ユーフェミア6
たまには甘さも必要です。
「僕に? うれしいな、ありがとう」
次の日。
食事を終え、いつもの席で一休みしているクロス公爵に、感謝の言葉と共にハンカチを差し出した。
一応部屋にあったもので見栄えよくラッピングもしてみたけれど。
手先がそう器用ではないユーフェミアが施したそれが、この国の筆頭公爵である彼に似合うものかといえば、否、というレベルの不格好な品だ。
もう少し器用であったなら、もう少しセンスがあったなら、と悔やまれるところだが。
何度もやり直して一番よくできたものが、今手に持っているこれなのだからしょうがない。
ユーフェミアが差し出したそれに、クロス公爵は最初驚いたような表情を見せた。
けれどそれも本の一瞬で。
すぐにいつもの穏やかな笑顔を浮かべ、快く受け取ってくれた。
クロス公爵に限ってないだろうと思ってはいたけれど。
それでもあまりの不格好さに、いらないと突き返される可能性も少しは考えていただけに。
手にとって貰えただけで、ホッと安堵の息が漏れた。
開けてもいいか、と礼儀としての声かけがあり。
ユーフェミアがはいと返事をすると、クロス公爵は包装紙を破かないように丁寧に剥がし始めた。
いくら貴族でも、荒っぽい人や、せっかちな人は、包装紙など気にせずビリビリと破いたりするのだが。
ユーフェミアが頑張って包んだのを察してくれたのか、それとも元々の優しい気質故か。
クロス公爵はこんな細かいところまで、気遣かってくれる。
そうして程なくしてでてきたのは、昨日ユーフェミアが刺繍を刺し終えたばかりの白いハンカチ。
こうしてみても、ハンカチ自体はそれほど不格好ではないはずだけれど。
クロス公爵の反応がやはり気になる。
気に入っては貰えないにしても、不快にだけは思ってほしくない。
ちらり、と顔を上げて様子を伺えば。
顔を真っ赤に染めたクロス公爵がそこにいた。
「・・・・・これを君が・・・・? ・・・・僕に・・・・? え・・・本当に・・・?」
・・・・・・・・・?
思っていたよりも随分と大きな反応に、ユーフェミアの方こそ戸惑った。
貴族らしく、いつも穏やかな笑顔で殆ど感情を悟らせないクロス公爵が。
こんなに顔を真っ赤にして、傍からみてもわかるほど取り乱している。
では、迷惑だったのかといえばそういうわけでもなさそうで・・・。
むしろその顔は今まで見たことがないほどトロトロに蕩けていて、とても嬉しそうに見える。
あんなハンカチ一枚に対する反応としては、余りに過剰過ぎる。
ゴトリ。
不意に聞こえてきた音に、何気なく顔をそちらに向けたユーフェミアは。
そこにあったさらにありえない光景に驚いて、目を見開いた。
いつもの席で、素知らぬ顔をして本を読んでいたルーナルドがいつのまにかこちらを凝視していた。
彼の手にいつも読まれている本はない。
本は今、彼の足元に背表紙を上にして落ちている。
状況からいって彼が本を取り落としたのだとわかる。
先ほど聞こえた音も、落ちた本が床をならした音だろう。
なのに彼は本を拾おうともせず無表情でただ一点を見つめている。
刺すようなその視線をたどれば、クロス公爵の手元に行き着いた。
正確に言うなれば、多分彼が持つハンカチに。
そして。
本の一瞬だけれど。
ルーナルドの表情が崩れた。
眉がより、目尻と口角が下がり。
くしゃりと泣きそうな頼りない表情になった。
・・・・・・・え・・・・?
瞬きする間にそれは霞みのように消え、彼はまた作り物のような綺麗な無表情に戻ったけれど。
絶対に見間違いなんかじゃない。
今確かに・・・・。
「・・・あの・・・・」
なにか言わなければ。
彼がどうしてあんな顔をしたのか確かめなければ。
けれど、言葉が出てこない。
どう声をかけていいのか分からない。
拒否される、もしくは無視される未来しか予想できない。
それでも声をかけたいのに。
言葉をかけることはこんなも難しいことだっただろうか。
そもそも何と呼びかけていいのかさえ分からない。
ユーフェミアとルーナルドは、最初の数日以来一言も言葉を交わしていない。
名を呼ぶ許可も貰えていなければ、そもそも名乗られてもいない。
そんな相手にいったいなんと呼びかければいいのか。
ユーフェミアがもたもたしているうちに、バサッと、衣がこすれる音がして。
ルーナルドがその場から立ち上がったのだと気がついた。
そのままルーナルドは何もいわずに、ユーフェミアにもクロス公爵にも背を向けて歩いて行ってしまう。
自室に戻るつもりなのだろう。
ルーナルドがこうやって一人で自室に戻ることは今までもよくあった。
けれど、今までとは明らかにどこか違う。
今までと同じようにユーフェミアを拒絶するその背中が、今日は泣いているようにさえ見えた。
「・・・・・・殿下、部屋にお戻りに?」
「・・・・・・・ああ」
隣から聞こえてきた声に視線を向ければ、クロス公爵ももう冷静さを取り戻したようで。
いつもと同じ感情の読めない穏やかな笑みを浮かべている。
ルーナルドは気遣うようなクロス公爵の言葉に振り向きもせず。
けれど最低限の返事だけは残して。
そうして一人静かに自室へと戻って行った。
二人してその背中を見送った後。
部屋に訪れた気まずいような沈黙を打ち破るかのように、いつもより少しだけ高いクロス公爵の声が響く。
「・・・・・・・・ところで王女様? このハンカチにはどういう意味があるのかな?」
「・・・・どう・・・とは・・・?」
刺繍を刺したハンカチはお礼の品。
そんなこと、アルフェメラスでは誰もが知っていることで・・・。
そこまで思って。
やっとユーフェミアも気がついた。
ここはアルフェメラスではない。
ハイエィシアだ。
刺繍を刺したハンカチ=お礼、という常識は通用しないのだ。
「あの・・・・・」
ではいったいこのハイエィシアでは、どういう意味があるのか?
