胸騒ぎ
食事が終わり、お茶を二人で飲んでいたとき。
コクりコクりとユーフェミアの頭が不安定に揺れはじめたことに気がついた。
見れば、ユーフェミアが眠そうに目をしばたかせている。
その仕種があまりにかわいらしくて。
アッシュは喉を鳴らして小さく笑った。
「ユーフェミア。 眠たいなら寝てきてもいいよ」
「・・・・・・はい・・・こうしゃくさま・・・・」
「・・・・・・・・・・・っ」
余程眠いのか、いつもでは考えられない舌ったらずな喋り方がぐっときた。
はい、といいつつユーフェミアは動こうとしない。
もう動くのも億劫なのだ。
寝ていないのはアッシュも同じだが、彼女は女性で体力も少ない。
昨晩一晩中動いていたようだし、こうなっても無理はない。
それでもいつものユーフェミアの様子を見れば、心を許していない人間の前でこんなふうに隙を見せたりはしないはず。
アッシュの前で、眠そうに目をしばたかせている時点で。
彼女から心を許してもらっている。
この人になら隙を見せても大丈夫だと思ってもらえている。
その証拠のように思えた。
「ふふ。 僕が寝かしつけてあげようか? 手のかかる妹と弟をずっと寝かしつけてきたからね。寝かしつけは得意なんだよ?」
「・・まあ・・。・・・こうしゃくさまには・・いもうとさまと、おとうとさまが・・いらっしゃいましたよね・・?」
引き続く頼りない舌ったらずな言葉。
揺れ動く不安定な頭。
かわいい。
かわいくてしょうがない。
無茶苦茶に抱きしめたい。
けれどよこしまなその想いをぐっと閉じ込める。
そんなことをしてしまえば、せっかく得た彼女の信用を根こそぎ失ってしまう。
彼女が大事なのであれば、紳士であれ。
アッシュはそう心に言い聞かせる。
「うん。5つ下の17になる妹と。6歳になったばかりの弟がいる」
「・・こうしゃくさまの・・・いもうとさまと・・おとうとさまならば・・・さぞ・・かわいい・・のでしょうね・・」
とぎれとぎれに紡がれるユーフェミアの言葉。
くくっとアッシュは喉を鳴らして笑った。
「うん、かわいいね。 ・・・・・本当にかわいいよ・・・」
最初の言葉は妹弟に。
次の言葉は、目の前で船をこぎはじめた最愛の人に。
面と向かってはまだ言えない気持ちを、妹弟の影に誤魔化して言葉にのせる。
しばらく黙っていてやれば。
すぐにユーフェミアは気持ち良さそうな寝息をたてはじめた。
もう身体的にも精神的にも限界だったのだろう。
♪♪♪♪~
アッシュがゆっくりとメロディを口づさんだ。
歌うのは、昔母が歌ってくれた子守唄。
そこに魔力を込めれば、睡眠効果を与えられる。
よくこうやって夜を怖がるリアと、寂しいと言って泣くトーマを寝かしつけた。
慰めても慰めても泣き止まない妹弟に、アッシュが生み出した固有魔法だ。
魔力に攻撃性を持たせれば、悪夢を。
癒し性を持たせれば、健やかな眠りを与えられる。
アッシュが込める魔力は勿論、癒し。
声に魔力をのせるなど、随分と特殊な魔法なのだが。
ユーフェミアが起きる気配はない。
あの魔法バカがこんな特殊な魔法を前に飛び起きないとなると、相当深く寝入ったようだ。
アッシュはそれを確認した後、ユーフェミアを抱き上げた。
寝室に移動させるため、体を引き寄せ両腕で包み込む。
「・・・・・・・・・・っ」
彼女の体から漂う石鹸の香り。
同じものを使っているはずなのに、なぜこんなにも違うのか。
甘く香る匂いに、クラリと理性が傾きかける。
どこを触っても柔らかい華奢な体。
このまま・・・。
