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彼女の視線の先

震える小さな体が愛おしい。

誰にも頼ろうとせず、一人で耐えつづける彼女を支えたい。

せっかく綺麗に拭ったのに。

また流れ始めたその涙さえ、キラキラと美しく輝いて見えて。


ああ、いつのまに・・・。


芽生えた小さな恋心をあれほど否定して、心を殺して閉じ込めたはずなのに。

蓋を開けてみれば、もうどうしようもないほど気持ちは育っている。


ああ、泣かないで・・・。

君に泣かれると胸が痛いほど苦しい・・・。


慰めたい。

どろどろに甘やかしたい。

この腕の中に閉じ込めてしまいたい。


体を突き動かすのは、ずっと閉じ込めていた深い想い。


アッシュの右腕が無意識に上がっていって。

その細い肩に触れる。

その直前。


「公、爵様・・・。 ルー・・・ナ、ルド・・様の、よう・・だいは・・どう・・ですか?」


何かを察したのか、それともただの偶然か。

ユーフェミアが顔を上げた。

充血して赤くなった瞳と目が合う。

確かに彼女の瞳はアッシュを見つめているのに。

デマントイドガーネットのような綺麗な瞳にはアッシュが写っているのに。

なのに、そこにアッシュはいない。

アッシュを通り越して別の誰かを見ている。

誰か、なんて考えるまでもない。


───・・・ルーナルド様。


ルーナルドが倒れた時も、彼女はそういって呼びかけていた。


胸の奥がちくりと痛む。


「・・・・・・・・っ」


アッシュは無意識に伸ばしていた手を、ぎゅっと握り込んだ。


なんと浅ましい。


弱った彼女に付け込んで、その体に触れようなんて。

彼女に名前で呼んでもらえるルーナルドをうらやましく思うなんて。

そんな状況じゃないことくらいわかっているのに。

どこまで自分勝手で弱い人間なのか。


「大丈夫だよ、ルーナは持ち直した。君が知らせてくれたおかげだよ、ありがとう」


今は自分の屋敷で休んでいるよ、と。

苦労していつもと同じ声音を作りだして教えてやれば、ユーフェミアの顔がまたくしゃりと歪んだ。


「そう・・ですか・・。 よかった・・・」


よかった・・。 よかった・・・、と。

何度も呟きながらまたぽろぽろと彼女は涙を流す。


「うん、心配をかけたね、ごめんね。・・・・・・・とりあえず、ここじゃなんだから・・・・」


屋敷の中に入ろうか。

そういって、彼女の背中に手を添えた。

ぐずぐずと可愛らしく鼻をすすっている彼女を。

初めて会った時と同じように、優しく屋敷へと誘導する。


彼女の背に触れた手が熱い。

下腹あたりからずっと込み上げつづける強い感情。


思いもしなかった。


自分の中にこんな激情が産まれるなんて。

攻略対象でしかなかった彼女に、こんなにも心を持っていかれるなんて。


アッシュに背を押されて屋敷へと素直に歩く彼女の、涙で濡れた横顔をそっと覗き見た。


・・・・・・・・もし・・・・・・・・。


そんな浅ましいことを考えてはいけない。

そう思うのに、思考がどうしても止まらない。


・・・・・もし、彼女の目の前で倒れたのが僕だったなら・・。


・・・・・もし、倒れたのがルーナじゃなくて僕だったら・・・。


それでも彼女は同じように涙を流して心配してくれただろうか・・・?


良好な関係を築けている実感はある。

多分嫌われてはいないし、自惚れでなければ好印象を与えていると思う。

それはふと会話が途切れたときの彼女の表情や、会話の端々から伝わってくるけれど。


それでも、あれだけ取り乱してくれるとはとても思えなかった。




屋敷に戻った彼女にとりあえず湯を浴びてきたらどうかとやんわりと提案する。

服も顔も、髪さえ泥だらけだ。

ユーフェミアもその自覚はあったのだろう。

アッシュの提案に、反論することなく「では失礼します」と一言断ってから素直に湯を浴びに行った。

あんな状態なのにアッシュを気遣う一言が出てくるなんて、感心しかない。


ユーフェミアがいない間に、アッシュは今からどうしようかと考える。

持ってきた食事を用意するつもりだったが、ユーフェミアのあの顔つき。

疲れきった顔に、目の下に浮かんだ薄いクマ。

着替えさえできていない事から、昨日一晩寝ていないのではないだろうか?

であれば、食事よりも安眠効果のあるお茶を用意して休ませてやった方がいいかもしれない。

それともなにか胃に入れた方が眠れるだろうか?


考えたところで、アッシュに今のユーフェミアの気持ちまではわからない。

が、とりあえず食事をするにしても休むにしてもお茶はいるだろう。


ルーナルドが彼女のために用意したこの屋敷には、数種類のお茶が用意されている。

それこそ、ハイエィシアでは手に入りにくいアルフェメラスのお茶も数多く揃えてある。

その品揃えに、甘やかしすぎだろう、と当初はずいぶんと呆れた覚えがあるが。

今になってみれば、ルーナルドの気持ちがよくわかる。

少しでも彼女が過ごしやすいように。

少しでも彼女の心が休まるように。

そう思うのは、惚れたものの弱みなのだろう。


棚に綺麗に並べられた茶葉の中から、安眠効果のあるカモミールを選び湯を沸かした。

公爵であるアッシュは自らお茶をいれるなど初めての行為だが。

やり方はわかっている。

うまくいれられればいいのだけれど。

そう思いつつ、記憶になぞって丁寧にお茶をいれていく。


ちょうどお茶の用意が終わったときに、ユーフェミアが風呂から出てくる気配がした。

我ながらいいタイミングだったと、いつも彼女が座っている席の前にティカップを置きお茶を注ぎいれる。


ふわりと薫るカモミールの香りに満足して。


これで少しは落ち着いてくれたらいい・・・。

そう思い、何気なく顔を上げて。


グサリと何か鋭いもので心をえぐられた気がした。


「・・・・・・・・・・っ」


いつも話をするのはアッシュとユーフェミアの二人だった。

話題を提供するのはだいたいアッシュで。

それに、ユーフェミアが知性あふれるユーモアのある返答をよこす。

会話はいつも予想以上に膨らんで、時間が経つのも忘れて話し込んだ。


そこにルーナルドが加わったことは一度としてなく。

三人でお茶を飲んでいても、彼女とルーナルドの視線があったこともなければ、会話も一切なかった。

ルーナルドはアッシュの目から見ても氷のような冷たい表情を貼り付けていたし、ユーフェミアに視線を向けないように気をつけていた。

ユーフェミアもそんなルーナルドにわざわざ視線を向けるようなことはなかった。


会話が途切れた時はいつもぼんやりとアッシュの後ろにある窓から外を眺めていて・・・。


外の景色を眺めている。


そう思っていた。


けれど違った。


アッシュが顔を上げたその先。

いつもアッシュが座っているその席の後ろにある窓ガラス。

そこには、今は空席の三人掛けのソファが映っていた。


それはいつもルーナルドが座っている場所。


彼女は。


ユーフェミアは。


いつも外を眺めていたのではなく。


窓ガラスに映ったルーナルドを見つめていた・・・・。








アッシュは【ルーナは天才で、自分は凡才】と思い込んでいますが。

実はアッシュも一度聞いたり見たりしたことは大体覚えて実践できる、十分な天才さんです。


読んでくださりありがとうございました。



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