駆け巡る走馬灯16
アッシュが帰って行った後。
いつも少しだけ二人だけの時間を過ごす。
何を話すわけでもない。
ただ一緒に過ごすだけ。
ユフィにして見れば、気詰まりする時間だろうが。
俺にはかけがえのない時間だった。
いつもの席に座り、ユフィがいれてくれたお茶をゆっくりと飲む。
水分ももうなかなか飲み込めないのに。
不思議とこのお茶だけは喉を通った。
なにげなく見上げた空に、不気味なほど赤く輝く月が浮かんでいるのが見えた。
赤い月は凶兆の知らせ。
根拠も何もない話だが、確かに血のように赤い月を見ていると胸がざわざわする。
何か悪いことが起こるかもしれないと、そう疑心に捕われるのも分かる話だ。
そういえばあの屋敷にいたとき、一度だけ赤い月がでたことがあった。
いつも元気で小生意気なユフィが、あの時は異常なくらい怖がって。
ぶるぶる震えて泣くユフィを必死で慰めたのを覚えている。
ちらりと左前のいつもの席に座るユフィに目を向けた。
真剣な顔で本を読んでいる。
赤く輝く月に気づいていないのか。
それとも、もうそんな迷信を信じるような歳ではなくなったのか。
とにかく、怖がっている様子はない。
・・・・・・・そうだな・・・もうあの頃のような子供ではないものな・・・。
あんなに泣き虫だったのに。
これほどきつい状況でも一度も泣かなかったものな。
虫が飛んできたといってはピーピー泣いていたのに。
虫はもう平気になったんだな・・・。
偏食も治ったのか・・・。
・・・・・・もう・・・ユフィは・・・。
「何か考え事ですか?」
不意に声をかけられ、俺は驚いて顔を上げた。
ユフィがいつの間にか読んでいた本を閉じ、まっすぐに俺を見ている。
こんなふうに話かけられたのは初めてだった。
「また・・・手を強く握っています。ダメですよ、あまり強く握ると傷になります」
「・・・・・・・・・・っ!」
【ほらもう。またこんなに強く手を握って。だめだよ、傷になっちゃう】
頭に甦るのは、かつて彼女にかけてもらった優しい言葉。
・・・・本当に彼女は変わらない。
愛しさが胸の奥から混み上がってくる。
「・・・・・・ユ・・・」
・・・・・・・・ユフィ・・・。
思わずでかけた言葉をなんとか飲み込んだ。
こんなところで、そんなふうに呼びかけてしまえば全てが無駄になってしまう。
忘れるな、俺にはもう時間はないんだ。
一緒にはいられない。
ユフィを哀しませたくない。
俺がエトだなんて絶対に知られるわけにはいかない。
「少し・・・お話をしませんか・・・ルーナルドさま」
「・・・・・・・・っ」
話?
ユフィが?
俺に?
何の話だ?
いや、それよりも今、ユフィが俺の名前を・・・・。
あんなに嫌いだった名前を。
ユフィに呼ばれた。
ユフィが俺の名を呼んでくれた。
たったそれだけのことで、全身が震え上がるほどうれしかった。
「・・・・・・ユ・・・・・ゴホッ」
恋情を共なって思わずでた、ユフィという呼びかけは。
強烈な痛みとともに急に襲ってきた、激しい咳込みによって遮られた。
「ルーナルドさま? ・・・大丈夫ですか!?」
「ゴホゴホゴホゴホ」
咳が止まらない。
ユフィが駆け寄って来るのが気配でわかった。
ダメだ、ユフィ。
大丈夫だから、近づくな、君が汚れる。
ゴホ・・・。
添えたハンカチがまた赤く染まる。
咳が止まらない。
痛みは激しくなるばかり。
こ・・・れは・・・・。
ふらつきながらも、なんとかその場から立ち上がった。
身体を隅々まで駆け巡る、激痛。
止まらない咳。
抑制される呼吸。
毎朝打っている薬の効果が切れた。
こんなに早く・・・?
いつもなら夜中まではもつはずなのに・・。
それとも俺の体の方がもうもたないのか・・・?
まだ・・・・三ヶ月たってない、のに・・・。
なんにしろ、薬を・・・・薬を打たなければ・・・。
まだ死ねない。
まだやり残したことがある。
まだなにも守れてない。
俺を心配して手を貸そうとしてくれるユフィを押しのけて。
情けないくらいふらふらになりながら屋敷をでた。
「待ってください、ルーナルドさま! 今、肩を・・・・」
「触るな!!」
バシン、と。
差し出されたユフィの手を、俺が払い落とした鈍い音が響き渡る。
ああ、すまない、ユフィ。
そんな顔をするな。
俺はこんなふうに血だらけで。
いつもいつも血だらけで。
こんな俺に触れたら・・・君まで汚れる・・・。
だから俺に触れるな・・・。
ずるずる、と。
思うように動かない身体を引きずって、歩く。
何度も血を吐いて。
何度も駆け寄って来るユフィを押しのけて。
そして・・・。
結界の外にでた瞬間に、俺の体は限界を迎えた。
ぐらりと傾く身体をもう支えきれない。
視界が回る。
これ以上・・・・意識を保っていられない・・・。
ドサッと。
鈍い音とともに身体に受ける衝撃。
意識を失う寸前。
血のように赤く輝く月が見えた。
「ルー・・ド・・・」
「ルー・・・・ま! ・・・しっかり・・・・て!!」
「ル・・・ルドさま!」
・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・ユフィ・・・・・・・?
どうした・・・?
泣いているのか・・・?
泣くな、俺は君が泣くとどうしていいかわからなくなる・・・。
「ルー・・・・!!」
「・・・・ーナ!」
「ルー・・・・!」
・・・誰かの声が聞こえる。
・・・・誰だ・・・・?
【・・・起きろ、ルーナルド。まだこっちにくるのは早すぎるよ】
・・・・・・父さん・・?
「ルーナ!!」
耳元で聞こえた切羽詰まったような声に、はっと目を開けた。
・・・・・・・・生きてる・・・まだ、生きてる・・・。
ドクドクと自分の心音が耳にうるさい。
けれどそれすら、俺には神の祝福のようにきこえた。
「ルーナ・・・よかった・・・」
真っ青な顔をしたアッシュが俺の顔を覗き込んだ後。
腰でも抜けたのか、その場に座り込んだ。
俺はどうしたんだったか・・・。
・・・確か、体調が急に悪くなって・・・。
赤い、月がみえて・・・。
「・・・・アッシュ・・・・迷惑をかけた・・・」
ここは俺の私室。
ナイトテーブルの上には使用後と思われる注射器。
薬を打ってくれたのか・・・。
相変わらずなんでもできる男だな・・・。
なんとなく状況を飲み込んで・・・。
条件反射のように謝罪をする。
ありがとう、助けてくれて。
おかげで俺はまだ、もう少しだけ生きていられる。
ユフィの、側にいられる。
これで長かった走馬灯は終わり、次はルーナが倒れたところからのアッシュ視点になります。
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