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王太子と純朴令嬢は幸せを知る

 俯いたままのニナの耳に、先程贈ったばかりの蒼玉の耳飾りが揺れている。小さな耳は桜色に色づき、思わず唇を寄せたくなるほどに愛らしい。

 ニナは馬車に乗ってもアレクシスが右手を離さないせいで、左手を目一杯広げて顔を覆っていた。細い指の隙間から、ぎゅっとつぶった目元が除いている。頬も耳と同じ桜色だ。


(ちょっと焦り過ぎてしまったかな…)

 店の中での様子を思い返し、アレクシスは心配気にニナを見つめていた。仕事のスイッチが入っていない状態では、アレクシスと長く目を合わせることもできないニナに、婚約者という設定はかなりの難易度だったことだろう。

(僕のことを意識してもらうためには、わかりやす過ぎるくらいに行動しないとって、焦って強引になり過ぎてしまった。途中からは、困っているニナの顔が可愛くて、ついつい調子に乗ってしまったし…)


「ニナ?大丈夫?」

 アレクシスに問われ、ニナはびくん、と小さく飛び上がった。婚約者のふりが必要なくても、もう呼び方を変えるつもりはない。せっかく詰めた二人の距離を、元に戻すことは絶対にしたくなかった。

「…殿下…すみません…私…」

 消え入りそうな声でニナが応じる。

「殿下じゃなくて、アレクシスって、呼んでほしいな…」

 思わず心の声が漏れた。もっと君の心の近くにいかせて。

「ねえ、ニナ。不安に思うことなんてひとつもないから、安心して?」

(僕が婚約者のふりなんてさせて無理をさせてしまったせいで、上手く振る舞えなかったと自分を責めているのかもしれない)

 ニナに申し訳ない気持ちになりながらも、指の隙間から覗く長い睫毛が小さく震える様子が可愛いくて、握ったままのニナの右手に思わずキスを落とした。ニナがまた、はっと息を飲む。

(しまった…また…。駄目だ、愛しさで自分の気持ちの制御が効かない)

 困らせたい訳じゃないのに。


 じっと自分を見つめるアレクシスの視線を感じるのか、ニナの頬が桜色から薔薇色に変わっていく。

「あ…アレクシス…様…。そんなに見ないでください…」

「ごめん。ニナが可愛いから、つい」

「――っ!か、可愛いって…さっきもですけど、からかうのはやめてください…」

 ずっと可愛いと思っていたのは本心だ。本当の気持ちを誤解されたくなくて、アレクシスは焦る。ニナの手を握る腕に力が籠もった。

「からかってなんかないよ!僕はそんなに軽薄に見える?」

「いえ、そ、そういう訳では…」

 ニナが慌てて首を振る。アレクシスは静かに、しかし力強く、本心を口にした。

「女性に対して可愛いなんて言ったのは、ニナが初めてだよ」

(嘘じゃない。フェリシアにはそう思っていても言えなかった。そんな自分をさらけ出すなんて、怖くてできなかったから。でも今は違う。自分の気持ちに素直になろうと決めたから、ニナにだけは本当の気持ちを隠さない。僕の全部でぶつかるんだ)


 ニナは真っ直ぐなアレクシスの言葉を受けて、益々俯いてしまった。小さな身体をさらに縮めて、微かに震えている。その様子を見て、アレクシスの頭からすうっと血が引いていった。

(ニナ…もしかして怖がってる…?いくら自分の気持ちに正直になりたいっていったって、気持ちを押しつけてニナをこんな風にしてしまうのは、違うな…)

 いたたまれなくなって、そっとニナの手を離す。

 今度もまた、自分の思いは受け入れてもらえないのかもしれない。恋を失った時のあの痛みが、またじわじわとアレクシスを侵食し始めた。次第に目の前が暗くなっていくような感覚を覚える。

「ニナ、ごめん。嫌な思いをさせてしまったよね。僕は…今日をとても楽しみにしていたんだ…。だから、つい気持ちが走り過ぎてしまったみたいだ。本当にごめん」


 アレクシスの声音に変化を感じ取ったニナが、慌ててぱっと顔を上げた。アレクシスの表情が暗く陰っているのを見て、頬の薔薇色がさあっと引いていく。小さな唇が震えながらも、懸命に何かを伝えようとして開かれた。

「ち、違うんです!嫌じゃないです!――わた、私も、同じです。でん…アレクシス様と出掛けられるのを、とても…とても楽しみにしていました。私…鈍感で、ついさっきまで自分の気持ちにも気づかなくて、でも、やっと気づいたら、今度はどうしていいかわからなくなってしまって…だから…ええと…あの…」

 大きく深呼吸をしながら、ニナが呼吸を整えている。うまく言葉にならないもどかしさと戦っている様子が、沈んでいくアレクシスの心を引き上げようと必死に手を伸ばしてくれているように見えて、アレクシスは先程離したばかりのニナの手を、もう一度恐る恐る握った。ニナの手が、きゅっとアレクシスの手を握り返す。

