最後の望み
ルーナ視点です。
よろしくお願いします。
「・・・・・・・本当に、よろしいのですか?」
主の命令を二度、問う。
それは絶対の存在である主の行いに、疑問を持っている証。
粛々とその命を遂行するのが美徳とされる彼らの中での、最大の愚行。
にもかかわらず、優秀なその執事はルーナルドの下した命に二度に渡って意を唱えた。
彼にとってルーナルドが仮初の主でしかないからか。
それとも、単純にルーナルドの身を案じてくれているからか。
長年公爵家を支えてきた筆頭執事。
その彼の表情はルーナルド並に無表情で固定されていて、一切感情を読み取らせてはくれない。
けれど、彼が心根の優しい人物であることをルーナルドは知っている。
表情で読み取れなくても、ルーナルドを心から案じてくれているのだと簡単に察することができた。
だから、普通であれば忠義を疑うような二度にわたる確認にも、不快さは感じなかった。
「ああ。《太陽は黒い悪魔に奪われた》」
明日の朝、王宮、特にギルバートの宮付近でその噂を巻け。
抑揚のない声で、三度命令を下す。
公爵家とはいえ、所詮執事でしかないハンスが王宮に出入りするのは難しい。
けれど、噂を流すくらいなら難無くこなせることは彼の普段の仕事ぶりを見ていればわかる。
決して噂の出所がばれないように。
わざわざそう指示しなくても、この優秀な執事ならそれくらい承知している。
和平の希望となるユーフェミアは、黒い悪魔、ルーナルドがさらった。
固有名詞を出さなくても彼女の行方を血眼になって探している輩には十分伝わるはずだ。
もう和平会談まで日がない。
それまでに確実にユフィを殺そうと、必ず行動を起こしてくるはず。
ハンスがなにかいいたげな顔をして。
けれど賢明にも言葉の飲み込んで、頭を深く下げ静かに部屋から退室していく。
ルーナルドの命令を不備なく遂行できるように、今から手を打ちにいったのだろう。
「ゴホ」
一人になった寝室で、粘つく咳が喉元を襲う。
つい先ほど薬を打ってもらったにもかかわらず、もう効き目が切れかけている。
自分の体だから嫌でもわかる。
もう時間がないのはルーナルドも同じだ。
宣告された命の期限がもうすぐそこまで来ている。
まだ動けるうちに、まだ正常に意識を保っていられるうちに。
一刻も早く事態を解決しなければ。
リアとトーマが倒れた以上、アッシュは向こうにかかりきりになる。
なにかあれば必ず連絡をいれると言っておいたから、もうここには顔を見せないだろう。
もちろんルーナルドのことだって心配しているだろうが、あいにくとあいつの体は一つしかない。
であれば、今も昏睡状態だという実の妹弟に付き添うのが自然の摂理だ。
それでいい。
動けないルーナルドのかわりにリアとトーマの側にいてくれた方が、ずっと安心できる。
そして・・・巻き込まないで済む。
もともとルーナルド一人で決着をつける気でいたのだ。
これ以上、あの優しい男の心労を増やすわけにはいかない。
・・・・・・・アッシュはうまくやっただろうか・・・・?
窓から空を見上げれば、カーテンの隙間から少しだけ欠けた月が綺麗に見えた。
『うまくいくことを祈っている』
昨晩いった、その言葉に嘘は一つもない。
今も心の底からうまくいっていればいいと思っている。
けれど・・・・。
本当にそう思っているのならどうして彼女と交わしたあの【約束】。
ルーナルドにとっても、ユフィにとっても一番大事だと思えるあの最後の【約束】を話さなかったのか。
忘れてたわけじゃ勿論ない。
ルーナルドは故意にそれだけ話さなかった。
それだけは自分だけの思い出として心に秘めておきたかった。
せめてそれくらいは二人だけのものとして取っておきたかった。
【ねえ、エト? もし世界が平和になったら、ずっとわたしと一緒にいて、世界を回ってくれる?】
彼女がいっていた将来の約束とはまさしくこの【約束】のことだとわかっていたのに。
どうしても話せなかった。
・・・・いや、違う。
話したくなかった。
あれだけ協力する、と嘯いて。
理解を示し、いい顔をして。
なのに、最後の最後でアッシュを裏切った。
「ゴホゴホ」
体に付き纏う倦怠感。
呼吸をするたびに感じる胸の圧迫感。
坂道を転がり落ちるように、どんどん体調は悪くなる。
おそらく明日にはもっと。
明後日には・・・・?
その次の日は・・・?
もういつ動けなくなってもおかしくない。
このベットに体は縫い付けられ、鉛のように動けなくなる。
そうなれば、もう二度とユフィには会えない・・・。
『もう! いつもわたしが会いにきてばっかり。 たまにはエトが会いにきてよ!』
そういって、子供らしく頬を膨らませてプンプン怒っていたユフィ。
それでも幼いルーナルドは、ユフィに見つけてもらいたくて隠れて待っているだけだった。
・・・・・・・・・会いに行きたい、ユフィに・・・。
ルーナルドの心はひたすらにそれを願った。
そしてそれが叶うのはきっともう今しかない。
明日には動けなくなっているかもしれない。
動けたとしても、医師であるマシアスに止められるだろう。
今マシアスは食事をしに行っていない。
部屋にはルーナルドを止める人間はいない。
・・・・・・・・だめだ、もしアッシュがうまく事を運んでいれば・・・。
ルーナルドの存在は邪魔になるだけだ。
・・・・・・けれど、言葉を交わさずそっとその姿を見るだけなら。
それくらいなら許されないだろうか?
決して二人の邪魔をしない。
余計なことは一切しないと誓うから。
最後に一目だけ。
大好きだった彼女の姿を目に残しておきたい。
まだなんとか起き上がれる。
薬を打てば症状だって抑えられるはずだ。
例えどれほど嫌われていても・・・。
言葉もなく視線も合わなかった。
ルーナルドの姿を見るなり、顔を見るのも嫌だと体ごと背けられるかもしれない。
それでも、もう一度だけ。
まだ意識があるうちに。
まだ覚えていられるうちに。
もう一度彼女に会いたい。
ふらつく体を起こし、息苦しさと強烈な目眩をねじ伏せて。
丁寧にかけられていた掛布を除けば。
1年前とは比べものにないほど細くなった自分の両足が見えた。
こんなところからも、自分の命の残り時間がわかる。
両足をベットの下に降ろし、立ち上がる。
ぐらりと情けなく揺れる体。
けれど、必死で体制を立て直し一歩を踏み出した。
よろよろと老人のように頼りない歩き方で部屋に備付けてあった机にたどり着き。
その引き出しを開ける。
そして。
絶対に一回一本。
それ以上の量は決して打つなと主治医にきつく言い含められた薬瓶を。
3つ取り出してへし折った。
注射器で中の薬液を全て吸い、空気を抜いて、針をかえ。
自分の足に服の上から突き刺した。
中の薬液を迷うことなく全て注入する。
そんなことをすれば命を削るぞ、と。
主治医の厳しい声が聞こえた気がしたが。
ルーナルドにとってはどうしても必要なことだった。
どうしても。
どうしてももう一度だけ彼女に会いたかった。
言葉を交わせなくてもいい。
エトだと名乗る気なんて勿論ない。
だから、もう一度だけ最後に彼女に会わせてほしい。
そうしてルーナルドは。
闇に紛れるようにして屋敷を抜け出した。
読んでくださりありがとうございました。




