女の姿を横目に、シオンは静かに溜息をつきながら、ソファの背凭れにゆっくりと寄り掛かる。


「……商会に探りを入れるしかなさそうね」


 テーブルの上に手際よく並べられたカップから、爽やかな甘い香りが仄かに漂う。その匂いに誘われ、ルーカスが早々とティーカップに手を伸ばす。骨の張った男らしい指に、薔薇の模様が刻まれた無骨な指輪。


「いつものお茶と違うな。すっきりしてる」


 お茶を一口含み、ルーカスは驚いたように片眉を上げる。


「そうなんです! よくお気付きになりましたね、ルーカス様。今日のお茶は、カモミールとスペアミントをブレンドしてみたんです!」

「へぇ。君がブレンドしたのか?」

「はい! 最近お嬢様が色々とお忙しいので、リラックス効果のあるカモミールと疲労回復効果のあるスペアミントを選んでみました」


 温かいうちに飲もう、と、伸ばしかけた手をはたと止めて、シオンは澄んだ薄黄色の水面をじっと見つめる。リラックス効果のあるカモミールと、疲労回復効果のあるスペアミント。オリビアは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()し、アフタヌーン用のお茶を作った。いつもは指定の専門店から購入している、爽やかな香りのジャスミンティーなのに。


「――君の考えてることは分かるよ、シオン」


 顔を上げると、意味深に微笑むルーカスと目が合った。何をどこまで考えているかまるで分からないアイスブルーの瞳が、照明の光を浴びて、淡く煌めいている。


「毒を作るには、二つの方法がある。一つの材料から成分を抽出して作るか、複数の成分を混ぜ合わせて作るか、だ」


 フロストバイトという猛毒成分は一般的に、ノクスベインという蔓植物の白い花から抽出されることで知られている。故に調査部隊は該当植物の入手経路を探っているし、それが犯人に辿り着く為の一つの方法だと思っている。


 けれど、もし――。ティーカップをゆっくりと持ち上げ、淹れたばかりの温かな紅茶を一口含みながら、シオンは思う。けれど、もし他にも()()()()()()()()()()()()()()()()()()()があるとしたら――。


「俺も同じことを考えたよ。だから、ほら。最後のページを見てほしい」


 カップをソーサーの上に戻し、シオンは紙の束を手に取って、言われた通りに最後のページを捲る。そこには何も見出しもなく、複数の人の名だけが走り書きされていた。


「それは王都にいる、錬金術を生業にしてる奴等の名前だ。中には、公爵家が把握してない名前もあるだろう。悪いことをしてる奴ほど、裏に隠れてるからな」


 錬金術を生業としている人間――所謂“錬金術師”は、卑金属から貴金属を作る術を研究する人間を指すことが専らだが、しかしその実、彼等は医師を兼ねる場合も多く、故に善くも悪くも、薬の知見に長けた者が多い。毒殺によく用いられる“相続の粉薬”や“死の処方箋”が生まれたのも、彼等の研究によるものだと言われている。


「彼等なら知っているかもしれない……ということかしら」

「その可能性もあるし、ないかもしれない。そもそも毒の調合にまつわる本は、全て禁書とされてるからな。口伝以外に方法がないから、必ず知っているとは限らない」


 綴られた名前を上から順に視線でなぞり、シオンはそっと目を細める。


「禁書は、今も何処かにあるのかしら」

「宮廷図書館にはあるだろうが、禁書の類は厳重に管理されている。公爵家の名を使っても、見るのは難しいだろうさ」


 長い脚を組み、ルーカスはやれやれと肩を竦める。そんな彼の端麗な顔を一瞥し、シオンは深く息をついた。


「――悪魔は、いったい何処にいるのかしらね」

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