それとも対した意味などないのか。
いや、クロス公爵がわざわざ意図を聞いてきたということは、こちらの国でもなんらかの意味があるのかもしれない。
ハイエィシアの情勢は頭に全て叩きこんである。
特産品も、地形も、主たる貴族も。
和平実現にむけて、有用であると思えば全て調べて覚えた。
でも、刺繍入りのハンカチを渡すことにどんな意味があるのか。
そんな細かいところまでは知らない。
もしかしてなにかとんでもない意味が・・・・。
そういえば、落とした手袋を拾う、という行動が決闘を意味する国もあるとか・・・。
それでいうなら、刺繍入りのハンカチももしかしたら・・・。
「はぁ・・・。 なんだやっぱり知らなかったんだ、そうだと思った・・・」
なのに、ちょっと喜んじゃったじゃない。
クロス公爵がとても小さな声でぶつぶつと何か言っているが、よく聞き取れない。
もしかしてなにか大事なことだろうか?
「あの、公爵さま・・・?」
「なんでもないよ。 ねえ、王女様? この国では自ら刺繍を施したハンカチを女性が男性に渡すのはね」
クロス公爵の体がゆっくりと動いた。
一部の隙もない美しい所作に思わず見入ってしまって。
あっと思ったときにはもう、彼のひどく整った顔がすぐ目の前にあった。
「愛を乞うているのと同じ意味なんだよ?」
クロス公爵がユーフェミアの耳元に口を寄せて。
いつもより数段低く、艶のある声で囁いた。
「!?」
ぞくりと何かが背中を這うような奇妙な感覚。
慌てて身を引いたユーフェミアの顔を。
可笑しそうに目を細めたクロス公爵が、壮絶な色気を放ちながら至近距離で見つめてくる。
「・・・・あ、の・・・?」
いついかなるときも淑女であれ。
幼い頃からの教えが頭を過ぎる。
けれど、今この状況でその教えを守れるほどユーフェミアは屈強ではない。
場慣れもしていなければ、経験もまるでない小娘と同じ。
タヌキ達を相手にしているときとはまるで状況が違う。
つねに貼付けている、己を守るための仮面など簡単に剥がれ落ちてしまう。
「へぇ・・・? 君でもそんな反応してくれるんだ・・・」
だったらまだ僕にも望みはあるのかな・・・。
「え・・・・?」
小さく口の中だけでつぶやかれた公爵の言葉は、混乱するユーフェミアには届かない。
「なんでもないよ。ねえ、王女様? 深い意味がないのなら、もうハンカチなど渡してはだめだよ?」
愛を乞うつもりがないのなら、刺繍入りのハンカチなど渡すな。
全く、クロス公爵の言う通りだ。
刺繍を施したハンカチがそんな意味を持つのなら。
部屋にしまってあるもう一枚のあのハンカチも【彼】には到底渡せない。
「でないとまたこうやってお仕置きをするよ?」
離れたはずなのに。
また、いつのまにかクロス公爵が目の前にいて耳元に口を寄せてくる。
身のこなしに隙が無さすぎる。
「お仕置き・・・・でしょうか・・・?」
クロス公爵のいう意味がわからずユーフェミアは顔をしかめる。
知らずにそんなハンカチを渡したのは確かにユーフェミアの失態だったが。
なぜそれでクロス公爵にお仕置きされなければいけないのか。
いやそれよりも、いい加減離れては貰えないだろうか?
「そう、お仕置き、だよ。今回でいうなら無駄に僕の心を弄んだ罪に対する、かな」
「あ・・。 その件は大変申し訳なく・・・・」
「いいよ、国が違えば常識も違うからね。でも・・・・」
次はないよ?
いつもの害のない穏やかな笑顔とはまるで違う。
背筋がぞくりとするほど壮絶な色気と凄みを出して。
目を細めてニッコリとクロス公爵が笑う。
確かに笑っているはずなのに、背筋が凍るほどの冷たい感覚を覚えて。
ユーフェミアは一も二もなく頷いた。
後日。
そんな意味があるのなら申し訳ないが、あのハンカチを返してほしい、と。
他のものを用意するからと何度もクロス公爵にお願いしたのだが。
公爵は自分が貰ったものだから、といつもの笑顔で上機嫌で答えるだけで。
決してハンカチを返してはくれなかった。
公爵さまは期待してしまった分、怒状態です。
でも結果、思いの外ユーフェミアの反応がよかったので上機嫌です。
もうしないで、の言葉はそのままの意味で、勿論もう一枚ハンカチがあることも、それを誰かに渡そうとしたこともアッシュはしりません。
もう精神的に削られるからしないで、と言うだけの意味です。
読んでくださりありがとうございました。
 




