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壊れていく心

今にも降り出しそうなどんよりとした空の下。

アッシュは無言で歩を進めていく。

視線の先には、ポツンと一軒だけ立つ屋敷。

ルーナルドが守る結界の境界線までは、もう目と鼻の距離だ。


あれほど苦しかったのに。

目も耳も、もうほとんど機能していなかったのに。

今は驚くほど感覚が鋭くなっていて、痛みもまるでない。

心は凪いだ水面のように静かで、体も軽い。


右手に握りこんだ短剣から、絶え間無く力が入るこんで来るのがわかる。

そうしてその力が、アッシュの体を侵していた呪いを押さえ込んでいるのも。

これほどの怨念を、これほどの無念さを、そしてこれほどの悲しみを。

今までクロス家の人間は問答無用で幾度も味わわされてきたのだ。


────・・・今こそ、この忌まわしい呪いを根源へと返すとき。


そうしてそれができるのはアッシュだけ。


・・・結局こうなるのだったら、もっと早くに実行に移しておけばよかった。

そうすれば、リアにもトーマにもあんな苦しみを味わわせずにすんだのに・・・。


ああ、けれどルーナルドの結界が邪魔だったか・・。


王女に害意のある者は入れない、この結界。

これがあるから、こんな回りくどいやり方しかできなかった。

今もし、この結界に阻まれるようなら力付くで・・・・。


そう思ったのに。


踏み出した足はすんなりと結界の境界線を踏み越えた。


「・・・・・・・・っ!」


王女に害意のある者は弾くはずの結界がなんの作用も見せない。

今も変わらず強固な守りを見せるその結界の境を。

アッシュは今簡単に踏み越えたのだ。

王女を殺すための道具を持って、王女を殺すためにやってきたのに。


「・・・・はは・・・。 ルーナは僕の事を信用しすぎじゃないのかな・・・・」


あの義弟は、アッシュのことをかけらも疑ってはいないのだろう。

無条件で侵入を許してしまう程、アッシュに心を許してくれている。


キュウッと胸が苦しくなる。


【ユフィ】を助けるために、ルーナルドがどれほど己の心を殺していたか知っている。

ずっとずっと、一つも感情を現さないその顔は、けれどアッシュには泣きそうな顔に見えた。

あれほど大事にしていた【ユフィ】を前にして。

名乗れない苦しみは、わざと冷たく突き放さなければいけない悲しみは。

そして他の男に彼女を取られる辛さは。

きっと並大抵のものではなかったはずなのに。

それでも一度も辛いとは言わなかった。

アッシュのために、そして【ユフィ】のために。

ずっと自分を殺し続けてくれた。

そのルーナルドを裏切って、アッシュは今からユーフェミアを・・・。


ぶわり、と。

手の中の短剣から力が押し迫って来る。


なにをやっている、さあ早く、王女の元へ。恨みを晴らしに。


頭の中で声が聞こえる。


この世への未練の声。

子供を殺された母の恨み。

母を亡くした子の嘆き。

幾人もの感情がアッシュに流れ込み、頭の中で狂ったように呪詛を吐きつづける。


そうしてゆっくりと、ゆっくりと・・・。

アッシュの心を壊していく。

アッシュの望み通りに・・・。

なんの痛みも感じないように、心に浸蝕し殺していく。


「・・・・・ああ、そうだね・・・。 ・・・早く王女を殺さないと・・・・」


短剣を握り直し、アッシュは歩を進める。


もう、目指す屋敷はすぐそこまで迫っていた。






今にも降り出しそうなどんよりとした空の下。

ユーフェミアは、一人野菜の収穫に励んでいた。

いや、励もうとして。

どうしてもそんな気にはなれず、一人畑の前におかれたベンチに座りぼんやりと空を見つめていた。

食べれるときに食べれるものをきちんと食べておかないといけない。

でなければ、有時の時に適切な判断や行動ができなくなる。

そうちゃんとわかっているのに、どうしても頭と体が働かない。


目を覚ましたとき、ユーフェミアはたった一人だった。

いくら探してもルーナルドはそこにいない。

当たり前だ、彼はあんなにもはっきりと別れを告げていた。

そしていつまでも泣き縋るユーフェミアを引き離すために、睡眠魔法まで使ってきたのだから。


「・・・・・・・ひどい・・・」


あんな一方的で力付くの別れ方もそうだが。

そんなひどい別れ方をした相手の枕元に、自分の外套を残していくなんて。


ユーフェミアの膝の上には、ルーナルドがいつも羽織っていた外套がある。

他の衣服は雑に扱っていたのに、この外套だけは彼はいつも丁寧に扱っていた。

きっと大事な人からもらった特別なものなのだろう。

「家族に憎まれている。誰にも必要とされていない」と苦しそうに泣いていた彼に。

大事だと思えるものを与えてくれる、大事な人がちゃんと出来たことがとても嬉しかった。


その大事なものを、彼はユーフェミアの側に置いていった。

いつかちゃんと取りに来るつもりなのだ、と。

そう理解してもよいのだろうか。


膝の上に置いていた外套をぎゅっと抱きしめれば、ルーナルドに抱きしめられたときと同じ香りがした。




そうして大事な人、といえばもう一人。

ユーフェミアには大事な友人がいる。

まだ友人になったばかりの。

けれどずっとユーフェミアを側で支えてくれたとても優しい友人が。


・・・クロス公爵は・・・アッシュは、どうなっただろうか。


彼の姿もあれから見ていない。

出来ることなら、彼の様子も知りたいのだけれど・・・・。


そう思ったとき。


ポツリ、と。

ボンヤリ空を見上げていたユーフェミアの頬に冷たいものが落ちてきた。


雨だ。 降りそうだとは思っていたけれど、ついに降って来たようだ。


ポツポツ、と。

間をおかずして雨脚はどんどん強くなっていく。

結局一つとして野菜を収穫出来なかったけれど、ぐずぐずしていたユーフェミアの自業自得だ。

なによりこのまま外にいてはルーナルドの大事な外套を濡らしてしまう。


とっさに持っていた外套を両腕で抱き込み、屋敷の中に入ろうとしたユーフェミアは。


ピタリと足を止めた。


ざくざく、と。

土を踏み鳴らす音が聞こえる。

この歩き方は知っている。

軍人のようなきびきびした足運びじゃない。

もっと優雅で、ゆったりとした・・・・。


「・・・・・・アッシュさま・・・・」


「・・・・・やあ、王女様・・・・」


いつものように穏やかな笑みを浮かべたアッシュが。


不気味に黒光りする抜き身の短剣を持ったアッシュが。


ゆっくりとこちらに向かって歩いてくるのを、ユーフェミアは呆然としながら見つめることしかできなかった。











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