 ”離さないで。私は拒否しているんじゃない。それを伝えたい。”

 握った手から、ニナの熱とともに気持ちが流れ込んでくるような気がした。


「――僕がこうすること、ニナは嫌じゃないってことで、合ってる?」

 握った手に少し力を込めながら躊躇いがちに尋ねると、ニナが大きく息を吐いた。それからアレクシスを見上げてしっかりと目を合わせ、力強く頷く。

「はい、合っています」

 アレクシスは握った手をそっと引き寄せ、ニナを自分の隣に座らせた。ニナは緊張した面持ちながらも、アレクシスから目を離さなかった。必死に思いを伝えてくれようとしているのがわかって、アレクシスは抱きしめたい衝動をぐっと抑える。

(落ち着いて、僕もちゃんと伝えなければ。この気持ちをわかってもらうために)


「ニナ、僕は君のことが好きだ」

 ニナが目を見開く。きらきらと輝く大きな橄欖石の瞳に、緊張で強張った自分の顔が映っているのが見えて、アレクシスはふっと口元を緩めた。

「ごめん、僕、可笑しいくらい必死だね。でも、それだけ真剣なんだ。今日は急に距離を縮めようとして、驚かせてしまったよね」

 ニナは潤んだ瞳でアレクシスを見つめながら、ふるふると首を振る。ふわりふわりと、柔らかな髪が揺れた。

「――バトン領で一緒に過ごすうちに、ニナは僕にとって特別な存在になっていったんだ。ニナと話をするのは、ただただ純粋に楽しかった。ニナは僕に知らない世界をたくさん見せてくれたし、ニナのおかげで僕はまた前を向けたんだ。新しい目標もできた。そして、ニナが王城に出仕するようになってから、僕にとってのニナの存在は、さらに大きく、もっと特別なものへと変わっていった。――恋なんて、もう二度とできない、したくないって思っていたのに、後悔とプライドで雁字搦めになっていた僕の心を、ニナが溶かしてくれたんだ」

 ニナが好きだ。ニナと一緒にいたい。この思いが伝わりますように。絞り出すように、言葉を紡ぐ。

「だから今日は、どうしてもニナに僕を意識してもらいたくて、婚約者なんて勝手な設定を作って、ニナに強いてしまった。ニナに僕の気持ちが伝わるといいなって…。ニナに、僕を見てほしかった。好きになってもらいたかったんだ」


 黙ってアレクシスの言葉を受け止めていたニナが、思い切ったように口を開いた。

「私も…アレクシス様とお話しするのは、とても楽しかったです。女性が経営や政治に関する発言をすると疎ましがられるのに、アレクシス様はいつも私の話を真剣に聞いてくださって…。そのうえ、王城で勉強をする機会まで与えてくださいました。アレクシス様と一緒にいると緊張するのに…呼吸がうまくできない気がするのに…一緒にいたいんです。一緒にいると胸が苦しいのに、幸せなんです。私、やっとこの気持ちを何というのか、わかりました。だけど、自分の気持ちに気づいたら、途端にどうしたらいいのかわからなくなってしまって…。アレクシス様のご厚意を利用して、私はアレクシス様といられることに喜びを感じている。なんて失礼なんだろうと…」

 ニナの言葉は、アレクシスと同じ気持ちを表しているようにしか聞こえない。アレクシスは確かめずにいられなかった。怖い。でも…。


「ニナ、それじゃあ、ニナも僕と同じ気持ちを抱いてくれているの…?」

 震える声で問う。ニナはアレクシスの手を両手でぎゅっと握ると、大きく息を吸い込んで、答えた。

「はい。私も…私もアレクシス様が、好きです」

「ニナ…本当に…?」

 信じられない思いで問い返したアレクシスに、ニナが頷く。その頬は再び薔薇色に染まり、握られた手は震えているが、もうニナは俯かなかった。潤んだ瞳に強い意志を宿し、アレクシスを見つめている。もう二度とアレクシスに悲しい顔をさせたくない、という決意が伝わってくるようだった。


「ああニナ、夢みたいだ。思いが通じ合うことが、こんなにも幸せなことだって、初めて知ったよ」

 アレクシスはニナを抱きしめた。小柄なニナを壊してしまわないように、そっと大切に、自分の腕の中に包み込む。ニナは一瞬緊張したように身体を硬くしたが、ややあってそっとアレクシスの胸に身体を預けた。

(奇跡みたいだ。好きな人が自分の腕の中にいる)

 心が温かくなり、喜びで体中が満たされていく。

「私も…こんなに幸せな気持ち、初めて知りました。好きな人の腕の中は、こんなに満たされるものなのですね」

 アレクシスの胸に頬を当てたまま、ニナが呟いた。しばらく幸せな温かさを味わった二人は、そっと顔を見合わせた。互いの瞳に互いの姿が映る。二人は少し照れくさそうに微笑みを交わした。

読んでくださり、ありがとうございます!

やっと2人の思いが通じ合いました。

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