婚約者
ユーフェミアを屋敷にさらって、2ヶ月がすぎた。
もう恒例のようになった昼過ぎのお茶会。
今日もユーフェミアがニコニコと微笑みながら、お茶をいれてくれている。
例の、舌がぴりぴりするフルージエの根っこ茶だ。
毎日飲んでいれば、あの強烈な味にもそれなりに慣れておいしく頂けるようにな・・・るようなことはなく、毎回毎回この時間はアッシュにとってちょっとした苦行になりつつある。
それでも三人で穏やかにお茶を囲むこの時間はかけがえのないものだとわかっているので、文句はない。
むしろ奴隷扱いをされているにもかかわらず、自由すぎるユーフェミアには感謝しているくらいだ。
冷血王子を演じているため素直にお茶会に応じられないルーナルドを、無理矢理誘い席につかせる。
そして三人でゆっくりとたわいもない会話を愉しみながらお茶を飲む。
会話といっても話すのは概ねアッシュとユーフェミアだが。
こんな時間がずっと続いていけばいいのに・・・。
けれど残念ながらどうあってもそれは叶わない。
ユーフェミアを攫って2ヶ月。
ルーナルドが余命宣告を受けてもうすぐ3ヶ月たつ。
早ければ、三ヶ月・・・。
医者にはそういわれた。
その三ヶ月がもうすぐそこまで来ている。
ルーナルドの様子は一見してあまり変わらない。
飄々としており、いつもと同じように無表情。
時々咳をしているが、あの時のように大量に血を吐くようなことはない。
もしかしたらこのお茶がきいてるのかな・・・?
フルージエの根は肺の病に効くと言っていた。
それが偶然にもいい方向に作用して・・・・?
いや、安易に考えるのはよくない。
アッシュが知らないだけでもしかしたら今もまだどこかで吐血しているのかもしれない。
これから、より一層ルーナの体調に気をつけて・・・・。
「公爵さま? どうかいたしましたか?」
不意に声をかけられ、アッシュははっと我に返った。
右隣り、1人掛けのいつものソファに座っているユーフェミアが不思議そうに首を傾げてアッシュを見ていた。
視線をずらせば、正面に座っているルーナルドもカップを持った格好のまま怪訝な顔でアッシュを見ている。
目の前のテーブルにはアッシュにと入れてくれたんだろうカップが置いてあった。
どうやらずいぶんと長いこと一人で考え込んでいたらしい。
いつまでたっても動かないアッシュは二人に心配をかけたようだ。
「ああ、ごめんね。 頂くよ、王女様」
「はい、どうぞ」
「・・・・・・それで? 僕の求婚にはいつ答えてくれるの?」
どうせ今日も適当にはぐらかされるんだろうな、そう思いつつ軽い気持ちで問い掛ける。
けれど今日は違った・・・・。
ユーフェミアは持っていたカップを丁寧に机に置いた後。
体事アッシュに向き直り、丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありません、公爵さま。 お伝えしておりませんでしたが、わたしには将来を約束した殿方がおります」
「・・・・・・・・・・・・は?」
・・・・・・・・なにそれ、聞いてないんだけど・・・・。
正面に座るルーナルドの肩が僅かに揺れたのが視界の端に見えた。
・・・・・将来を約束した殿方・・・?
・・・・・・婚約者がいるということ・・・?
え、聞いてないんだけど・・・。
国公認の婚約者なら必ずアッシュの耳にも入っているはず。
しかしアッシュは今の今までそんな話は聞いたことがない。
アッシュが知らないということは、それは国が正式に認めた婚約ではなく本人同士の口約束、ということになる。
・・・つまり、国による愛のない政略婚などではなく、愛のある男女の間に結ばれた結婚の約束。
ちらりと正面に座るルーナルドに目を向ける。
あいかわらず、その美しい顔は無表情に徹していて全くといっていいほど感情を現さない。
けれど、右肩がわずかに上がっている。
ルーナルドは小さい頃から動揺すると右肩がわずかに上がる癖がある。
冷静を装ってはいても、内心は相当に動揺している。
つまり、婚約者の存在など知らなかったのだ。
婚約者。
ユーフェミアに、将来を誓い合った婚約者がいる。
その事実を受け入れると同時に、腹の底から何かドロリとしたものが吹き出した気がした。
「・・・・・・・なにそれ聞いてないんだけど・・・・」
思っていたよりずっと低くて威圧的な声がでた。
わかっていながら、感情がコントロールできない。
確かにユーフェミアの年齢なら、婚約者どころか結婚していてもおかしくない。
王族であれば10歳前後で婚約者選びが始まる。
成人と同時に結婚することもそう珍しいことではない。
むしろ、ユーフェミアの歳で正式な婚約者がいないこと自体がおかしなことなのだ。
頭では理解している。
けれど・・・・。
わかっているのに制御がきかない。
ユーフェミアが他の男の側で幸せそうに笑う。
そんなこと・・・。
「お伝えするのが遅くなり本当に申し訳ありません。けれどわたしは幼い頃よりその人だけと決めておりますので、公爵さまのお気持ちにはお答えできません」
申し訳ありません、と。
また丁寧に頭を下げられた。
その綺麗なつむじを、アッシュはぼんやりと見つめた。
・・・・・・・・なにそれ・・・・。
本気で謝らないでよ。
・・・・・別に、君に本気になっていたわけじゃない。
僕は僕の目的のために、君に好印象を持ってほしかっただけで・・・。
そう、本当に最初はそれだけで・・・。
それだけ、だったはずなのに・・・。
なぜこんなにも胸がいたいのか・・・。
苦し紛れにゴクリと飲んだいつものお茶が。
いつも以上に苦くて。
アッシュは堪えるように下唇を噛み締めた。
「・・・・・・・・・・・名前は・・・?」
長く続いた重苦しい沈黙を破ったのは、ルーナルドの少しかすれた震えた声だった。
精一杯気を張って、それでもどうしても震えてしまったようなそんな声。
「その将来を誓い合ったという男の名は?」
ルーナルドの金の瞳がまっすぐにユーフェミアへと注がれる。
ルーナルドがこんなに正面から、真っすぐにユーフェミアを見ているのをアッシュははじめてみた。
ああ、ルーナもショックを受けているのか、と思った。
けれど違った。
「はい、エトさまです」
「・・・・・・・・・・・っ!!!」
ユーフェミアの答えを聞いたルーナルドの。
滅多に動かないその美しい顔が。
余命宣告をされたときでさえ変わらなかったその表情が。
一瞬だけ激しく歪んだ。
嬉しさと、切なさを混ぜ合わせたようなぐちゃぐちゃな顔をした。
瞬きをする間にルーナルドの表情はまたいつものそれに戻ってしまったけれど。
なぜ彼がそんな顔をしたのかアッシュには理解できなかった。
見間違いかも、と思った。
しかしその数日後に知ることになる。
ユーフェミアが将来を約束したという【エト】本人の口から。
幼き日の【約束】に至るまで。
公爵さま、くじけないで。