腕の中に閉じ込めて、無茶苦茶にしてしまえたら・・・。
そう思うと同時に。
絶対に大事にしたいとも思える。
どうしても沸き上がる下心を鉄の意思で押さえ込み。
アッシュはいつもユーフェミアが使っている寝台に丁寧に彼女を寝かしつけた。
「おやすみ、ユーフェミア」
どこもかしこも彼女の匂いがするこの部屋は危険だ。
長居するものじゃない。
そう思いアッシュは、静かに部屋のドアを閉めた。
「・・・・・ああ、大丈夫だ、問題ないよ」
その日の夕方。
帰りに寄ったルーナルドの屋敷でアッシュはユーフェミアの様子をざっくりと報告した。
きちんと食事を食べたこと。
昨晩は心配で眠れなかったようだから、睡眠魔法をかけて寝かしつけてきた事。
ちゃんと元気にやっていること。
寝かしつけた。
その部分だけルーナルドは眉を寄せなにか言いたそうな表情をしたが。
結局なにもいわずに静かにアッシュの報告を聞いていた。
最後に自信を持って「問題ない」とアッシュが言ってやれば、ルーナルドは明らかに肩の力を抜いた。
「・・・・そうか・・。 よかった・・・」
全く、自分もそんな状態なのにどこまでユーフェミア優先なのか。
「お前は? 容態はどうなんだ?」
アッシュの問いに返ってきた言葉は、無表情で放たれた「問題ない」の一言だけ。
簡潔にも程がある。
もう少し何かあるだろう。
そうだ、リアとトーマは?
久しぶりに会ったのだ。
会話に花が咲いたのではなかろうか?
二人もルーナルドにとても会いたがっていたし。
しかし、返ってきたのは「ここには来ていない」という簡潔な言葉。
来ていない?
今朝、今日行くと言っていたのに?
無意識に顔を上げて、壁に沿うように立つ公爵家の使用人に目を向ければ。
ルーナルドの言葉を肯定するように頷かれた。
リアとトーマ。
二人はここには来ていない。
ざわっと嫌な予感がアッシュの胸の奥からはい上がる。
いや、考えすぎだ。
特段なにかあったわけではないだろう。
急に来訪者があったとか。
外せない用事ができた、とか。
けれど・・・・。
なぜだか嫌な予感が消えない。
胸騒ぎがする。
「・・・・ここはいい。お前は屋敷に帰れ」
ルーナルドの低い声に促される。
いつもより真剣な声音に、またざわりと胸が騒いだ。
「お前も! なにかあったら必ず使いを寄越せ!! 必ずだぞ!」
ルーナルドが心配だ。
もう少し側にいたい。
今日の様子を確認したい。
喀血は止まったのか?
あれから発作は起きてないか?
ちゃんと水分だけでもとれてるのか?
けれど胸騒ぎが消えない。
嫌な予感がする。
アッシュの言葉を受けて。
ルーナルドが珍しく素直に頷くのが見えた。
それを見届けた後。
アッシュはその場から立ち上がった。
胸の奥からはい上がってくる不安。
ざわざわと嫌な感じが背中に纏わり付いている。
使用人達にルーナルドを頼んだぞと念を押し。
アッシュはルーナルドの屋敷を後にした。
愛馬に跨がり、自邸に向けて走り出す。
何もないに決まっている。
大方、遊びに夢中になってでもいたのだろう。
屋敷に帰れば、何食わぬ顔で出迎えにくるに決まっている。
アッシュは、そんな二人を見て心配しただろ、と叱り付ける。
そんなやり取りなら、これまでに何回もあった。
今回もきっとそうだ。
そうに決まっている。
そう思った。
そうであってほしかったのに。
公爵邸に戻ったアッシュが受けた報告は。
リアとトーマ。
二人同時に字が浮き出て現在意識不明だ、というあまりにも残酷な内容だった。




