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魔女の可愛いコウノトリ

作者: 砂原翠

「私はどうしておばあちゃんと二人で暮らしてるの?」

 おばあちゃんは秘密主義で、私の問いにいつも「コウノトリが幸のことを運んできたんだよ」と答えた。

 そんなの嘘だって分かっていた。だけど、近所の子が言うようにおばあちゃんが魔女で、魔法で私をつくったって説より、近所の大人が言うように私が親に捨てられた可哀想な子で、おばあちゃんに引き取られたって説よりずっと、コウノトリ説の方が素敵だったから、そちらを信じることにした。

 私の首の後ろ、いつも髪で隠れている皮膚には生まれつき痣があって、おばあちゃんはそれを「コウノトリの咬み痕」って呼んだ。「コウノトリが幸を連れてきてくれて、本当に嬉しい」と、皺だらけの冷え症の手で、私の痣を撫でてくれた。

 悲しいことがあった日、私はいつも夢想した。プテラノドンほど大きなコウノトリが、白い雲の浮かぶ青空を、嘴に人間の赤ちゃんの首根っこを咥えて飛ぶ姿を。そうするとサイダーの泡みたいに楽しい気持ちが浮かびあがってきて、こわばった頬が緩んでいくのだった。

 おばあちゃんはたまに私のことを「わたしの可愛い渡り鳥ちゃん」と呼んだ。コウノトリは渡り鳥で、コウノトリが運んできた私も渡り鳥の仲間ってことらしい。おばあちゃんにそう呼ばれると、私の背中に見えない翼が生えているみたいで、肩甲骨のあたりがムズムズした。本当は嬉しかったのに、照れ隠しで「早く大人になって、出ていけってこと?」と尋ねると、おばあちゃんはとんでもないという風に目を丸くして、「違うわ。好きな場所に好きなだけいればいいのよ。でもきっと、いつか広い世界が見たくなるわ」と答えた。

「ずっとここにいたいよ」

 本心だった。おばあちゃんが好きだった。私の両親のことを何ひとつ教えてくれなくても、私をいつか手放さなくてはいけないものとして扱っても、いつも黒い服を着ているせいで近所のこどもから「魔女」と呼ばれていても、近所の大人からは頑固な変わり者だと思われていても、穏やかで優しいおばあちゃんのことが本当に好きだった。けれどおばあちゃんは私がお世辞でも言ったかのように、もしくはいつか私の気が変わることを見透かしているとでもいう風に、軽い調子で「おばあちゃんが一番なのは今だけよ」と笑った。笑うといつも血色の悪いおばあちゃんの唇から黄ばんだ八重歯の先が窺くのが、私は可愛いと思っていた。黒目がちの目がきゅっと細まって猫みたいになるのも好きだった。永遠に、おばあちゃんとの暮らしが続けばいいと思っていた。


 私の家は庭におばあちゃんが育てる数々の植物が鬱蒼と茂り、壁に蔦も這っていたので、「魔女屋敷」と呼ばれていた。黒い服ばっかり着るおばあちゃんは「魔女」で、おばあちゃんと暮らす私は「魔女の弟子」だと小学校のクラスメイトたちに揶揄われた。けれど私は「魔女」や「魔女の弟子」の呼び名をかっこいいと思っていたので、口では「やめてよ」とたしなめながらも、内心誇らしく思っていた。クラスメイトから揶揄われることに慣れていた私も、しかし小学校六年生のときの事件だけは許せなかった。

 私のクラスの中心には秋間くんという男子がいて、勉強ができるわけじゃなかったが頭の回転が速く、よく面白いことを言ってクラスメイトや先生を笑わせていた。利発で目立ちたがりな分、道徳の境界線のギリギリをどこまで許されるのか試すようなところがあって、彼がギリギリを踏み越えた足を笑って許すと彼の仲間だと認められ、怒ったり傷ついたそぶりを見せたりすると彼が認めた輪の中からしめだされた。クラスメイトたちは人気者の秋間くんに認められたくて必死だったし、先生すらも秋間くんを円滑なクラス運営のために重宝していたように思う。

 私は秋間くんのことを息苦しい子だなって思っていて、だから彼を中心としたクラスの輪の外縁で息を潜めて過ごしていた。秋間くんはなんだか、止まったら死んでしまう回遊魚のようだった。面白いことを言い続けないと、自分の行動で他人をコントロールし続けないと、自分自身が消えてなくなってしまうとでも思っていたんじゃないだろうか。

 そういうせかせかした雰囲気が、私と決定的に合わなかった。おばあちゃんがのんびりとした人だったからだろうと思う。おばあちゃんは没頭を好む人で、よく時間を忘れて庭仕事や刺繍などに精を出していた。だから私も時間にルーズに育ち、よく約束の時間を破り、友達から怒られていた。

 事件といっても、物を隠されたわけでも暴力や無視を受けたわけでもなく、普段どおり「魔女の弟子」と揶揄われるのと同じ調子で、秋間くんから「バイタの子」と呼ばれただけだった。

 その頃の私は「バイタ」という言葉なんて初耳で、どんな漢字を書くのか、そしてそれがどんな意味を持つのか全く知らなかった。きっと、秋間くんもよく分かってなかったんじゃないかと思う。意味を理解した響きではなく、聞きかじった言葉を使ってみたという達成感と、ほんの少しの侮蔑が混じった、カタカナの「バイタ」だった。

