二人の覚悟
卑怯者で最低。
そう言った瞬間アッシュの体が目に見えて震えた。
それを確認し、ルーナルドは心の中だけで小さくため息を吐いた。
本当に、どこまで真面目で人がいいのか。
ルーナルドがいいと言っているんだから、気にせず何でもしてしまえばいいのに。
優しくて。
優しすぎて。
相手の気持ちを優先しすぎて、身動きが取れなくなる。
結果、自分で自分を、責めて、攻めて。
もうその心は傷だらけだ。
なのにそれでも、アッシュはまだ自分を責めつづける。
「───・・・・だとでも思ってるんじゃないだろうな?」
不自然な間を開けて、わざと少しばかり意地の悪い言い方をした。
けれどアッシュだってルーナルドが頭をあげてくれと二度も頼んだのに、あげてくれなかったのだ。
これくらいの反撃ぐらい許されるだろう。
責めるような少し強めの口調で言い放つと。
狙い通り、アッシュが弾けたように顔を上げた。
涙でぐしょぐしょに濡れてさえ端正なその顔には《なぜわかったんだ》と書いてある。
・・・・全く、何年の付き合いだと思っているのか。
いつもは貴族然としていて隙を見せない癖に。
アッシュは気を許している人間にはとことん甘く、気も抜けるのか。
思っていることが顔にも表情にも、そして態度にまでよくでる。
一度内側に入ってしまえば、これほどわかりやすい人間はそういない。
・・・・・いつもそうだった。
なにを考えているのかよくわからない人間だらけの中で。
アッシュだけはいつも裏表がなく、その気持ちを疑いようがなかった。
いつも度が過ぎるほどルーナルドの心配をし。
リアとトーマにやるのと同じように、ルーナルドの世話を焼き。
なにか間違いを犯せばちゃんと叱ってくれる。
悩んでいれば真剣に話を聞いてくれて。
泣くこともできなかったルーナルドの変わりに涙を流してくれた。
・・・・・・なあ、アッシュ・・・。
俺がお前の存在にどれほど救われたか知らないだろう・・・。
アッシュにいえば、そんなの家族なんだから当たり前だとこともなげに言うだろう。
けれど、ルーナルドは知っている。
家族だから、なんて言葉はそうそう通じるものじゃない。
なぜならルーナルドは血の繋がった家族から誰よりも憎まれ。
血の繋がった家族から、捨てられたのだ。
今だって血の繋がった家族なのに、奴らはルーナルドの死を誰よりも望んでいる。
家族だから。
家族なのに。
ルーナルドにはリアの気持ちがよくわかる。
クロス家に。
父さんと母さんの子として。アッシュの妹として産まれて幸せだった、と。
例えもうすぐ儚くなる身だとしても。
幸せだった、と。
ルーナルドもそうだからだ。
もちろん事情は違う。
だからリアの気持ちを本当に理解しているとは言いがたいかもしれない。
けれど、同じようにもう残りの時間が少ない身となって思うのは。
空っぽだったルーナルドの心をこれほどに愛で満たしてくれたクロス家への深い感謝。
もしあのまま捨てられていれば。
引き取られたのがクロス家でなく他の貴族だったなら。
ルーナルドは今ほど幸せにはなれなかった。
こんなルーナルドを深く愛してくれた家族。
いつか恩返しがしたいと思っていた。
戦う能力しか備わってない自分になにができるのかと思っていた。
けれど、そんな自分が役に立てるのなら。
これ以上嬉しいことはない。
・・・・・・だからアッシュ。
もうそんな風に自分の心を傷つけるな。
言葉を選びつつ、今までずっと言えなかった感謝の念とともに様々な思いを伝えれば。
アッシュの顔がまたぐしゃりと歪んだ。
「・・ル・・・・ナ・・・っ! 違、うんだ!」
苦しそうに歪むアッシュの口元を。
行く筋もの涙が滑り落ちていく。
僕はお前にそんなふうに言ってもらえる人間じゃない。
本当に汚くて卑怯な人間で。
エトになれば・・・。
エトになりさえすれば、ユーフェミアを手に入れられると確かに思ったんだ!
魂が叫んでいるような声だった。
全身を奮わせて懺悔するアッシュは、くしゃくしゃに歪んだ顔でルーナルドを見て。
けれど、一度として目をそらすことなくはっきりと告げた。
「ユーフェミアを、愛している」、と。
衝撃がルーナルドの体の中を突き抜けていった。
そんなことはもうわかりきっていることだった。
何日も前から、ユーフェミアを見つめるアッシュの目には確かな熱がこもっていた。
惚れたのか、と直接聞いてみたときだって。
罪悪感にまみれた顔をしつつも、否定しなかった。
きっと否定もできなかった。
あの時点でもうそこまで気持ちが育っていた。
アッシュは、家族の前では表情が素直に顔に出る。
・・・分かりやす過ぎる・・・。
だから知っていた。
アッシュがユーフェミアに惹かれていることは。
告げられる前から知っていた、分かっていた。
だから笑え。
あの時のように、なんでもない事だと。
それならなおさら安心してユフィを託せる、と。
笑え!!
ルーナルドの頬がヒクリと引き攣れる。
笑いたいのに。
今笑わなければいけないのに、笑えない。
ルーナルドにはもう時間なんてない。
どれだけ望んだって彼女の側にはいられない。
けれど彼女はずっと【エト】を待ってくれてる。
アッシュが【エト】になってくれるなら。
そしてアッシュもユーフェミアをこれほどに愛しているのなら。
きっと誰よりも幸せな二人になる。
呪いもユーフェミアによって解かれて。
アッシュはその重すぎる荷物をやっと降ろせる。
リアもトーマも、穏やかに人生を続けていける。
みんなが幸せになれる。
ただ一人、ルーナルド以外は・・・・。
「・・・・・・・・・・っ」
だめだ、笑え!
なにを黙っている!
けれど、いつも以上に顔の表情筋が動かない。
あの時はまだ、少しだけ口のはしを動かせたのに。
かろうじて笑えたのに。
なのに、今はそれがとても難しい。
アッシュが【エト】になってくれるのだと思っていた。
【エト】になって、《ルーナルドのかわりに》ユフィの側にいるのだ、と。
《ルーナルドのかわりに》ユフィを愛するのだ、と。
そう無意識に自分を納得させていた。
けれど違う。
アッシュはルーナルドの変わりにユーフェミアを愛するんじゃない。
ユフィも。
求めているのは【エト】であって、きっとルーナルドじゃない。
ルーナルドのことなどすぐに忘れてしまう。
ユフィの中でルーナルドは存在ごと消える。
ああ、だからか・・・・・。
だからこそ、アッシュはああやって誇りを捨て覚悟を決めてルーナルドに頭を下げたのだ。
なにもわかっていなかったのも、覚悟が足りていなかったのもルーナルドの方だった。
けれど・・・・・。
それを承知の上で、なおルーナルドの意志は変わらない。
それでもいい。
自分がそこにはいっていなくても、大事だと思える全ての人間が幸せになれるのなら。
その可能性が少しでもあがるのなら。
自分は消えてもいい。
ゆっくりと、ルーナルドは左右の口角を持ち上げた。
自然と目が細まり、頬が緩む。
「お前は正しい道をきちんと選んでいける人間だ」
間違いだらけ道を選んできたルーナルドとは違う。
アッシュは迷いながらもきちんと正解の道を正しく歩いていける人間だ。
だから今回もきっとうまくいく。
「うまくいくことを、祈っている」
一切のわだかまりもなく、心の底から。
願っているよ、兄さん・・・。
読んでくださりありがとうございました。




