王太子は辺境の夜会を楽しむ
その後も有意義な視察が続き、遂に約一月におよぶアレクシスの滞在も最終日を迎えた。
滞在の間、ニナとはバトン領の今後の展望や王国の経済に対する考えなど、活発な意見交換をした。
ニナの考えや知識はアレクシスにとってどれも新鮮で、新しい気づきに満ちていた。計略や私利私欲に塗れた王都の貴族令嬢たちとは違い、打算も表裏もなく、ただ純粋にバトン領のことを考えているニナと話すのは、素直に楽しめた。気づけばアレクシスも、ニナには自分の考えを率直に伝えられるようになっていた。
最初のうちは何をしていてもどこかでフェリシアのことが過ってしまい、胸が締めつけられるような思いをしていたアレクシスだったが、次第にどうすれば地方の貧しい領地の経済を潤すことができるのかが頭の中を占めるようになっていった。毎日視察に動き回り、頭と身体を目一杯回転させる日々。夜には心地よい疲れが襲い、温泉で癒やされ眠りにつく。胸が痛み眠れぬ夜も、気づけばなくなっていた。
温泉と食事のおかげか身体の調子もよくなり、このまま枯渇してしまうのではないかと案じていた魔力も回復してきているのを感じていた。
(魔力があったところで叔父上のように大きなことができるというわけでもないけど、王太子のくせにまったく魔力がないなんてことにはなりたくなかったから、やっぱり回復を実感できるのは嬉しいな)
アレクシスは魔石に力を送りながら、安堵の息を漏らした。従者たちが持ち歩いている魔石も、こうして王族が魔力を注ぐことで映像や音声を記録できているのだ。アレクシスの魔力が弱まってしまっていたこともあり、今回の視察には他の王族が魔力を込めた魔石を多めに持ってきていたが、こうしてアレクシスの魔力が回復してきたため、半分以上使わずに済んだ。
「アレクシス殿下、今夜の夜会ですが、こちらに併設されている広間で行わせていただきます。兄がお迎えにあがりますので、それまでお部屋にてお待ちくださいませ」
最後の視察を終えて宿泊施設に戻ると、ニナが言った。
今夜は、王都へ戻るアレクシスを見送るための夜会を催すとの連絡は事前にもらっている。宿泊しているこの施設には、夜会に使える広間もあるため、そこを使うようだ。
「わかったよ。ありがとう。もちろんニナ嬢も出席するんだよね?」
アレクシスが問うと、ニナが俯きながら頷いた。あれだけ活発な意見交換をしたというのに、スイッチが切れると相変わらずニナはアレクシスと目を合わすのが苦手なようだ。
「もちろん、私も出席させていただきます。まだお召し上がりいただいていなかったこの土地の名物料理も、やっと食材が手に入りましたのでご紹介させていただきたく思います。どうぞよろしくお願いいたします」
(ニナ嬢は本当に面白いな)
俯いたままのニナが懸命に話す様子が可愛らしくて、アレクシスはつい緩んでしまう口元をこっそり押さえた。
「うん、それじゃあ、また後で。楽しみにしているよ」
アレクシスを部屋の前まで送り届け、ニナは一度邸に帰っていった。
「アレクシス王太子殿下、ご視察お疲れ様でございました!」
アレクシスがニナの兄セルジュに案内されて夜会会場に入ると、大きな拍手と歓声に包まれた。
アレクシスは手を振ってそれに応える。
「このような辺境の地まで王太子殿下に視察にいらしていただけたこと、この上ない誉にございます。王都のような煌びやかなおもてなしはできませんが、この土地ならではの心を尽くした料理や舞をご堪能ください」
ブルーノの挨拶で乾杯し、夜会は始まった。
披露されたバトン領の伝統舞踊に拍手を送っていると、ニナがアレクシスのもとへ挨拶に訪れた。視察の際とは装いが変わり、ダークグリーンの光沢のあるドレスに、あの髪留めを合わせている。落ち着いた色味のドレスが、キメの整った白い肌と明るいオレンジブラウンの髪を引き立てていた。普段は動きやすさを重視した地味な服装が多いため気づきにくいが、こうして改めて見てみると、ニナはかなり整った容姿をしている。いつもは可愛らしい小動物のような印象だが、きちんと化粧をした今夜のニナは、年相応の女性の美しさを感じさせた。
(女性は装いで変わるものだな)
華美過ぎず、媚びたところのないニナの美しさにアレクシスは目を奪われた。フェリシア以外の女性を美しいと思ったのは、初めてのことだった。
「やあ、ニナ嬢。今夜は一段と素敵だね」
「…ありがとうございます…」
ニナはアレクシスの言葉に落ち着かないように視線を逸らす。男性から褒められることに慣れていないのが伝わる仕草。アレクシスに褒められたくてこぞって挨拶に来る王都の令嬢たちとは、何もかも違っている。
「お料理はもうお召し上がりいただけましたか?」
ニナが躊躇いがちに問いかけた。紹介したいと言っていた名物料理のことだろうと、アレクシスは頷く。
「ああ、少しずついただいているよ。名物だと聞いたあのジビエ料理も美味しかった。滅多に手に入らない食材なんだってね。ここには腕のいい料理人もいるようだね」
「お口に合って何よりです。本日の料理人は、王都からバトン領に旅行に来た際に、この土地の食材に惚れ込んで移住を決めたという者です。王都では有名なレストランにいたそうで、素材の味を最大限に活かした料理を振る舞ってくれます」
ニナが口にしたレストランの名前は、王都の貴族の間でも人気の店だった。アレクシスも名前を耳にしたことがある。
「そこなら僕も聞いたことがあるよ。あの店の料理人に惚れ込まれるなんて、バトン領の食材はすごいね」
ニナは自分が褒められたかのように、嬉しそうな笑みを浮かべた。
(自分が褒められることよりも、バトン領を褒められる方が嬉しいなんて、ニナ嬢はやっぱり他の令嬢とは違うな)
ニナの表情が輝いたのを見て、アレクシスも微笑んだ。
その後も、ニナは披露された歌や料理に解説を加えてくれた。バトン領に関することを話し始めると、ニナは驚くほど饒舌になる。どの話も興味深く、どんどん話に引き込まれていった。そうやってニナの話を聞いていると、ふっとニナの視線がアレクシスから逸れた。ニナの視線は、アレクシスの斜め後ろを通りかかった人物に注がれている。
「ジャン!」
(ジャン…?)
アレクシスが振り返ると、そこには驚いたような顔をした1人の青年が立っていた。
「ニナじゃないか!今日は一段と綺麗だね。何をしているの?」
ジャンと呼ばれた青年が、親しげにニナに挨拶をする。しかし、ニナの隣に立つアレクシスの顔を見るなり、彼は慌てて姿勢を正した。
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