 私は「バイキン」と似ている音に、秋間くんが込めた悪意を嗅ぎとった。何だかよく分からず困ったように笑ってしまってから、私は秋間くんから試されるのを許す必要なんてないのだと思い至り、彼に掴みかかった。

 私の小学校の中では壮絶なケンカだった。私は秋間くんの半ズボンの足を蹴っていくつも青痣をつくり、秋間くんは私の半袖の腕を引っ掻いて血の滲んだミミズ腫れをつくり、私の髪を引っ張ってたくさん抜いた。

 騒ぎに駆けつけた先生たちに引き離された後も、私は泣き続け、暴れ続けた。秋間くんは先生に「何もしてないのに布野さんが掴みかかってきた」と言い、私は先生に何を訊かれても口をつぐんで答えなかった。

 先生に呼び出されたおばあちゃんが学校に現れたとき、私は初めて「恥ずかしい」と思った。クラスメイトや先生の前で醜態をさらすのは何とも思わなかったのに、おばあちゃんの誇れる孫じゃなくなったことは引っ込んだ涙がまた溢れてくるほど恥ずかしかった。けれど、おばあちゃんは私を叱ることなく、ぼろぼろの私を「可哀想に」と抱きしめた。大人が言うような軽蔑の裏返しの「可哀想に」ではなく、愛してるという意味の「可哀想に」だった。

 おばあちゃんの腕の中で私はひとしきり泣き、おばあちゃんに連れられ家に帰ってからもまた泣いた。そして、おばあちゃんが作ってくれた蜂蜜しょうが湯を飲んでようやく落ち着き、秋間くんに言われた言葉をおばあちゃんに伝えた。

 そのときのおばあちゃんの悲しそうな顔を、私は忘れることができない。罅が入ったような傷ついた表情は一瞬で、おばあちゃんはごくんと空気と言葉を呑み込んだ。

「わたしの可愛い渡り鳥ちゃん」

 おばあちゃんは震える手で、秋間くんにぐちゃぐちゃにされた私の髪を撫で、わななく唇で笑みを象った。

「おばあちゃんは秋間さんとお話しをしてくるから、幸はいい子で待っていてくれる?」

 私は何も言えず頷いた。おばあちゃんの声は固かった。破裂しそうな怒りを必死に押し止めている声だった。

 それから私は一人で二時間ほど留守番をした。もう一杯の蜂蜜しょうが湯をちびちびと飲みながら、ソファーの上でうつらうつらと微睡んだ。コウノトリの夢を見たのを覚えている。真っ白の羽毛、風を切る黒い翼、どこまでも遠くを見渡す瞳。私をおばあちゃんの元に運んでくれた、第二の親。第一の親は、生みの親ではなく、おばあちゃんだった。

 家に帰ってきたおばあちゃんは、「魔女」の通り名にふさわしい形相だった。黒いワンピースに、灰色の髪を逆立て、竹箒を掴んでいた。

 後から秋間くん家の近所に住む友達から聞いた。おばあちゃんは箒を武器みたいに振りあげ、秋間くんの家に怒鳴り込んだらしい。「怒り狂った魔女みたいだった」と。私はそれを聞いてまた泣いてしまった。おばあちゃんがそんなに怒ったところを見たことがない。私のために怒ってくれたのだと思った。

 おばあちゃんは私が寝つくまで枕元にいてくれた。節ばった手が、ブランケットの上からトントンと優しく肩を叩く。どんな悲しいことがあっても、おばあちゃんがいてくれるだけで、お釣りがくると思った。

 翌日から、私は一週間小学校を休んだ。学校から謹慎を命じられたとか、おばあちゃんから「行かなくていい」と言われたわけじゃなく、私が「行きたくない」と言って、おばあちゃんが「いいよ」と言った。

 その間私は、おばあちゃんとべったりくっついて過ごした。幼稚園の頃に戻ったみたいだった。私たちは庭に生えているヨモギを摘んで、ヨモギ餅をつくった。毎年お正月に使う自動餅つき機を、おばあちゃんが物置から出してきてくれた。

 ヨモギをすり鉢ですり潰すとき、何だか魔女の薬草づくりみたいで面白かった。緑色のお餅が機械の中でぐわんぐわん回るのを、台所のテレビを流しながら眺めていた。

 そのとき流れていたのは地元のニュースで、私の市に初めてコウノトリが飛来したという内容だった。

 ニュースは自然公園にいるコウノトリを映し、元から日本に生息していたコウノトリは乱獲や環境悪化により絶滅したこと、今日本にいるのはロシアからもらって繁殖させたコウノトリであることを伝えていた。

「コウノトリは綺麗な場所でしか生きられないんだね」

 私はぼんやりと言った。

「居場所を見つけられて、よかった」

 ごうごうと音を立てながら、緑の丸いお餅は回る。おばあちゃんはこちらを見なかった。

「ロシアからわざわざ来てくれたんだね」

 まっすぐテレビ画面を見つめながら、おばあちゃんは言う。

「来てくれて、ありがとね」

 私はおばあちゃんの顔を覗き込んだ。

「うん。ずっとここにいるよ」

 おばあちゃんは私の言葉を否定も肯定もしなかったけれど、嬉しそうに笑った。ひんやりとした手が私の首のうしろを撫で、私は優しい温度に瞼をとじた。

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