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純朴令嬢は恋を知る〈side:ニナ〉

 ニナは隣で婚約者然として自分をエスコートするアレクシスの顔をそっと見上げた。手が回されている腰に神経が集中して、どうしても不自然に力が入ってしまう。


 騎士に扮したアレクシスは、いつもとは違った雰囲気を醸し出している。気品を漂わせながらも、普段は見せない雄々しさを感じさせるその風貌。さらに、婚約者を装っているせいか今日のアレクシスは何かと距離が近い。ニナは朝からずっと心臓が休まる暇がなかった。

(私の市場調査のためにここまでしてくださるなんて…。本当に感謝してもしきれないわ。だけど、婚約者を装うなんて、いくら殿下からのご提案とはいえ、不敬すぎないかしら。何か失礼をしてしまいそうで怖いわ)

 緊張に支配されながらも、それだけではない胸の高鳴りを感じる。朝、タウンハウスの窓からアレクシスの姿が見えた時には、激しく心が沸き立った。普段と違う姿が見られたことに、喜びも感じた。この感情の正体が知りたいような、知るのが怖いような。でも、本当はもう、正体を知っているような…。自分の気持ちが見えなくて、ニナは戸惑っていた。


「何かお探しでしょうか?」

 店主らしき人物に声を掛けられ、ニナははっとする。ショーケース越しに白髪のおっとりとした紳士が立っていた。優しい瞳で二人の様子を見つめている。

(いけない!今日の目的をちゃんと果たさなければ!何のために殿下のお時間をいただいたかわからなくなってしまうわ)

 慌ててショーケースに並ぶ商品に視線を落とした。

「あ、ええと…」

 別のことで頭がいっぱいで、ちゃんと聞きたいことが整理できていなかった。何から聞こうか思案していると、隣でアレクシスが答えてくれた。

「僕の婚約者に何か贈り物をと考えているんだけど、今はどんなものが人気なのかな?」

 さらりと婚約者と言われ、またどくん、と胸が鳴る。”婚約者”の距離に立つアレクシスに動揺が伝わってしまいそうで、ニナはそれを誤魔化すように小さく咳払いをした。この状況で調査に集中するのは、なかなか難しそうだ。


「それでしたら、こちらの耳飾りはいかがでしょう?ご婚約されていらっしゃるということでしたら、もうパーティーで身につけられるような立派な宝石のアクセサリーは贈られていらっしゃるでしょうし。そうした方々には特に、いつでも邪魔にならずに身に着けていられるこちらの商品が人気を集めております」

 指し示されたのは、小ぶりの耳飾りたち。シンプルだが石の種類も豊富で、デザインも洒落ている。大仰さもなく、確かに日常的に身に着けやすそうだ。

(わあ、素敵…)

 ニナの目がショーケースに吸い寄せられる。さりげなく身につけられるものは、旅行先でも手が伸ばしやすいかもしれない。

「最近では、こうした普段使いしやすいものを贈り合うのが人気でございます。いつでも恋人や婚約者を近くに感じられると、大変好評ですよ。こちらは男性用のデザインもご用意がございまして、揃いでお買い求めくださるお客様も多いです」

「へぇ、揃いで着けられるなんて、いいね」

 アレクシスがニナに優しい眼差しを向ける。まるで本当の婚約者に同意を求めるようなその仕草に、ニナはなんとか笑顔で頷き返した。耳が熱い。自分の鼓動の音がアレクシスに聞こえてしまうのではないかと心配になる。

「――ええ、素敵ですね」

 鼓動がうるさすぎて、自分の声がやけに遠くに感じた。


「他には?僕は普段、鍛錬ばかりで流行に疎いものだから、いろいろ教えてもらえるかな?婚約者を喜ばせたいんだ」

 騎士を装ったアレクシスは、本来の目的を果たすべく次々と商品を紹介してもらっては、笑顔でニナを見つめる。ニナはその度に苦しいほど高鳴る胸の辺りをぎゅっと押さえながら、頷き返していた。


「どれも素晴らしかった。ありがとう。――そうだな、最初に見せてもらった耳飾りをもらおう。彼女に贈る方は、蒼玉(サファイア)のものを。僕が着ける方は…この橄欖石(ペリドット)にしよう。デザインはこれを揃いで。このまま着けていくことはできる?」

(――お互いの瞳の色の石…。婚約者を装うために、そこまでしていただく訳には…)

