復讐は神がする〜とあるサレ夫の優しい復讐〜
妻の不倫の証拠は全て調べてあった。探偵を雇い、一ヶ月かけて調べたものだった。今日も妻は仕事だと嘘をついたが、不倫相手の所にいるのだろう。
「はあ、くだらねぇ」
雄太郎はため息をつき、妻がいないリビングを眺めた。完璧に綺麗にされていたが、不倫なんてしなければ家事も仕事も何もしなくて良かったのに。
子供がいなかったのは幸いか。数年前に不妊治療を辞めたが、今はそれで良かった気もする。
「はあ、くだらない。結婚なんてするんじゃなかったのかね?」
独り言を呟きつつ、パソコンでSNSを見る。自分と同じようなサレ妻やサレ夫が不倫相手を晒している。いっそ自分もしたいと思う。証拠はある。
「いや、やっぱり辞めるか……」
寸前のところで晒し行為はやめた。そんなサレ妻が逮捕された報道を目にしてしまい、自制心が効いてしまう。
そんな雄太郎はクソ真面目な男だった。職業も学校の教員。タバコも酒もしない。ギャンブルも風俗だってしない。趣味は節約とポイ活。休日は資格や投資の勉強をする。見た目もメガネをかけ、かなり地味。
「雄太郎って、つまんないんだよね」
不倫相手に妻はそう言っているらしい。確かに自分はつまらないクソ真面目な男。それでも不倫されていいのか。考えれば考えるほど、悲しみや悔しさの沼に溺れそう。
「や、腹も減ったな。なんか食いに行くか……」
妻の料理は食べたくないし。雄太郎は財布と携帯だけ持ち、近所のファミレスにでも行こうとした。しかし土曜日の夕方はどこも混んでる。結局、少し汚めの町中華屋に入った。
小さな店だったが、餃子が焼けるいい匂いがする。常連客が酔っている光景は相容れないが、チャーハンも餃子も美味かった。穴場の良い店を見つけてしまったらしい。
「ああ、加藤先生!」
そこに同僚が現れた。厳密には同僚ではない。教育実習で来ている大学生で、雄太郎が指導していた。名前は佐々木春乃。学校ではメガネ姿の地味な女だったが、今日はジーパンにシャツという格好だった。
「偶然だね」
「ええ。ジムの帰りなんですよ。ああ、疲れた」
なぜか佐々木が雄太郎の隣に座った。まあ、他の席は酔っ払いがいるので、雄太郎の隣が無難だが。
佐々木は注文した餃子や坦々麺が運ばれてくる間、何か分厚い本を読んでいた。
「佐々木さん、何読んでるの? 学校関係の?」
「いえ、聖書です」
「は、聖書?」
「私、クリスチャンなんです。特に今はホセア書にハマってて、奥さんに浮気された旦那さんが何度も何度も連れ戻して愛を与えるっていうのが、エモい。ちょー刺さる……」
学校ではクールだった佐々木だが、聖書を語っている時は表情豊かだ。
「へえ」
そうは言っても聖書など雄太郎は全く興味はないのだが。
「あ、加藤先生、今ちょっと宗教きもいって思ったでしょ?」
「バレた。うん、ちょっとね……」
「でもいいんですよ。私は敵も愛しますよー。むしろ、ずっと恨まなくていいって言ってくれる神様って優しくないですか? 場合によっては復讐もしてくれますしね」
佐々木はそう言うと、キリスト教的な食前の祈りをして食べ始めた。
「加藤先生、噂ですが、敵に復讐すると不幸になるそうですよ」
「へえ」
「この怪しい宗教の本にも書いてます。結局は愛ですよ、愛。それに勝るものは無いんじゃ? 愛は全ての罪も覆います。例えば不倫とかもね」
その帰り道、雄太郎は一人で考えていた。もう妻との関係は破綻していたが、復讐は辞める事にした。別に佐々木に影響されたわけでも、怪しい宗教の本に感化されたわけでもない。
所詮自分はクソ真面目のつまらない男。復讐なんて出来そうにもなく、いつも通り妻と接した。むしろ、時には新婚当時のように妻には優しくした。
すっかり愛情も無くなっていたが、クソ真面目のつまらない男は、こうするのが一番な気もした。情け無い。本当につまらない男だが、今、妻に出来る事はたぶん、それだけ。時々そんな雄太郎に妻は怖がっているようだが、家に早く帰って来る事も多くなった。
こうして月日が流れた。妻の方から離婚を切り出され、わずかだが慰謝料も貰える事になった。別に嬉しく無かったが。
「今までありがとう。君といて幸せだった」
最後には相手にお礼も言えるぐらいだった。もう二度と会わないと思えば、綺麗な言葉もスラスラと出て来る。
不思議なもので、言葉にしている本当にそうなった気もした。
「う、こっちこそごめんなさい。でも正直、あなたの真面目さや誠実さが怖かった。本当はもっと責めてくれた方が良かった。一生許さないって言ってくれた方がマシだったのに……」
最後に妻は泣きそうな顔で言っていた。不貞した事への罪悪感はあるようだった。だったら、それで十分かもしれない。自分のしている事、不倫が何なのか分からない事よりは、マシ……。
別れた妻は、新しく会社を立ち上げ、再婚し、子供も生まれたと聞いた。風の噂だったが、それで良いと思う。一度は愛した女性が不幸になる事は今は望んではいない。
一方、雄太郎は一人暮らしをしながら、仕事を続ける日々。正直、惨めになる事もあったが、あの町中華屋で佐々木と再会した。
「なあ、佐々木。あの変な宗教の書物は何だ? 結局、俺は妻に復讐なんて出来なかったが、それで良かった気がするよ」
「はは、あれは単なる噂だって言ったでしょ? 信じるも信じないもあなた次第ですよ」
何だがはぐらされたような気もするが、雄太郎は苦笑しつつ、餃子を頬張っていた。