屋敷からの逃亡
その日からユーフェミアの地獄の日々は続いた。
朝、中身の分からない透明な液体を食事がわりにのみ、ゆっくりする時間も与えられずに服毒する。
あっという間に体調は急降下し、十数回も嘔吐を繰り返し、発熱と頭痛に苦しみ抜いた上に意識を飛ばす。
そして、誰が寝かせてくれたのか。目が覚めると、必ず清潔な衣服に着替えており、きちんとベットの上にいる。
すでに日は傾いており、すぐにまた夕食に呼ばれ、朝と同じ液体を飲み、服毒する。
そしてまた意識を飛ばす。
目を覚ますといつも昼近くの時間帯で、遅い朝食に呼ばれる。
その繰り返しだ。
そんな日々が数日続いた。
その間ユーフェミアが口にしたのはよく分からない透明な液体と、毒薬のみ。
勿論体力は底をつき、みるみる痩せていった。
毎日時間をかけて手入れしてもらっていた髪はツヤを失いパサパサに。
くすみ一つなかった玉のような肌は、ガサガサになった。
それでもユーフェミアは、微かな希望を胸に自ら毒をあおりつづけた。
言うことを聞いているうちは殺されることはない。
そして、生きてさえいれば自由になれることだってあるかもしれない。
ルーナルドは、毎朝毎晩必ずユーフェミアの前に姿を見せ、自分の目の前で毒を飲むことを強要した。
毒の効果を確かめたいのだろう。
毎回苦しんだ末に意識を飛ばしてしまうから、最初に渡されたノートにはなにもかけていない。多分ルーナルド自らがユーフェミアの変化を事細かに書き付けているのだろう。彼は苦しむユーフェミアをいつも少し離れた所から感情の読めない目で観察しているだけだった。
毒を飲みつづけて10日がたった。
今朝は随分と早く目が覚めた。
久しぶりに、すこぶる気分がいい。
毒の耐性でもできたのか、日を追うごとに体を襲う苦痛がなくなっている。
夕べは一度も嘔吐しなかったし、それほどの発熱もなかったように思う。
意識を飛ばすこともなく、初めて自分の足で部屋に戻り着替えをし、ベットに入った。ルーナルドに渡されたノートにも初めて自分で文字を書き込めた。いくら誓約魔法に縛られているとは言え、言われた通りにこうやって事細かに自分の体調を書き込むあたり、真面目な堅物だな、と自分でも思う。
もう手慣れた朝の支度を終え、そこであれっと首を傾げた。
珍しい。今日はルーナルドが来ない。
いつもルーナルドは、ユーフェミアが起きるとほぼ同時に部屋にくる。どのように把握しているのかは知らない。が、毎回余りにタイミングがいいので、胸に刻まれた誓約魔法の繋がりで、何かしらの情報を得ているのではと、ユーフェミアは考えている。
そのルーナルドが今日は一向に姿を現さない。こんなことは初めてだった。
しばらくおとなしく待ってみたがやはりルーナルドがくる気配はない。
・・・これはもしかしたらチャンスなのでは?
そう気がついた瞬間、胸が期待で大きく弾んだ。
この屋敷が、どこにあるのかは知らない。が、長い時間移動したわけではないのでユーフェミアが襲われたあの街道からそれほど離れてはいないと思われる。
ユーフェミアにはなにもできないと思っているのか、ルーナルドはいつも部屋の扉に鍵をかけない。
小さい屋敷なので、出口は勿論把握している。
そしておそらくこの屋敷には、使用人がほとんどいない。
なにせこの10日間、この屋敷でルーナルド以外の人間にあったことがないのだから。
・・・・となると、ユーフェミアの着替えやその他は一体誰がと言う問題がまた持ち上がってくるのだが。
今はそれを考えても仕方がないので、そこは置いておくとして。
鍵のしていない扉。
使用人のいない小さな屋敷。
街道からそれほど離れていない立地。
ならば逃げ出すチャンスなのでは?
屋敷の敷地内からでて、ひたすら一方向に走ればもしかしたらどこかの街道にでられるかもしれない。
ユーフェミアが通ったあの街道にでられれば、ユーフェミアを探す捜索隊が出ている可能性が高い。運良くその人達と合流できれば、保護してもらえる。こんな生活すぐに終わらせられる。
ただ、気掛かりなのは胸に刻まれた誓約魔法がどこまでの制限をかけるか、だ。
誓約魔法は、基本的に絶対に約束事を守らせるためだけの魔法だ。
奴隷となれ、と言われユーフェミアが承諾した。それにより、ルーナルドの言葉に逆らえなくなったわけだが、それだけだ。命令に従わなければ、誓約魔法の印が終始痛むが、死ぬようなことはない。
もっと徹底的に従わせるなら、隷属の魔法を使うなりすればよかったのに。
ルーナルドはなぜそうしなかったのか。
今更ながらそのことが気になった。
誓約魔法よりも、隷属魔法の方がよほど簡単で、そして絶対の命令権がある。本人がどれほど拒否しようと、隷属になれば魂が縛り付けられ強制的に命令を遂行してしまう。死ねと言われれば、自分で喉をかっきるし、大事な人を殺せと命じられれば、泣きながらでもそれを実行してしまう。そんな恐ろしい魔法がこの世には悲しいことに存在している。
ハイエィシア王家は過去その方法で幾人もの戦闘奴隷を作りだし、戦場に送り込んできた。
第二王子であるルーナルドがその方法を知らないということはなさそうだが・・。
どちらにしろ、今ここでそんなことを考えていても仕方がない。
ならば今しかできないことをすべきだろう。
足音を忍ばせて、なるべく音を立てないように部屋のドアを開けてみた。
しばらく耳を澄ませてみたが、やはり誰かがくる気配も、近くに誰かがいる気配もない。
逃げ出したとなれば、見つかったときさらにひどい目に合わされる可能性がある。
もっとひどい毒を飲まされたり、もしかしたらその場で切り捨てられるかもしれない。
けれどユーフェミアがここに捕まっていることによって、せっかくまとまりかけた和平がまた崩れるかもしれない。
それはダメだ。それだけは絶対に。
であれば、逃げるしかない。そのために自ら行動しなければいけない。
ユーフェミアは1人覚悟を決め、鍵すらかけられていなかったその扉から足を踏み出した。