 何か言おうとしたニナを制するようにアレクシスは目配せをすると、さっと支払いを済ませてしまう。店主から耳飾りを受け取ると、

「着けてあげる」

と、流れるような仕草でニナの耳に触れた。

 アレクシスの手が耳に触れた瞬間、ぴくりと反応してしまった自分が恥ずかしくて俯く。アレクシスはそっと耳飾りを着けると、ニナを鏡の前に立たせてくれた。ニナの両肩に手を置き、後ろからアレクシスが覗き込む。

「よく似合っているよ」

 鼓動の音に重なり耳元で響く美声が、いつもより心なしか甘く聞こえる気がするのは、自分の願望だろうか。鏡に映る自分の耳が可笑しいほどに赤くて、ニナは逃げ出したくなる衝動を必死で抑えた。


「ニナ、僕にも着けて」

「えっ!わ、私が着けるのですか?」

 甘えるように請われ、ニナの頭は真っ白になる。二人のやり取りを笑顔で見守っていた店主が、耳飾りをニナに差し出した。

「どうぞ、こちらでございます」

「え…はい…ありがとうございます」

 耳飾りを受け取る手が震える。

「じゃあ、左耳に着けてもらおうかな」

 形のよい耳が目の前に差し出された。


(今日の私は婚約者、今日の私は婚約者、今日の私は婚約者…)

 胸の中で呪文のように唱えながら、ニナは耳飾りを着けやすいようにかがんでくれているアレクシスの耳に耳飾りを近づける。

(だめ!どうしよう!手が震えてしまって…)

 あまりの恥ずかしさに涙目になって固まってしまったニナを見て、アレクシスがふっと優しく微笑んだ。

「ごめんごめん、ニナは恥ずかしがり屋なのに、困っている様子があまりに可愛くてちょっと意地悪し過ぎた。貸してごらん」

(かっ可愛い!?殿下、婚約者の演技が上手過ぎる…!)


 アレクシスは動揺して益々硬直しているニナの頭をそっと撫でて、その手から耳飾りを受け取ると、自分で着けてみせた。

「どうかな?似合ってる?」

 ニナはちらりとアレクシスの顔を見上げて耳飾りを確認する。

「――はい、とても」

 人形のようにぎこちなくこくこくと頷くと、アレクシスが心から嬉しそうに微笑んだ。辺りに光が満ちるような、輝く笑顔。ニナの瞳はその笑顔に釘付けになり、そばにいた店主でさえも、ほうっとため息を漏らしたのがわかった。

「よかった。じゃあ行こうか。店主、ありがとう」

 アレクシスがニナの手を自然に取る。

「本日はありがとうございました。お二人はとてもお似合いでいらっしゃいますね。恋する素敵なお二人の幸せをお祈りしております」

――ことり、と、あるべきものが、あるべきところに収まったような感覚がした。


 店主の言葉に、ニナは唐突に自分の気持ちの正体を理解した。いや、自覚した、という方が正しいのだろう。

 緊張だけではない、苦しいほどの胸の高鳴り。これまで感じてきた、難解な自分の感情。バトン領を去るアレクシスを見送った時に感じた寂しさも、アレクシスの元婚約者であるフェリシアに出会った時に感じた胸の痛みも、すべてが腑に落ちた。

(恋…そうか、この感情を恋と言うのね。――私は殿下に恋をしているのだわ)

 自覚した途端、全身が燃え上がるように熱くなる。アレクシスに触れられている手に感覚が集中する。ニナの手をすっぽり包み込むような、大きな男の人の手。


「ニナ?どうしたの?」

 真っ赤になって固まってしまったニナの顔を、アレクシスが覗き込んだ。ニナは反射的に空いている手で顔を覆う。

「いえ…なんでもありません…」

 上手く誤魔化すこともできない。

(どうしよう、私、今までどんな顔をして殿下の前にいたんだろう。殿下を好きになってしまうなんて、これからどうしたらいいの?殿下は私の調査のためにお時間を割いてくださっているのに、こんな不純な思いを抱えたまま殿下のご厚意に甘えるなんて、そんな不敬なこと、できないわ…)


 店を出た途端に俯き、立ち尽くしてしまったニナの手を、アレクシスが優しく引いて馬車に乗せてくれた。その優しさがたまらなく嬉しい反面、申し訳ない気持ちでいてもたってもいられなくなる。

(私のような地味な辺境の田舎娘が殿下に恋心を抱くなんて、なんて恐れ多いことなのかしら。立場も背負うものも違う方だと、わかっていたはずなのに…)

 唐突に自覚してしまった自分の気持ちに戸惑うニナは、馬車に乗ってからもしばらく顔を上げることができなかった。

読んでくださり、ありがとうございます!

やっとニナも自分の気持ちの正体に気がつきました。ゆっくり育まれた思いが向かう先は…。

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